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しんべヱ、喜三太、平太の三人が工具の入った木箱を運び、俺が木材、久作が白の塗料を運んでいた。用具委員の仕事でアヒルさんボートの修繕に向かうところだった。
アヒルさんボートの修繕はこの前やって、それ以降使っていないはずだ。それなのに今朝無残な姿になったアヒルさんボートが発見されたということは、やり方を間違えたのだろう。早急に食満先輩か富松に相談に行くべきなのだが、あの人達に近寄り難いため、時間を稼ぐように今日の活動である。
「森林先輩、今日中にボートの修理、終わりますかね?」
久作が尋ねた。うーん、と少し考えるようにして、答えた。
「多分終わると思うけど、終わらなかったら明日もだねー」
「明日は図書委員の活動が」
「えー。じゃあ誰か代わりに――」
ふと臭いを感じて足を止めた。久作もそれを不思議そうに見上げながら立ち止まる。前を歩いていた一年生達もそれに気づいて振り返る。
「二人とも、どうしたんですかぁ?」
「森林先輩が――」
「ちょっと思い出したことがあるから、みんな、戻ろう」
「え?」
早口に言い出した俺に戸惑っている様子の四人。早く、と急かしながら踵を返した俺に、久作が慌てて声をかけようとしたとき。
「――食満くん!?どうしたの!?」
小松田さんの大きな声が聞こえて、一年生三人が走り出した。それぞれの手に持っていた木箱がガシャガシャと音を立てている。
「お、おい!」
「遅かった!」
俺と久作もそれを追った。
――三人が向かった門の方から、微かな血の臭いが漂っていた。

門が見える場所まで来て、一年生達は一瞬足を止めて、大きな目を見開いた。そしてすぐにまた駆け出した。工具の箱を放り出して、一心不乱に食満先輩に向かったのだ。
『食満先輩っ!!』
しんべヱと喜三太が声を上げて、平太は声を出す余裕もなさそうに懸命に足を動かしていた。
「え……森林先輩、あれは……」
「先に行く」
久作は困惑した声で足を止めようとしたのに構う余裕はなかった。
「小松田さん!」
「森林くん!どうしよ、食満くんがっ!」
小松田さんまで取り乱した様子。当然かもしれない。忍者になりたいとは言っても、今はただの事務員だ。
血塗れの人間なんて見たことがないかもしれない。
「食満先輩!食満先輩!」
「起きてくださいよぅ!」
「落ち着いて、二人とも!」
しんべヱと喜三太が縋るように食満先輩の装束を握っている。装束もほとんど黒ずんだ赤に濡れているから、二人の手も赤く濡れていく。その横で平太がしゃくりあげるように泣いていた。他の二人も涙を一杯に溜めている。
「ほら、医務室に運ぼう!小松田さん、手伝ってください」
「う、うん!」
「先輩、俺は……」
久作が青ざめた顔で尋ねた。周りを見ると、まだ食満先輩の装束を離さない二人と、顔をぐしゃぐしゃにした平太。小松田さんが食満先輩の右腕をとって自身の首に回そうとした。
「久作は小松田さんの代わりに門の見張りをしておいて。平太もやってくれる?」
「僕は医務室に行きます!」
「僕も!」
平太への言葉に自分達も残されると思ったようで、しんべヱと喜三太は声を上げる。わかった、と言いながら俺は食満先輩の左腕をとった。
「二人とも、頼んだから!」
久作と平太に声をかけて、小松田さんと二人がかりで食満先輩を抱え上げた。

先に走って行ったしんべヱ達が医務室の襖を大きく音を立てて開いた。
それを非難するような乱太郎と左近の声が聞こえる。
「三人とも、怪我人!」
「――なっ」
「ど、どうしたんですかっ!」
小松田さんと俺が食満先輩を抱えて医務室に入ると、一変して彼らは顔を強ばらせた。
食満先輩を慎重に横たえながら小松田さんに言う。
「小松田さん、説明してください」
「僕もよくわかんないよ!門が叩かれたから、開けたら食満くんが倒れてたの」
学園までたどり着いて、門を叩いたところで気を失ったか。俺達がくる前からも、一度も食満先輩は目を覚まさないらしい。
「どうしましょう、左近先輩……!」
「スリルですぅ……」
「どうって……とりあえず怪我を診ないと……!」
一、二年だけでは対応しきれないかもしれない。
「俺、新野先生を呼んでくる。誰か善法寺先輩と三反田を」
「僕達が呼んでくる!行こう、しんべヱ!」
「うん!」
喜三太が立ち上がって、しんべヱと一緒に飛び出していった。小松田さんに着替えてから門へ戻ってもらえるように頼み、俺も新野先生を呼びに走り出した。

* *

姫美さんが六年生の先輩方とお喋りしている横で、私達四年生と三年生は掃除をしていた。
というのも、六年生達が姫美さんとの時間を最大限に使いたいと言い出したからだ。姫美さんの仕事を後輩に押しつけようということである。ずる賢い。この上下関係が憎い。かといって先輩方に睨まれず姫美さんの傍に居られるというチャンスを逃す選択肢はないが。
「おい、滝夜叉丸、ちりとり」
「なぜこの私がちりとりの役割なのだ!掃除にかこつけて跪かせようとは、性根の腐った奴め。私の美貌に嫉妬したか。見苦しいぞ」
「じゃんけんに負けたのはお前だろうが!グダグダ言うな!」
本当に腹立たしい奴!姫美さんの前でなければサチコが黙ってないぞ!
そんな私達を三年生達やタカ丸さんが呆れたり苦笑したりして見ている。喜八郎は少し離れたところで穴を掘っているので我関せず。
「――善法寺伊作先輩!」
「三反田数馬先輩!」
と、そこにしんべヱと喜三太が大慌てでやってきた。立花先輩は顔をしかめたが、私を含めた他は皆一様に不思議に思って二人を見やった。
「なんだ?二人とも」
七松先輩が首を傾げて問いかけると、
「医務室に来てください!」
「食満先輩が怪我して!」
「留三郎が?」
伊作先輩は目を丸くした。他もだいたいそんな反応だ。私は、そういえば今日は食満先輩がいないな、と今になって思い出した。
「だから早く……」
「数馬、頼んだよ」
「え、先輩は?」
三反田が問えば、伊作先輩は大丈夫だよー、と笑った。
「留三郎のことだから、大したことないんじゃない?今日は新野先生もいるし、僕がいなくても平気でしょ」
「そんな!」
「伊作先輩!!」
しんべヱと喜三太はその答えに声を上げた。三反田も不服そうである。
「そう言って、姫美さんと一緒にいたいだけだろ、お前は」
「あはは」
潮江先輩が呆れた声で言うと、照れたように笑った。
「しょうがないですね〜」
「ごめんね、数馬あ」
結局三反田が折れるようで、しんべヱ達に行こうか、と促した。しかし二人は駄目ですよ!と声を上げて動かない。
「だって、食満先輩……!」
「しんべヱ!喜三太!」
しんべヱが何か言おうとした時、少し離れたところから二人を呼ぶ声がした。
葉太郎だ。
「先輩!」
「なにしてるんだ、早く!」
いつになく厳しい口調で急かす葉太郎の顔には、普段の柔らかい表情はなかった。そのままこちらに近づいてきた葉太郎に、今更気づいた。
彼の紫の装束は、目立たないがべったりと赤で塗れていた。
「でも、伊作先輩が……」
喜三太の言葉で葉太郎が伊作先輩を見やった。
その目が鋭くて、思わずどきりと冷たい手で心臓を握られた感じがした。殺気立ってる。
姫美さんがひっと小さく声を上げた。見ると、彼女は立花先輩に隠れるようにしていた。殺気に気づいた訳ではないだろうから、単純に血に気づいたのだろう。立花先輩はその様子を見て、葉太郎に非難するような目を向けた。
「善法寺先輩」
「やめなよ、森林!姫美さんが怯えてるじゃない」
伊作先輩が怒ると、葉太郎は口をつぐみ、目をそらした。
「もういい。三反田は来るよね。急いで」
「え、あの……」
背を向けてその場を離れようとした葉太郎に、三反田は恐る恐るといった様子で声をかけた。葉太郎は振り返らないまま、言った。
「善法寺先輩なんていてもいなくても変わらないよ」
葉太郎の冷たい声。なんて聞き慣れないのだろうか。
慌ててその後を追ったしんべヱ、喜三太と三反田を見送って、その場は一時静寂になった。
「――なんだったんだろう」
タカ丸さんが呟くように声を漏らすと、やっと私達はざわざわと会話し始めた。
「森林の装束……」
「やっぱりそうだよね」
「留三郎がどうとか言っていたが」
六年生の会話を黙って聞いていた富松が、隣にいた浦風に言った。
「俺、様子見てくる」
「あ、うん。わかった」
そう言って箒を浦風に渡し、富松は走っていった。医務室に行くのだろう。
「留くん、大丈夫かな」
姫美さんが眉を下げて呟くと、潮江先輩は黙り込み、七松先輩は葉太郎達が去っていった方に目を向けた。
「あいつらが大げさなんだろう。姫美は気にしなくていい」
「そうだよ。留三郎だもん」
「食満くんは学園一の武闘派だしね〜」
そう、立花先輩と伊作先輩とタカ丸さんは楽観的に言った。
「……三木ヱ門、どう思う?」
「……良い予感はしないな」
滝夜叉丸の言葉に顔をしかめてそう返す。
楽観的に笑うのは、その三人だけだった。



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