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火薬委員の三郎次、図書委員の中在家先輩と久作が戻ってきた。三日前にきり丸と怪士丸が中在家先輩を連れてきた時は声も出ないほど驚いた。先生達がもう一度あの人達を呼び出して、さらに厳しく規制をかけたという話は勿論聞いていたが、前回と同じように無意味に終わるのだろうと思っていた。まったく期待していなかったのに、中在家先輩は戻ってきた。
これはひょっとして、と思った次の日に焔硝蔵に行った三人が三郎次と久作を連れてきた。左近が喜ぶだろうなと思ったら、案の定彼は目を潤ませて悪態をついた後、明るく笑った。
三人も戻ってきたことで、みんな気が楽になったらしいのは明らかだ。一年生達も左近も表情が明るい。
戻ってきた三人は、他の子達にいくらか事情を聞いたようで、申し訳なさそうに俺に謝ってお礼を言ってくれた。別に俺は大したことはしていないのだからそんなものはいらないのだけど。
それに、今の俺はあまり精神的に穏やかでないので、なにか失言でもしてしまいそうで嫌だ。昨日の尾浜先輩とのやり取りでは、ちょっと失礼な態度をとってしまったようなので気を付けなければならない。

なにはともあれ、人手が増えたことはありがたい。以前は孫兵や三木ヱ門が担当していた手伝いは彼らがしてくれることになった。三郎次や久作なんかは友人の手伝いをしたいと、よく保健委員の手伝いもしてくれるので、実質俺が担当するのは用具委員と生物委員、会計委員の三つになった。
それで、今日。天川さんのところへは五年生が集まっている日。
――先輩最近疲れているみたいなので、今日はお休みしてください。
左近が真面目な顔で言った。なんでも一年生達と話し合って決めたらしい。まさか俺の様子まで気にしていてくれたなんて思っていなかったが、どうやら彼らは俺の機嫌が最近悪いことに気づいていたらしい。感情を抑えるのが無駄に得意だと言われる俺が、一、二年生に隠しきれないなんて。想像以上に疲れていたのだろうか。
先日戻ってきた三人が代わりをするから、と言うので、まあありがたくその申し出を受けた。三木ヱ門がもしかしたら暇にしているかもしれない。五年生が他の生徒達を追っ払っていればそうなっているだろう。
そう思って長屋に向かっていると、ばったり土井先生に出くわした。
「珍しいな、森林がいるなんて」
「今日、後輩達が休みをくれたんです」
笑って言うと、土井先生もそれはいい、と笑った。
「あ、土井先生、三木ヱ門見ませんでしたか?」
「田村三木ヱ門なら、さっき……」
言いかけて一瞬口をつぐんだのに首を傾げたが、土井先生は誤魔化すように笑って続けた。
「中庭の方にいたぞ。今は部屋なんじゃないか」
「そうなんですか」
「ああ……三木ヱ門と過ごすのか?」
「久々に暇ができたので」
そう答えると、まあそうだよなあと土井先生は何やら考えこんだ様子。
「そうだ!」
「なんですか?」
「ちょうどいい、おつかいを頼まれてくれないか?学園長に菓子を買ってくるよう頼まれたんだが、私はこれからテストの採点で忙しい」
「えー……」
久々に暇になった、と言ったのにそんな時まで労働か、と納得がいかない。頼むよ、と両手を顔の前で合わせて頼まれる。
「最近外に出てないだろ?三木ヱ門と一緒に行けばいいじゃないか」
「うーん……」
確かに天川さんが来てからまともに外出した記憶がない。そういえば、個人的な買い物なんかも長い間していないなあ。
「……まあ、いいですよ」
「本当かっ?ありがとう!」
土井先生は嬉しそうに言って、学園長に預かったという代金の入った袋を渡した。少し多めに入っているから余りは自由に使っていいと言われる。
「それじゃ、頼んだよ」
「頼まれました」

* *

外出届けを提出し、出門表に名前を書いて二人で外に出た。
「俺、個人的な外出って久しぶりだなあ」
「そうなのか?」
「うん」
葉太郎が頷いたのを見て、さっきの答えは能天気だったなとすぐに後悔した。よく考えればこいつは最近休みなく働いているのだった。
「……すまない」
「え、三木ヱ門が謝る必要はないよ」
葉太郎は困ったように笑った。以前は私も同じように忙しくしていたのが、最近は葉太郎が部屋に戻る前に眠っているような日々。
「三木ヱ門は恋する少年中だもんねー。しょうがないよ」
「その言い方はやめろ」
からかうような言葉に眉をひそめると、ごめんごめんとまた笑った。
――思ったより元気そうだな。
最近、葉太郎とまともに話す機会が少ない。起床時間も就寝時間もズレて、食事も毎回別になっている。休み時間の教室では話すが、基本長い休み時間には姫美さんのところへ飛んでいくのでこれも少ない。
自分からそんな風に対応して、以前の淡い恋心など消え失せたはずなのに、たまに葉太郎の様子を伺ってはぼんやりしている姿に気分が沈んだりする。我ながら中途半端で情けない。
「今日は天川さんのところに行けなかったの?」
「さすがに五年生に本気で追い払われたら適わん。下手に喧嘩して先生方に目をつけられるのも困るしな」
「ああ、そっか。そうなると一層厳しくなっちゃうしねー」
昨日自分達もしたことだが、彼らも自分の武器をちらつかせていた。彼らは姫美さんに温厚な性格だと通っているので、あからさまに武器を構えたりはしなかったが。大体予想はついていたので不満ながら引き下がった。途中で土井先生が通りすがらなければもう少し粘ったかもしれない。最初にその場を離れたのは喜八郎、その次が私。滝夜叉丸がぶすくれた二つ年上のタカ丸さんの手を引いて離れていくと、五年生の五人はにこにこと姫美さんと話し始めた。これから掃除の手伝いをするらしかった。
「それに姫美さんは争い事がお嫌いだから」
「あー、そんな感じ。じゃあ三木ヱ門も滝夜叉丸とちょっとしたことで口喧嘩したりとか、してないんだね」
「あれはあっちが仕掛けてくるんだ、それがなければ私だって別に」
「えーどうだろ」
葉太郎が楽しそうに笑った。事実なのに。
「私達だけじゃないぞ。あの食満先輩と潮江先輩ですら最近喧嘩していない。仲良くもしていないが」
「えっあの二人が?」
信じられない、というような顔で驚く葉太郎、無理もないだろう。私もそれを知ったとき驚いた。
「姫美さんがな、『お互い傷つけあって何かが解決するわけはない』『私は誰かを傷つけるような人は嫌だな』って言うから」
「言いそう」
葉太郎が苦笑した。それだけで普段の喧嘩が収まるのかと疑問なのかもしれない。事実収まっているのだからそういう事だろう。
「あの二人も天川さんのこと好きだね」
「そりゃあそうだろう。姫美さんなんだから」
そう言うと、葉太郎は笑顔を少し陰らせて、ふうん、と呟いた。
それから少し沈黙。以前は葉太郎との間の沈黙なんてどうとも思わなかったのに、今は気まずさを感じるようになってしまった。
「……三木ヱ門も天川さんのことそんなに好き?」
「当然」
すかざず答えれば苦笑が返ってきた。
「こう言っては少し恥ずかしいが……私は姫美さんと出会って初めて"愛"を感じたと思った」
「愛?」
葉太郎が首を傾げた。頷いて続ける。
「私が今まで愛だと思っていた感情は、子どもじみた恋心だったと気づいたよ」
「恋と愛は違うってやつ?」
「そうだ。"愛"は恋より一層強い想いのことだと私は思っている」
「そんなこと恥ずかしげもなく言っちゃうんだ」
三木ヱ門、変わったかな――と葉太郎は微笑んだ。以前私が恋していた笑顔と同じだろうか。数日の間にこいつの笑顔の違いを見抜けなくなった。もともと他人の気持ちに鈍感なくせに、自分の気持ちを隠すのが異様に上手い奴なのだ。
「恋と愛はどう違うの?」
「そうだな……」
少し考える。私が葉太郎に感じていた恋と、姫美さんに感じている"愛"の違い。
「一番は、やはり相手の事ばかりを考えるというところだろう」
「……恋だって、相手の事ばかり考えるよ?」
葉太郎が少し間を置いて言った。ちらりと顔を見るが、その横顔からは特に感情が読み取れない。
「それもそうだ。でももっと。相手の事を考えて、相手が幸せになればいいと思う。そういうものだ」
「恋だってそうでしょう?」
「どうだろう。私の場合は違ったから」
「え、三木ヱ門って恋してたの!?」
葉太郎がすっ頓狂な声をあげた。やはり気づいてなかったか。いや気づかれていたら困るからそれでいいんだけど。
「なんだ、なにかおかしいか?」
「え、いや……気づかなかったなって」
「お前は基本、何も気づかないだろうが」
酷いなー、と葉太郎は苦笑した。否定しないあたり、自覚はしているのだ。
「その頃私は、相手の幸せを願いつつ、自分の知らないところで楽しそうにしている相手の事がどうにも許せなくてな」
「あー……」
葉太郎が姫美さんのところに通って楽しそうにしていた時期のことを思い出しながら。随分昔のことのように思える。まだひと月ほどしか経っていないはずなのに。
「でも私は姫美さんを"愛"しているんだ。姫美さんの幸せがすべて。姫美さんが嬉しそうならそれでいい。そりゃあ出来れば私が姫美さんを幸せにしたいけど、それが叶わないなら他の誰かでも構わない」
姫美さんが幸せに楽しそうならそれで。私は心から祝福できるだろう。彼女の笑顔が他人のものでも構わないと思える。彼女が一等好きな人を愛し、その相手が姫美さんを愛すなら。きっと姫美さんを"愛"している他の奴らもそうだ。今はまだその相手が決まらない姫美さんに、自分を好きになってもらおうと必死ではあるけど。
「……」
葉太郎が黙り込んだので、不思議に思って目を向ける。葉太郎は無表情でじっと少し前の地面を見て足を進めるばかり。もうすぐ町に着く。今日は学園長のおつかいと、葉太郎のちょっとした買い物をする予定。
――以前なら逢い引きみたいで緊張したろうな。
――いや、今でもまだ少し緊張するけど。
「……なら」
葉太郎が呟くような声を発した。
「――俺のは、まだ愛じゃなくて恋だなー」
「……え」
葉太郎は顔を上げた。私は思わず足を止めた。そんな私に葉太郎が不思議そうに振り返る。
「どうしたの?」
葉太郎は、私が隣からいなくなるとすぐに気がつく。
「お前、恋してたのか」
「さっきの俺の質問と一緒じゃない」
葉太郎が笑った。
「俺だって恋くらいするさ」
お前の私を気に掛けてくれるところや、柔らかい笑顔が、好きだった、
実は、今もまだ――

心を痛めるなんて、私は大概馬鹿だな。
消え失せたはずだろう、子どもじみた恋心なんて。
消えてしまえ、どうせ報われたりなんかしなかったんだよ、こんなもの。
こいつが恋をしていようが別に構わないはずだろう。



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