26



尾浜勘右衛門はのんびり廊下を歩いて学級委員長委員会の会議室に向かっていた。会議室とは名ばかりの、実際は学級委員長委員会の生徒が使う休憩室みたいなものだ。
彼もここしばらく会議室に寄り付かなかった。友人達と一緒に天川姫美のところに行く日々。後輩達が不満そうにするのは気づかぬふりで、先生方が渋い顔をするのも知らぬふり。昨日一昨日と規制を破って姫美の傍にいたのだが、今日はさすがにそうもいかなかった。
今日は四年生が姫美と共にいる日だ。三年生以下とは違い、四年生になると上級生の仲間入りだから、戦闘力も我の強さも段違いだ。後者については彼らの元々の性質にもよるけど。
――先輩に対して躊躇いなく武器を構えるなんて生意気な。
そう思ったが、ここで変に喧嘩なんか始めてしまえば、いよいよ姫美との接触を一切禁じられてしまう。どうせ明日は自分達が彼女と過ごすのだから今日のところは譲ってやろう。
一人だけその場を離れようとしない鉢屋三郎を四人で宥めすかして連れ出しながら、さてこれからどうしようかと考えた。その結果、会議室で後輩達と団子でも食べるかと決めたわけだ。勘右衛門も最近自分が後輩達と顔を合わせていないことは自覚し、それに罪悪感はほとんどなかった。
会議室に着いて戸を開けると、ふわっと埃が舞ったので顔をしかめた。
「え、なにこれ。誰か掃除してないの?」
口に出してぶちぶち文句を言いながら棚を見てみるが、残念ながら団子などなかった。どころかいつもなら何かしらの菓子が常備されているはずが、棚には菓子の類は何もなかった。
不満に思いながら会議室を出る。当初の目的は大幅に変更。自室で同室の兵助とでも饅頭を食べよう。姫美と一緒に食べようと思っていたものだが、仕方ない。今なにか菓子を食べないとやるせないではないか。
そんな風に思いながら五年長屋へ向かっていると、向こうから交換用の落とし紙を抱えた紫色の装束が近づいてきた。保健委員に四年生?と疑問に思ったが。
「……森林か」
やっぱり保健委員じゃなかった、と思っていたら、相手も自分に気づいたようだった。あ、と小声を上げて目を一度瞬く。
「尾浜先輩」
「なんか久しぶりだねー」
名前を呼ばれたので笑顔でこういう場合の定型文を口に出す。先ほど喧嘩寸前までいった彼らと違い、森林葉太郎という少年はいつでも軽く微笑を浮かべていて、性格も柔らかくていい奴だと勘右衛門は認識している。
「どうも」
しかしそんな葉太郎も、この時ばかりは少し強ばった無表情であった。
「何してるの?保健委員の手伝い?」
その様子を疑問に思いながら、勘右衛門は世間話といった風に質問をした。
「見てわかるでしょう」
「え、まあそうだけど……」
言葉になんだか棘がある。機嫌が悪いのだろうか。
「なんで?森林は確か、生物委員だよね」
勘右衛門の言葉に葉太郎は眉をひそめた。そうですよ、と返しながら、一瞬睨むような目をした。そんな葉太郎の反応に、勘右衛門はさらに疑問を感じると共に、少しの苛立ちを感じた。なにせ先ほど楽しみにしていた菓子がなくって予定変更したばかり。機嫌があまり良くないのはこちらも同じである。
「なんか機嫌悪いね」
「そりゃ機嫌も悪くなるでしょ」
吐き捨てるように言って、葉太郎は勘右衛門から視線を外してあらぬ方を見やった。その様子から早く会話を終わらせたいという意図を感じて、勘右衛門はますます苛立つ。
「なあにその言い方。俺なんかした?」
「……別に尾浜先輩がどうってことじゃないですけど」
「じゃあなに。八つ当たりならやめてよ」
その言葉を聞いて、葉太郎はふと視線を勘右衛門に向けて、ゆるく首を振るようにしてから軽く頭を下げた。
「すみません、気分を害しましたか。時間があまりないので、失礼します」
「は」
簡潔にそれだけ言って、葉太郎は勘右衛門の脇を通ってすれ違った。勘右衛門が戸惑っているうちに、葉太郎はそのまま行ってしまった。ちょっと、と声をかけたが、まったく振り返る素振りも見せずに、廊下の角を曲がって見えなくなってしまった。
釈然としない思いを引きずったまま、勘右衛門はまた廊下を進んだ。しばらく行くと、図書室の前に出た。資料室の戸が開いていた。
「それでは中在家先輩、お願いします」
お願いします、と口々に続く声が三つ。計四人の子どもが中にいるようだった。名前の出た中在家長次の声は聞こえなかったが、彼は元々の声量が少ないので多分中にはいるのだろう。
資料室から出てきた四人の顔ぶれを見て、ちょうどいいな、と勘右衛門は思った。
「庄左ヱ門、彦四郎」
自身の委員会の後輩達の名前を呼ぶと、その二人が弾かれたように勘右衛門の方を見た。
「尾浜先輩!」
「久しぶり〜」
さっきもこんなやりとりをしたなと思いながら。
二人と一緒にいたのは、会計委員の一年生二人だった。資料室の資料には会計委員がよく使うものもあるというから、それを見に来たかなにかだろうと推測する。
「なにしてたの?」
「会計委員の手伝いをしてるんです」
この彦四郎の回答も、さっきの葉太郎の言葉と似通っている。
「さっき森林もそんなこと言ってたよ。あっちは保健委員の手伝いしてたみたい」
「今の時間ならそうですね」
庄左ヱ門が頷いた。その反応に首を傾げて、疑問をそのまま問う。
「なんで森林の予定知ってるの?」
「そりゃ……話し合いで決めたので」
庄左ヱ門が少し言いにくそうに言ったので、ますますよくわからないなと思った。
「なんで話し合い?」
そう聞くと、後輩達は顔を見合わせた。団蔵はため息をついて、それを左吉が諌めるように小突いた。
「まあ、別にどうでもいいけど」
どうしても聞きたい訳ではない、という意味で勘右衛門ら呟いたが、その言葉を聞いて四人の顔が強ばった。
「あ、それより庄左ヱ門と彦四郎さー」
そもそもの声をかけた理由である。二人が勘右衛門の顔を見上げたのを見つつ、尋ねる。
「最近会議室行ってないの?埃被ってたよ」
「あ……」
二人は顔を見合わせて、眉を下げた。
「久しぶりに行ったら誰もいないし、埃もすごいしびっくりした」
「はあ……すみませ――」
庄左ヱ門が軽く頭を下げようとしたのを、団蔵がその襟首を捕まえて止めた。
「庄左ヱ門が謝ることじゃないじゃん」
勘右衛門はここでやっと、団蔵はかなり不満そうに顔をしかめていたのに気がついた。彦四郎はそんな団蔵を諌めるように声をかけているが、隣の左吉は団蔵と同じく曇った表情だった。
「庄左ヱ門達は僕達の手伝いをしてくれてたんです。先輩達みたいに遊んでたわけじゃないんです!」
「団蔵!失礼だろ!」
「僕もそう思うけど」
「左吉まで……」
彦四郎が困ったように眉を下げていた。
「――何をしている」
「中在家先輩……」
そこへ、資料室から出てきた長次が声をかけた。彦四郎が助かった、というような顔をして、会計委員の二人は少し決まり悪そうにした。庄左ヱ門は資料の整理は終わったんですか、と尋ねた。長次はその質問にこくりと一つ頷いて、ゆっくりと勘右衛門の方を見た。
「……尾浜勘右衛門」
「えっ?あ、はい」
突然自分の名を呼ばれて、思わずぎくっと肩を揺らす。あまり話したことがないので、わざわざ自分に声をかけられるとは思っていなかった。
「……四人とも、すまないが尾浜と二人にしてくれ」
「え?」「なんでですか?」
彦四郎と団蔵が声をあげるが、長次は無言で二人の目を見つめるだけで、結局困ったように四人で顔を見合わせた。
「……ではそうします。みんな、戻ろう」
「え、庄左ヱ門、いいの?」
庄左ヱ門が三人を促して、その場を離れた。彦四郎は一度心配そうに振り向いたが、すぐに顔を背けて他の三人の後についていった。
「……えっと、なんですか?中在家先輩」
四人の背を見送る長次に尋ねると、彼は勘右衛門の方を向いた。
「……あの二人は、よく頑張っている」
「はい?えっと、庄左ヱ門と彦四郎のことですか?」
長次は頷く。そりゃあの二人はしっかりしているし真面目ないい子達であるが。なんで急にそんなことを神妙な面で言うのか。
「私達はとやかく言える立場ではない……」
「……さっきの団蔵の言葉ですか」
先輩達みたいに遊んでたわけじゃない、と言われた。その言葉の真意は、勘右衛門にはわからなかった。
「あれ、どういう意味なんですかね」
「言葉通りだ」
「遊んでたって?俺達がいつ――」
と、言いかけてようやく理解した。
保健委員の手伝いをしていた森林、会計委員の手伝いをしていた庄左ヱ門と彦四郎、そもそも自分が今ここで一人でいる理由。
「――なるほど、姫美さんのことか」
「……もそ」
長次が呟いたのは、おそらく肯定の言葉だろう。
庄左ヱ門達が頑張って他の委員会の手伝いをしていた間、勘右衛門達が姫美のところへ行って遊んでいるように、団蔵には見えていたということだろう。他にもそういう風に思っている人間は多いだろうなと今になって気づく。他人からどう見られているかなんて、ほとんど気にしていなかったのだ。とにかく姫美の目を引くことが最優先で。
「遊んでたつもりは無いんですけどね」
「私も、彼らがそんな風に思っていたと今知った」
長次が少し顔を俯けたのを見て、彼は随分反省しているのだなと勘右衛門は気づいた。いや、自分も本来そうするべきなのだろうけど……やはり姫美のことばかりで他のことに気を取られる余裕はなかった。
「……森林が庇ってくれていたらしい」
「森林?」
そうか、彼は庄左ヱ門達の味方だったのか。さっきの機嫌の悪さは、彼も自分達にいい感情を抱いてなかったからだろうとわかった。
長次がぽつぽつと言うには、葉太郎が勘右衛門達のことを『恋に盲目なだけだ』というような言葉で庇っていたらしい。だから見守っていてあげようね、と言われたと、きり丸と怪士丸が言っていたという。その代わりを埋めるように、たくさん手助けをしてくれた、とも。
「森林には、感謝しなければならないな……」
「はあ……」
勘右衛門は長次の言葉を聞いて、やはり葉太郎はいい奴なのだと改めて思った。



前<<>>次

[28/55]

>>目次
>>夢