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『天川姫美との接触は、本日より学年ごとに隔日とし、事情のない限り決まった日以外での関わりあいを禁止とする』

* *

中在家長次がこの日図書室に出向いたのに、彼は特別な意図をもってはいなかった。
この日の前日、ついに先生方が彼らに対して、強制的に規制をかけてしまった。確かに一度目の忠告でなにも態度を変えなかった自分達が悪いだろうと、長次はわかっている。納得していない者が二人ほどいるが、級友達も多方は長次と同じ考えで、しょうがないとその規制を受け入れていた。
ちなみに、昨日のこと。さすがに突然言われてはいそうですかと受け入れるのは難しかったので、一年生が姫美と過ごすべき日ではあったが、みんな普段と同じように姫美の傍にいた。先生方もその様子に苦い顔はしたが、渋々了承してくれた。
そんなわけで、今日は二年生が姫美と一緒にいる。それまで五、六年生が多くいた分姫美と関わる時間が少なかった彼らはとても嬉しそうにしていた。それを見ると少し申し訳なかったかとも思う。
さて、最近はずっと姫美と過ごしていたため、放課後彼女の元に行けないとなると、することがなくなってしまった。そこで以前の放課後はよく入り浸っていた図書室に向かったのである。
彼は――というか彼らは――長らく委員会に顔を出していないことをそんなに重大なことだと認識していなかった。彼らは自分の大切な人を大切にしていただけであり、そのことが他人に非難されるいわれはないと思っている。それに学園の機能が停止したわけでもないようだし、なんだかんだで自分達がいなくても大丈夫だと思ってもいた。
図書室の前に立つと、随分久しぶりだということを実感した。引き戸に手をかけて、普段と同じように戸を開いた。
受付の机には誰もいなかった。室内を見渡しても、人がいる気配がない。
誰か一人は本を見ているようにと普段から指導していたはずだ、と内心少し腹立たしい。不用心だ。
そんな風に思いつつ、何か読む本を探そうと本棚を物色する。本棚整理の仕事はきちんとしてあるようだった。
そうして奥の本棚まで入っていき、久しぶりの静かな空間を堪能していると、図書室の戸がガラッと音を立てて開かれた。続いてバタバタと駆け込む足音。
「もー、今日は怪士丸が当番だって言っただろー」
「そんなことないよ……僕は明日だって言ってた」
「嘘つけー」
きり丸と怪士丸の声が響く。手にとっていた本を棚に戻して、本棚の間から二人の方を見る。二人とも外から本を運んできたらしい。どこかの書庫から古いものを持ち出してきたのかと推測する。
「やっぱ当番が鍵取りに行った方がいいよなあ」
「そうだね……明日からは――」
「――お前達」
本棚の並ぶ中からのっそりと現れて声をかけると、二人はこちらを向いて目を見開いた。
「――図書室では、」
「な、中在家先輩!?!?」
長次の小さな声はきり丸に遮られた。怪士丸は声を出さないまでも口をぽかんと開いていた。
「なんで中在家先輩がここに!!」
「?」
その反応に少し首を傾げる。図書委員長が図書室にいることに、何かおかしい点があるだろうか。
と、思っていたら。
「――中在家先輩だぁ……!」
怪士丸が小さな声を上げ、長次に駆け寄って抱きついた。
「あ!ズルい!」
そんな怪士丸に驚いているところに、なんときり丸まで同じように抱きついてきた。
普段は大人しく部屋の隅で静かにしているような怪士丸も、騒がしくもどこかませているところのあるきり丸も、どちらもこんな風にあからさまに人に甘えるような性格ではない。さすがの長次もそんな二人に困惑する。
「中在家先輩……!」
二人の力は思いの外強かった。それを感じているうちに、長次はようやく自身が長らく二人と顔を合わせていないことを実感した。

* *

池田三郎次と能勢久作は、教室を出てぶらぶらと歩きながら取り留めのない話をしていた。姫美との接触が規制されたため、放課後が暇になってしまったのだ。先輩方は昨日は二年生の日だというのに姫美と一緒にいたけど、後輩の自分達はそんな風にはできない。姫美が優先して自分達と話してくれただけで満足するべきだろう。
「そういや最近左近は付き合い悪いよな」
「あー、そうかも」
三郎次の言葉に久作が頷く。左近は姫美のことがあまり好きではなく、自分達が彼女に構うのが気に入らないらしい。一度そのことで喧嘩になったこともある。そういえばここ数日まともに会話をしていない。
「どこにいるかなー。暇そうだったらドッジボールにでも誘う?」
「いいな、それ」
と、話しているところで前方に焔硝蔵が見えた。近づくにつれて楽しそうなお喋りの声が聞こえてきた。
「久作、ちょっと予定変更だ」
「え?」
三郎次は楽しげににやっと笑うと、焔硝蔵に近づいてそっと中をのぞき込んだ。
中では火薬委員の伊助と、その手伝いをしているらしい庄左ヱ門としんべヱがいた。火薬の在庫確認をしているらしい。
気付かれないように蔵の入り口から離れて、久作と顔を見合わせる。どちらともなくクスクスと笑うと、二人はまたそっと入り口に近寄った。
「伊助、こっちの火薬は大丈夫みたいだよ」
「ありがとう、庄左ヱ門」
「そっちはどう?」
「手が空いたなら手伝ってほしいな。もうちょっと残ってるから」
「わかった」
「僕、壺片付けとくねえ」
「よろしく、しんべヱ」
あののんびりして頼りないしんべヱに貴重な火薬を任せるなんて、と三郎次は思わず顔をしかめたが、ちゃんと両手で抱えるようにして運んでいるのでまあ大丈夫かと判断する。中の三人の目がこちらに向かないのを確認して、久作が入り口を挟んだ向こう側の壁に隠れた。
しんべヱが壺をちゃんと片付けたのを確認して、久作と三郎次は目を合わせて一つ頷いた。
そして同時に入り口の両開きの戸を力一杯押して閉めてしまった。
「え」
「ちょ、しんべヱ〜。なんで閉めるの!」
「ええーっ。僕じゃないよ〜!」
「独りでに戸が閉まるわけないだろ!」
「でも僕じゃないもん!」
「あーあー、今はそれは置いておこう。とりあえずしんべヱ、扉開けてよ。暗くて危ないから」
「庄左ヱ門……」
「相変わらず冷静ね……」
思った通りわたわたと慌てた声のしんべヱと伊助だ。予想より早くに庄左ヱ門が二人をなだめてしまったが、まあいいだろう。すぐに戻る。久作と三郎次はクスクスと笑う。
二人が押さえつけている扉が内側から押される。
「――扉が開かないよ!?」
「ええー!?」
思った通り!
伊助としんべヱの声に、二年生二人の笑顔がますます面白そうだ。
「そんなはずは……」
「ホントに開かないよ!」
「うそ!誰かが鍵かけちゃったのかな!?」
「そんなぁ〜!」
「ちょ、二人とも落ち着きなよ」
「どうしよう!」
「ご飯食べられなくなっちゃう!」
「そうじゃないでしょ!」
「伊助!壺を倒さないように気をつけてよ!」
「あ、わ、わかった!」
『あははははっ』
思った以上の慌てっぷりに思わず声を上げて笑い出した三郎次に、久作もつられて笑ってしまった。
「え、誰かいる?」
「すみませーん!」
「開けてくださーい!」
中の三人もようやく外に人がいることに気づいたようだ。ひとしきり扉にもたれたままで笑ってから、三郎次と久作は扉を開いてやった。顔にはにやにやとした意地悪い笑いを浮かべたままだ。
「お前達、慌てすぎ!」
「池田三郎次先輩!」
「能勢久作先輩も……」
しんべヱと庄左ヱ門が驚いた声で二人を見上げた。その様子にまた笑いがこみ上げてくる。
「まったく、ちょっと暗くなっただけでそんなに騒ぐなんて、一年は組はホントに――」
と、三郎次は言葉に詰まった。久作も目を丸くして驚いた。目をぱちぱちと瞬いて、今度慌てたのはこの二人だった。
「な、なんだよ伊助、泣くほどのことかぁ?」
「え、これ俺達のせい?」
伊助が顔を赤くして涙ぐんでいたからだった。まさか泣くほど驚くとは予想もしておらず、完全に不意を突かれた。
しかし、当然伊助が泣きそうになった理由はそんなことではなかった。
「三郎次先輩!」
「な、なんだよ」
「今まで何やってたんですかっ!」
「はあ?」
伊助の怒りに若干気圧されつつ、その言葉の意味を考える。久作も困惑したように眉をひそめた。
「こっちは大変だったんですよ!なのにまったく気にしないで!」
「なんのことだよ?」
「信じられない!」
見たことないくらい怒りながら、ついにぽろぽろと涙をこぼす伊助に、どうして良いかまったくわからない。しんべヱと庄左ヱ門はそんな伊助を慰めるように寄り添い、三郎次と久作は互いの困りきった顔を見合わせた。
「――伊助はずっと一人で仕事してたんですよ」
庄左ヱ門が三郎次の顔を見て言った。
「本当に意味がわかりませんか?」

[あとがき]



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