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今日は保健委員の手伝いをしている。なんとなく空気が重いがそれは気にしないようにして、包帯巻きの作業を続ける。
俺の前で歌を歌いながら同じ作業をしている乱太郎だが、いつもよりその声は小さく、たまに思い出したように顔をあげて医務室の障子を見るのでなかなか作業が進まない。今日は一段と気が立っているらしい左近に、もう四回くらい叱られている。
左近と一緒に散らばってしまった薬草の仕分けをしている伏木蔵も、なんとなく心ここにあらずといった様子。そもそも薬草をぶちまけたのも、彼がぼんやりとしたまま薬草が収納されている棚の引き出しを引っ張りすぎてこぼしてしまい、声を上げたのを聞いた左近が驚いて棚にぶつかった結果だ。俺が支えなかったら伏木蔵が棚に押し潰されただろう。今の彼はそこから逃げ出すという判断もできない気がする。
左近は不機嫌そうだ。伏木蔵や乱太郎がミスをする度に叱りつけている。しかし彼自身も、時たまふと手を止めては、仕分けしている薬草を間違えた籠に入れてしまって慌てて取り上げている。それに気づいているのは俺だけなので、なにも言わないでいてあげる。
「三人とも手が止まってるよ」
三人のぼんやりが同時に来たので、笑いながら言うと、三人同時にはっと顔を上げたのでますます笑う。
作業を再開する三人を見ながら、気づかれないようにため息をつく。
――三人とも、辛いだろうなー。
彼らの様子の理由は、俺も本当はわかっているのだ。でも何も言わないでいる。励ましてやった方がいいだろうなと思うけれど、俺もそんな余裕はなかった。
――なんだか、今になって、疲れてきた。
気配を感じて障子の方を見ると、その向こうに小さな影が二つ並んでいた。
「どうしたの?」
俺が急に声を出したから驚いたらしい左近達。人影の二人は少し間をおいて、障子を開けた。
団蔵と左吉だった。
「……あの、田村先輩が」
一縷の望みに賭けていたのだけど、結局その望みは受け入れて貰えなかったようだった。

包帯巻きの作業は伏木蔵に交代してもらい、団蔵達と医務室を出た。二人は会計室に行かせ、俺は安藤先生のところへ向かった。
「……そうですか」
「はい。なので、昨日言った通り」
「わかりました。しょうがないですねぇ」
安藤先生はため息をついた。退室しようとして立ち上がったが、安藤先生に名前を呼ばれた。
「顔色が悪い。大丈夫ですか?」
保健委員の三人が気づかなかったから安心していたけど、やっぱり顔に出ているのだろうか。
「大丈夫ですよ」
へらっと笑うが、安藤先生は心配そうにしただけだった。
会計室に行くと、団蔵と左吉が静かに作業を続けていた。
「安藤先生に帳簿の確認ならやっていいって許可もらったから、手伝うね」
「ありがとうございます」
二人は安堵したように笑った。
算術は特に得意でも不得意でもないので、大した戦力になるとは思えないが。まあ一年生だけで作業するよりはマシだろう。
幸い、三木ヱ門は確認を後回しにとりあえず計算と資料の作成を進めていたようで、あと少し残ったそれは一年生の二人が処理している。
三木ヱ門がいつも使っている机に座り、とりあえず周りに積んである帳簿の中で一番前に書かれたと思われるものから確認を始めた。机には普通の算盤と会計委員会名物の十キロ算盤があったが、当然前者を選んだ。座学の授業で使う以外算盤に触れない俺に、十キロ算盤なんて扱えるわけがない。
しばらく作業を続けていると、ふと見慣れた文字であることに気がついた。
――三木ヱ門の字だ。
忍者たるもの筆跡を他人に知られるべきではない、と言われる。授業でも様々な筆跡を扱えるようにというものがあり、俺はそれが少し苦手だ。というかそもそも字を書くのはあまり得意ではない。逆に三木ヱ門はその技術も得意だ。なぜなら学園一ギンギンに忍者している潮江先輩は、三木ヱ門がその授業を受けた頃から、その技術を使って帳簿をつけるのも訓練だ、と言い出したらしい。それから二年以上、三木ヱ門は委員会で日々その技術を磨いているのである。
だから帳簿の中に三木ヱ門の文字が出てくるのは些か奇妙なことだ。それでもあまり個性のない、お手本のような綺麗な字ではあるけど。
――ああ、三木ヱ門も大変だったんだなー。
文字なんか気にしていられないくらい、潮江先輩や神崎の抜けた穴を埋めるのに精一杯だったんだな。
――なんで俺達がこんなに頑張らないといけないんだろう。

昨日、食堂裏での会話を終えた三木ヱ門と孫兵は、そのまま天川さんと一緒にいた。食堂に戻った二人は、天川さんと一緒に少し離れた場所に座って夕飯を食べ始めた。それを見ていた一年生達と左近の様子は到底忘れられないだろうなと思う。不思議そうにしているだけの子もいれば、寂しそうにしている子、今にも泣きそうな顔をする子、逆に無表情でじっと見ている子、顔を背けて夕飯を食べ続ける子。一様に静かで、俺が期待していた、天川さんにみんなが群がる前のような楽しい食事は夢と消えた。
三木ヱ門と孫兵が、左近が聞いたという提案を天川さんにしたのかはわからない。確認をする前に二人はそのまま行ってしまって、俺はその後二人に話しかけるような勇気が出なかった。
俺達はひっそり夕食を続けて、食べ終わった子達はそれぞれ何人かで連れ立って長屋に戻っていった。一番最後に来た俺が一番最後まで残っていた。先に帰ってくれてもよかったのに、左近と庄左ヱ門、彦四郎の三人は無言で俺が食べ終わるのを待っていた。申し訳ないなと思いつつ、何も言わずに夕飯を食べた。なんだか他人のことを気にするのが億劫だった。
夕飯を終える少し前に、忠告を受けた生徒達がばたばたと食堂に駆け込んできた。その話し声を聞く限り、やっぱり先生達は彼らに対して、天川さんに構うのはもっと自重しろと諭したようだった。
次の日、つまり今日。俺達は期待をしていた。先生達に忠告を受けた生徒達が、委員会のことを思い出して、仕事をしに来てくれるのではないかという期待だ。
その結果はこの通り。医務室に三反田や善法寺先輩は戻らなかったし、会計室に神崎や潮江先輩は戻らなかった。どころか、昨日のことで覚悟はしていたが、三木ヱ門が委員会に来なくなった。この分だと他の委員会にも誰も戻っていないだろう。孫兵はどうだろうか。あの、生物委員の世話する生物達のうち、半分を自分のペットで埋めてしまう彼は。

「森林先輩、いますか?」
その声に、はっとした。物思いにふけったり一心不乱に算盤を弾いたりしているうちに、時間が経つのを忘れてしまっていた。
声は会計室の外からかけられた。気配で気付くことさえなかったとは、ぼんやりしすぎた。
「どうぞ」
返事をすると、襖が開いて眉を下げて困った顔をした三治郎と虎若がいた。
「……先輩、伊賀崎先輩が」

狼や鷹、毒持ちといった動物は、一年生には危険だから世話ができない。
まずは狼、次に鷹などの鳥達に餌をやり、簡単に小屋の掃除をしてから、孫兵のペット用の小屋に向かった。孫兵の個人的なペットなのだから、わざわざ小屋まで作ってやることはないと思ったのだが、お人好しの竹谷先輩が、予算半分孫兵と自身の懐から出した金半分で建てた小屋だ。数日前に生物委員総出でなんとか修理をしたのもこれだ。
小屋の中を見ると、いつも通り毒虫達の入った虫かごが積まれ、蛇達がそこかしこでドクロを巻いて大人しくしている。
その蛇達の中に、赤い蝮がいた。
「ジュンコ」
名前を呼ぶと、ジュンコはゆっくりとこちらに頭を向けた。そしてじっと俺を見た。この賢い蛇は、俺達の様子がおかしいのを、俺が思っている以上に感じているのかもしれない。
「昨日は、もしかして忠告をしていたのかな」
何度となくじっとこちらを見上げていたのは、こうなることを予測したのかとすら思う。
もしそうだとしたら。
――何も気付かず三木ヱ門と孫兵を天川さんに近づけた俺が、後輩達を一層悲しませてしまったのだろうか。



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