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おばちゃんに言うと、今は人が少ないからと天川姫美と話す時間をとってくれた。
「先輩方、どうするんですか?」
先に食堂に着いていた川西左近が、私達に近づいて眉をひそめて尋ねた。一年生達も不思議そうにこちらを見ている。伊賀崎との話を簡単にすると、そうですか、とまだ曇った表情で頷いた。
「大丈夫なんですか?」
「どういう意味だ?私達があんな女一人のなにを恐れる」
伊賀崎が食堂の入り口から私を呼んだ。先に夕飯食べといてくれ、とだけ告げて食堂の裏に向かった。
「――まあ、あの二人だし、滅多なことはないか」
川西はぽつりと呟いて、一年生達の輪の中に戻った。

食堂裏に出ると天川姫美が一人で外に出ていた。たすきをかけたままでいるから、話が終わればすぐに戻るつもりだろう。こっちもそんなに長話するつもりはないので問題ない。
「天川姫美」
声をかけて、そういえば彼女の名前を呼んだことがないのに気がついた。思わず癖でフルネームで呼び捨てしてしまった。これは心象が悪いか。しくじった。隣の伊賀崎が呆れたように見ているのがわかる。疲れてるんだ、しょうがないだろ!
しかし相手はぱっとこちらを振り返り、心から嬉しそうに笑った。
「三木くん、孫兵くん!」
そういえば私はこの人にこんな呼ばれ方をされていたっけ。やっぱり馴れ馴れしいのが少し癇に障る。
「フルネームなんてびっくりしたー」
嫌味なのかと思ったが特にそんな空気を醸しているわけでもなかったので戸惑う。まあ、変に警戒されるよりはいいか。一応これからお願いをするわけだし。
「なんだか久しぶりだね、三木くんと話すの」
「そ、そうですね」
この人、まさか私達が自分を嫌っているのに気づいていないのでは。そう思うくらいの無邪気な反応だ。
少し離れた位置から声をかけたので、相手はにこにこと喋りながら歩み寄ってきた。
「あ、でも孫兵くんは初めてだね」
「そうです」
「でもハチくんとか葉くんとか、たまに孫兵くんのこと話してるよー」
余計なこと、と伊賀崎が小さく愚痴るのが聞こえ、肘で小突く。とりあえず今は変に気を損ねる必要もないだろう。
伊賀崎がちらりと不満げにしたが、特に何も言わずに天川姫美の方へ顔を向き直して。
「え」
驚いたように声を小さくあげた。というのも、天川姫美が思った以上に近くにいたせいだった。
伊賀崎が顔を戻したと同時に、天川姫美はずいっとその顔を伊賀崎に近づけた。
隣にいた私まで思わず一歩下がってしまう。天川姫美と伊賀崎の背は殆ど変わらず、今に二人の鼻がぶつかりそうに見えた。
「よろしくね、孫兵くん」
――彼女は伊賀崎の目をじいっと見つめたまま、瞬きもせずにそう言った。
伊賀崎も目を見開いて見つめ返したまま。右足を一歩下げて身体を引こうとしたままの様子で動きを止めていた。
その様子に何か薄ら寒いものを感じて無意識にもう一歩後ずさる。
「お、おい、」
伊賀崎に声をかけようとすると、天川姫美が私の方を見た。
目が合った。
まずい、と思った。
天川姫美は口元を緩めて笑った。その目はじっと私の目を見つめていた。

* *

ジュンコは食堂から随分離れた場所の草影にいた。探しに来た俺を見ると大人しく近寄ってきたので手を伸ばす。
「なんでこんなところに」
先ほど、俺の方が孫兵より早くジュンコを見つけることができると言ったが、別に俺の方がジュンコのことをわかっているというわけじゃない。ジュンコは孫兵が探しにくると面白がって逃げ出すような行動をとることがあるため、それが面倒だと思っただけだ。俺が来た時は何も言わずに寄ってくる。
「じゃあ行こうか。そういえばいつも身体洗ってから食堂行くんだっけ?」
この前孫兵から聞いたのを思い出し、近くの井戸に向かった。
それからジュンコを洗って食堂に向かう間に、ジュンコは度々俺の顔をじっと見るようにした。細長い瞳孔を見たところで、俺にはジュンコの考えている事はわからない。
食堂に着くと、やけに人が少なく感じた。あの人達がいないだけでこんなに変わるのか。
「森林先輩」
呼ばれたのでそちらを見ると、夕飯を食べるたくさんの一年生達の中に、左近だけが混ざっていた。俺を呼んだのはその左近である。一年生達はそれに続いて顔をあげ、やっと来た、といった言葉を次々に発した。
「あれ、三木ヱ門と孫兵は?」
「裏に出ました」
「なんで」
左近の答えに首を傾げると、彼の隣にいた乱太郎が言った。
「お二人は姫美さんとお話しにいきました」
「……天川さんと?」
思わず眉をひそめる。左近も少し翳った表情で言った。
「なんでも、先輩方に委員会に来るように言ってもらうとか」
「あー……そっか……」
「どうしたんですか?川西先輩も森林先輩も」
左吉が不思議そうにした。その隣の伝七も同じような感じで聞いてきた。
「天川さんに言ってもらったら、きっと先輩方も委員会に戻ってきてくださると思うんですが」
「まあ……そうだよね」
それはそうだと思うんだけど……なんだろう。なんとなく、それは上手くいかないような気がしている。
「ちょっと様子見てくるよ」
「お願いします」
左近が頷いた。俺達の様子に、一年生の中でも何人かが顔を見合わせていた。無闇に心配させてしまっただろうか。
ジュンコがまた俺の顔をじっと見た。
裏手に回ると三人が話していた。まさか喧嘩を吹っ掛けたりしてないかと思ったがそれは杞憂だったようだ。
「三木ヱ門、孫兵ー」
「あ、葉くんだ!」
天川さんが真っ先に反応して、その後二人が振り返った。特に変わった様子はない。
「うわ!葉くん、それ蛇じゃない!」
「うわって酷いですよー。ジュンコ、いい子ですよ」
「やめてよお。私、哺乳類以外は駄目なの」
「なんです、それ」
動物の名前?天川さんは苦笑しただけだった。未来での呼び名かなにかかな、と適当に思っておく。
「天の動物かなんかですか?」
孫兵が言った。一瞬意味がわからなかったが、そういえば天川さんは天女っていう設定だったんだと思い出した。
「え、あーまあ。そんな感じ」
「天にはどんな生物がいますかっ?」
目を輝かせて天川さんに問いかける孫兵。天の話はしちゃダメだから、と天川さんはあの言い訳を口にする。
驚いた。孫兵がこんな設定を覚えていたなんて。というか、それをこんな風に当然なように受け入れるなんて。天女なんて頭がおかしい、と言っていたはずなのに。
「孫兵、どうしたの」
「なにがです?」
「いつもなら……すぐジュンコに飛びつくのに」
天川さんがいる前でその考えの変化に言及するのははばかられたので、ジュンコの話を出す。
「ああ、そうですね」
孫兵は俺の腕に巻き付いているジュンコを見やり、そんな反応を返す。
「また食堂に連れて来るの?もう、前に言ったのに」
そういえば天川さんは前に孫兵にジュンコの持ち込みを非難したんだったか。変に孫兵の機嫌を損ねないで欲しいと思いながらその孫兵の様子を見ると、案外平然としていた。
「森林先輩」
「ん」
ジュンコを巻いた腕を孫兵の方に伸ばすと、天川さんがひっと声をあげて三木ヱ門の後ろに隠れた。近いんですけど、とちらりと思ったところで。
「そうじゃなくて、姫美さんが怖がるので今日はジュンコは外で待たせておいてください」
と孫兵はなんでもなさそうに言い放った。

* *

伊賀崎は葉太郎にジュンコを預け、私の後ろにいる姫美さんに、食堂に戻ろうと声をかけた。姫美さんはそれに頷いて、私を見て笑った。
「三木くんも行こう」
「はい」
目を瞬いてぼうっとしている葉太郎の脇を通る時、姫美さんは私の装束をぎゅっと掴んで、葉太郎とは反対側の腕にしがみついていた。ジュンコがそんな姫美さんを見つめていたので、姫美さんがそれを見ないように自身の身体をその間に滑り込ませる。伊賀崎がちらりとこちらを振り返って恨めしげな目をした。
「ちょ……三木ヱ門っ」
葉太郎が私の名前を呼んだので足を止めて振り返る。姫美さんは先に行くね、と言って今度は伊賀崎の隣に立った。
「なんだ?」
「えっと、孫兵は……どうしたの?」
「ああ」
伊賀崎の態度の変わり方に戸惑ったのだろう。
姫美さんと話していて、私と伊賀崎はやっと気がついたのだ。
「――私と伊賀崎も、ようやくお前の言っていた姫美さんの良さに気がついたよ」
彼女の素直な性格、裏表のない言葉、どこか子どもっぽくて可愛らしい仕草。
――純粋で吸い込まれそうな目。
それらを思い出して、思わず愛しさに笑みが溢れた。
そんな私を見て、葉太郎は呆然と立ち竦んでいた。



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