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誰かが会計室の前に立った気配を感じて顔を上げると、同時に外から声がかけられた。
「三木ヱ門、いる?」
「葉太郎か」
なんとなく予想はついていたが。入れ、と声をかけると襖が開いた。
「何の用だ?」
「もうすぐ夕飯の時間だから」
もうそんな時間か、と気づいた。
今日は一年生の二人は火薬委員の方にやった。火薬の入れ替えをするというから、人手として指示したのである。火薬の追加予算はなかなか手痛かったのだが、あれは必要なものだから仕方がない。そういうわけで今日の会計委員は私一人だ。
「まだ少し続けるから」
「じゃあ待ってる」
溜まっていた計算やら資料のまとめやらがもうすぐ終わりそうなところまできている。潮江会計委員長がいなくなってから相当大変だったが、なんとかここまで私と一年生だけで終わらせたと思うと感慨深い。さすが私。
「今日あの人達、先生達に呼び出されるんだよ」
「あの人達が?」
最近私達の間で"あの人達"とか"彼ら"とか、脈絡ない複数を指す代名詞を出した時の相手は決まっていた。天川姫美の周りに群がっているあの忍たま達だ。
「ついに先生方も堪忍袋の緒が切れたか」
「そこまではいってないと思うけど、忠告するんだって」
ほんの数日前に先生方に呼び出された時、天川姫美を学園外に追い出してほしいと訴えたのを思い出す。結局あの話は無しになったようで、それを示唆するような先生方の行動は全くない。苦々しい限りだ。
「それで、せっかくだから俺達は俺達で集まろうってことになって、呼びに来たんだよ」
「というと、一年生達とか?」
「そう」
葉太郎は笑って頷いた。もう他の生徒達は伊賀崎や一年生を使って集めているらしい。そういうことなら言えばよかったのに、別に私を待たなくても。
「先に行ってくれ。もう少しかかるから」
「待ってるよー。三木ヱ門と一緒に行きたいから」
そう言われて、ため息をついた。それから書きかけの部分だけ書き終えると筆を置いた。
「え、終わったの?」
「続きは後でやる」
「待ってるって言ったのに」
「いいよ別に。食堂だろ、早く行こう」
私は別に遅れたところで問題ないが、葉太郎は早く行ったほうがいい。どの委員会の後輩達も、最近葉太郎によく懐いている。あの人達の被害者なんて括りで集まるのなら、こいつがいないと始まらないだろう。
二人並んで廊下を歩いていると、葉太郎がふと立ち止まった。
「葉太郎?どうし――ぎゃあ!」
「ぎゃあって」
思わず声を上げると葉太郎はけらけらと笑った。
「な、なん、なんなんだ一体!!」
「いたっ!ちょ、なんで殴るの!」
「離れろ!気持ち悪いだろうが!!」
目の前にある肩に思いっきり拳を叩き込むと、すぐに離れた。まだ釈然としなくて足も蹴る。くそ、毎回毎回この突然の抱きつき癖に照れている自分が恥ずかしい!
「もー!ごめんって!すぐ離れたじゃん!」
「はあー。なんでお前はいつもそうなんだ」
「ため息大きすぎない?というか、今気づいたけど最近あんまりこういうやり取りしてなかった気がする」
葉太郎の言葉に、そうだったか?と首を傾げたが、思い返してみると確かにそうかもしれない。
「最近忙しいからねーお互い」
「しょうがないだろ。こんな状況では」
結局すべてあの女とそれにへらへら媚びを売る奴らのせいだ。
「まあ、先生達が忠告してくれるし。明日からはもう少しマシになるんじゃないかなー」
「どうだろうな。あの人達がそう簡単に天川姫美から離れるなんて想像もつかない」
嘲笑混じりにそう言ってみるが、心の中では少し期待もしている。今では天川姫美のことが一番でもいいから、その次にでも後輩達のことを考えてやって欲しいと思い始めている。随分妥協してしまった感じがするが……少し疲れてきたのかもしれない。
「わからないよ。昨日知ったんだけど、前例はあったみたいなんだ」
「なに?本当か?」
葉太郎は頷いて、一年は組の皆本金吾の話をした。天川姫美に恐怖心というのはいただけない――負けたみたいで腹立たしい――が、その話はかなり興味深い。
「そんな短期間で人への感情が変わるなんて、なんだか奇妙な話だけど」
「案外その話の中に、なにかヒントがあるかもしれないな」
「なんの?」
「天川姫美からあの人達を引き離す方法」
葉太郎は首を傾げたが、それ以上説明するつもりはなかった。
葉太郎には言っていないが、私はあの天川姫美は異常だと思っている。そりゃ天女を自称している時点でアレだが、あの常軌を逸した好かれようには、何かがあるような気がする。葉太郎はあの人達の異常性に気づいていないように思える。あくまで恋愛の延長だと思っていそうだ。そんなはずはない。
――あんな気持ち悪いのが、恋や愛の類だとは思えない。
「あれ、何やってるんだろ、あいつら」
葉太郎がふと呟いた。同じ方を向くと、一年生数人と三年生一人がきょろきょろとあたりを見回したり、草むらをかき分けたりしているのが見えた。
「孫兵!何やってんの?」
葉太郎が声を上げると、彼らは振り返った。伊賀崎は近くにいた一年生に何事か言って、そのまま作業を再開した。指示を受けたのだろう左吉がこちらへやってきた。
「いつものことですが、伊賀崎先輩のペットのジュンコが居なくなってしまったんですって」
「またかー。ジュンコも今日くらい空気読んでくれたらいいのに」
「蛇に向かってそれは厳しいでしょう」
「ジュンコは賢いからいけるよー」
葉太郎はそう言って、うーん、と少し考えるようにしてから、伊賀崎の名前を呼びながら庭に降りた。私と左吉も後に続く。
「孫兵」
「ああ、森林先輩来たんですか。じゃあちょうどいいので一年生達連れて行ってくれません?ジュンコを見つけてから行きます」
伊賀崎は草むらの中をじっくり見ながら言った。探すのを中断しないあたりがこいつらしい。
「三木ヱ門といい孫兵といい、なんで先に行かせようとするのさー」
葉太郎はそう言って笑った。伊賀崎の考えも多分私と同じなんだろうなと思う。普段あまり仲良くしていないので同じことを考えたなんて絶対言わないけど。
「ジュンコの心当たりを探してくるから、孫兵は三木ヱ門と食堂に行ってて」
「お前こそ私達と同じこと言ってるんじゃないか」
葉太郎の言葉に非難がましく言う。伊賀崎も不満そうな顔で葉太郎を見た。
「だって多分俺が探した方が早いし」
「な、それは聞き捨てなりません!ジュンコの飼い主は僕ですよ!」
「事実だよ。それに孫兵は疲れてるでしょー。俺はみんなにゆっくりしてもらいたいんだから、孫兵をここに残して行くわけにはいかないの」
へらっと笑いながら言う葉太郎は、頼んだよ、と既に駆け出していた。私達が名前を呼ぶのにも反応せず。
「……まったく、森林先輩は」
「まあ、行ってしまったものはしょうがないな。言われた通り、先に行くか」
ざわざわと顔を見合わせている一年生達に声をかけて、先に食堂へ向かおうと促す。腹も減っているし、葉太郎が良いと言うのだから良いのだろうとしておく。

食堂に着くと、異様にがらんとしていて一瞬戸惑った。あの人達がいないだけでこんなに食堂が広くなるものだろうか。そういえばあの人達は、天川姫美が食堂の手伝いをする食事時前後を含めて、よくここでお喋りしているようだった。
おばちゃんから食事をもらっている一年生を見ていると、肩を叩かれた。伊賀崎だ。
「なんだ」
「あの人が一人ですよ」
伊賀崎が目で示したあの人、というのは、もちろん天川姫美だった。そりゃ、あの人の取り巻きが居ないんだから一人だろう。
「……話してみませんか?」
「はあ?冗談だろう」
思わず眉をひそめたが、伊賀崎はあくまで真剣なようだ。淡々と天川姫美を観察するように見ながら言った。
「結局、あの人にかまけてみんな以前より腑抜けたわけでしょう。あの人に委員会とか鍛錬とかちゃんとするように言ってもらえば、多少なりともマシになるんじゃないかと思って」
「……なるほど、一理ある」
よく考えれば、あの人が生徒達に委員会に行かないよう言っているという話は聞いていない。生徒達が自主的に彼女の周りを囲んでいるわけだから。
「説明すれば言ってもらえるかもしれないな」
「それに、あの人に少し物申したい気分でしょう?いつも六年生や五年生がいるから近づけませんが、今は一人なわけですし」
あなたのせいで随分苦労させられている、と。八つ当たりにも聞こえるが、責任の一端は確実に握っている人だ。
「――よし」
私と伊賀崎はちらりと視線を合わせた。



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