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用具委員では一年生や吉野先生に教わりながら備品の修理の手伝いをし、保健委員では左近や新野先生に教わりながら薬の調合や手当の手伝いをする日々。おかげで工具の扱いや薬草の種類にちょっと詳しくなってきた。
この日は保健委員の手伝いで、一年生二人と落とし紙の交換に回っていた。その途中で土井先生に声をかけられた。
「なんですか?」
「ちょっと話したいことがあるんだ。仕事が一段落したら、学園長のお部屋に来てくれ」
「わかりました」
その間に一年生の二人はいつの間にか廊下の端まで進んでいて、先輩早く、と急かしてきた。勝手に行くと穴に落ちるぞ、と考えて、最近喜八郎が穴掘りをほとんどしていないのを思い出した。

「四年、森林です」
「入れ」
学園長の部屋に行くと、先生が数人集まっていた。そういえば天川さんが来てすぐの頃はよくこうやって職員会議に顔を出したなと思い出し、ああそれか、と思い至った。
「わかっていると思うが」
「天川さん達のことですか?」
聞くと、学園長は苦々しい表情で頷いた。
「最近のあやつらの様子は、目に余るという話になっているのだ」
「まあ……そうですね」
はっきり肯定するのもどうかと思ったが、事実なので頷く。
「森林はどう思っておる?」
「どうって言われても……」
思うところは色々あるが、何から話していいやら。
「……お前には、今回のことで相当負担をかけておるな」
「え、別にそんなこと」
「突然世話係などと指示され、それが解任されたと思えば今度はあやつらの尻拭いばかりさせている」
「まあそうですけど……」
確かに色々と困ることもあるが、負担だとはあまり思っていなかった。天川さんと出会えたことは悪いことではなかったし、普段関わりの少ない後輩達とも――喜ばしいものではないが――妙な仲間意識まで生まれ、仲良くしている。工具や薬草なんかの知識だって、今までの生活を続けていたままなら知らなかっただろうことばかり学んでいる。
「この学園が変な事に巻き込まれるなんて、四年もいれば慣れますよ。今回のことだってその内の一つとして、むしろ楽しいと思う時さえあります」
呑気すぎますかね、と笑うと、先生達は目を丸くして、それから微笑んだ。妙に暖かい視線だと感じて変に照れくさい。
「意外だったなぁ」
山田先生が呟いた。やっぱり呑気な言い分だったかと思うが、諌めるような顔をする人は一人もいなかったから、これはこれで別に良いのだろうか。
「実は、お前の前に伊賀崎孫兵と田村三木ヱ門とも話をしたんじゃ」
学園長の言葉に驚いた。先生達は、今回のことで被害を被っている生徒を呼び出していたらしい。
「その二人は、今の状況が相当腹に据えかねているらしいな。どちらもはっきりとは言っていなかったが、天川姫美のせいで生徒達がおかしくなったと」
「天川さんのせい、ですか……」
少し驚いたが、そういう言い方をするのも……わかるような気がする。
「二人とも、お前が一番迷惑しているだろうと言っておったよ」
「そうなんですか?」
「わしらもそうだろうと思っておった。お前は優しい奴だから表に出さないだけだろうと」
「そんなこと思ったこともなかったですよ」
そう言うと、学園長は声を出して笑った。それはよかった、と言った。
「――二人がな、あることを言っておったよ」
「あること?」
学園長は笑い声を収めて、静かに話しだした。
「天川姫美には、学園から出ていってもらった方がいいんじゃないか、と」
彼らから、何度かその意見は聞いた。
天川さんを好いた生徒が元のように生活するには、彼らを天川さんから引き離す必要がある。今のように学園で生活しているままでは、それは到底不可能なことだ。
「学園が迷惑を被ってまで彼女を学園に置く意味がわからないと言っておった。彼女が元いた場所に戻るまで下手に外へ出さないでおこうと決めたのはわしらじゃ。彼女の得体が知れないまま外へやって、学園の情報が漏れることを恐れた。今でも恐ろしい。彼女は学園で生活した身、むしろ以前よりもっと外へ出すわけにはいかん」
そう説明したら渋々頷いたが、と学園長はため息をついた。
「そうですね。彼女を外に出すのは危険でしょう」
「……しかし、検討しても良いかもしれんと思っておる」
その言葉に驚いた。先生達の様子を見ると、みんな神妙な顔でいる。どうやら本気らしい。
まさか、そんなに大事になっていたなんて思わなかった。やっぱり俺は相当呑気にしていたようだ。
「学外の知り合いに預ければ、学園の話をしてもそう問題はないだろう。彼女の仕事に重要な情報を扱うようなものはないし、そもそも彼女は字が読めないそうだし」
「え、そうなんですか?」
「聞いておらんか?曰く、未来では文字の形は似ているけど書き方がまったく違うのだそうだ」
天川さんが字を読めないなんて初めて知った。ついでに筆の扱いにも慣れていないらしい。
「学園の所在についても、彼女はこのあたりの地理には疎い。誰彼構わず教えるようなことはないだろう」
「――もしかして、彼女を本気で追い出すつもりなんですか?」
学園長の言い方に思わず問いかけると。
「これから会議をして決める」
と返ってきた。
「俺は、反対です」
「どうしてじゃ?伊賀崎孫兵や田村三木ヱ門なら喜んで賛成するだろうに。お前は彼らとは真逆の意見か」
驚いたように言われた。そりゃ一番被害を受けているという俺が、彼女がいなくなるのに反対なのだからそう思うのも当然だろう。
「彼女は学園の外では生きていけないと思います」
「そんなことはないだろう。職は見つけるし、彼女はどこか体を悪くしているわけでもない。字を扱えない人間なんて沢山いるし、なにも問題はない」
その言葉に、それはそうですが、と頷く。しかし、と続けた。
「彼女は幼すぎます。あまりに生きていくための知識が足りない」
俺の言葉に、先生達が顔を見合わせる。学園長は不可解そうな顔をしていた。
「そうか?あまりそんな印象はなかったが……」
「そんなはず……彼女と話していればすぐにわかります」
「思い過ごしじゃないのか?確かにしっかり者とは言わんが、なにもそこまで言うほどの人ではないだろう」
「そこまで言うほどの人ですよ、彼女は」
なんであの危うい性質がわからない?だって彼女はあんなに――
「……ああ」
「ん?なんじゃ?」
あんなに――幼い俺と同じだというのに。
「彼女は、小さい頃の俺に似ているんです。学園に来る前の俺です」
「――あの頃のお前、か」
先生達が少し眉を曇らせた。こういうところから、学園の人達の優しさがわかる。
「彼女はお前と似た環境で育ったのか?」
「そんな話はしたことがありませんが……個人的にはそうなんじゃないかと思います」
素直で、鈍感で、全てを額面通りにしか受け取れない――俺は、その性質を『馬鹿』だと揶揄されていた。その時の俺は本当に馬鹿で、それを言う人達の顔がいつでも楽しそうに笑っていたから、俺もつられて笑っていた。
そんな俺と、天川さんが、とても似ていると思っている。
「あの頃の俺がもし十五になるまであのままだったら、きっと死んでいます」
そう言うと、学園長は苦々しそうな顔でうーん、と唸った。そんな学園長を、この場にいる全員が注視している。
「……つまり、お前は彼女を放っておけないということじゃな」
「――そう、ですね。そういうことになります」
放っておけない、か。それは言い得て妙だ。今までの天川さんに対する俺の行動や感情に、上手い具合に当てはまっている。さすが。
俺の反応から、そんな風に軽く感動さえ覚えているのに気づいたのか、先生達の一部が苦笑していた。
「なるほど。わかった、お前の意見も考慮にいれよう。なんと言っても、今回のことで一番大変な思いをしているのはお前じゃしな」
「あ、ありがとうございます」
学園長は朗らかに笑って、話は終わりじゃ、と告げた。


多分誰も悪くないんだと思う。
天川さんを囲んでいる人達も、ただ恋に盲目になっているようなもので。天川さんの純粋さは忍者を目指す彼ら、特にプロに近いと言われる六年生には眩しくて、どうにか守っていきたいと思ってしまうのかもしれない。その感覚はわからないでもない。
三木ヱ門や孫兵、左近なんかが天川さんを嫌ってしまうのもおかしくない。だって彼らは天川さんに恋した人達に、多大に迷惑しているんだから。
一年生が先輩達がいなくて悲しむのも、当然のことだ。普段の日常が突然壊れてしまったんだから。
天川さんだって、しょうがないのだろう。最初ここに来た時は過剰に警戒され、警戒が解けたと思ったら生徒達に遠巻きにされ、しかもその相手のことを自分はよく知っている。どうにか好かれたい、好かれたら離れていって欲しくない。そう考えるのも自然なことだ。
――ただ、気になるのは。
――彼女の周りを囲むのが、彼女が物語で知っていただろう目立つ生徒だけで構成されているのは。
――それは天川さんが狙ってのことなのだろうか。



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