17



三木ヱ門が、濃い隈を作って部屋に戻ってきた。髪はボサボサ、眉間に皺を寄せて、こめかみに青筋さえ浮かべ、とてつもなく不機嫌な様子だった。驚き過ぎてなにも言えずに口をぽかんと開けている俺に、チッと一つ舌打ちして、三木ヱ門はいつになく低い地を這うような声で言った。
「来い。手伝え」
正直怖いんですけど、三木ヱ門さん。
彼はこの日、五徹目だったのだ。

無言で会計室に向かっていると、前からやってくる生徒や、庭から廊下を見た生徒達が、ぎょっとした顔をしてそそくさと逃げ出していくのを何度か見た。
俺的統計でいくと、ここまで機嫌が悪い三木ヱ門なんて一年に一回あるかないかだ。珍しい三木ヱ門が見れたと喜ぶ余裕もない。少しでも刺激したらすぐさま爆発するだろう。導火線などない、爆弾の中心に突如火が付く。俺ですら怖いんだから、みんなが逃げ隠れするのも当然だろう。
「……あー、眠い」
「お、お疲れ様ー……」
なんなのこの空気。泣きたい。
「今日はいつもより量あるから……」
「そうなの?」
三木ヱ門は一つ頷く。会計室に着いて、襖を開けると床に乱雑に積まれている帳簿と資料、書類の数々。四つの机のうち三つには、一年生二人と三年生一人が突っ伏していた。小さく上下する背中から、眠っているのがわかる。
こっちとこっちとこっち、とおそらく三木ヱ門の机の周りに置いてある三つの山を指さした。これを運ぶのかと思ったが、三木ヱ門がさっき量が多いと言ったのは覚えている。
まさか、とその三つ以外の山を見渡すと、軽く十を超える。
「この三つ以外を全部運ぶ」
うわーそのまさかだ。

一山を一回で運ぶわけで、二人でそれぞれ運んでも何回往復だよ、とうんざりしたが、この山々をすべて使って帳簿の整理をしていた会計委員達の方がかなり辛かっただろうなと想像できたので顔には出さないように努めた。
「三木ヱ門、疲れたでしょ。俺が片付けとくから寝てていいよ」
「それはだめだ……責任問題が……」
資料の重さでふらふらしている三木ヱ門を見ているとヒヤヒヤする。それでも真面目に仕事を終えようとするところがさすがだ。
これだけ長く委員会をやっていたんだから、しばらくは仕事はないだろうと考え、ゆっくり歩く。寝る時間はこの後十分あるだろうから、とりあえず三木ヱ門がこけないように気をつけておこう。
「葉太郎は、なにか予定はなかったか……?」
「大丈夫だよ。気にしないで」
ここで暇だから、とか言ったら怒りそうかなと思って当たり障りなく返す。
「あー……くそ、潮江先輩め……」
三木ヱ門が先輩に対して悪態をついたのに少し驚いた。……潮江先輩か。
「予算……ていうか、追加書類……あー……やってられん……図書室の……薬草かあ……」
「……み、三木ヱ門、ホントに大丈夫?」
ぶつぶつと気だるそうに呟きながら歩く彼の目は虚ろだ。思わず問いかけるとのろのろとこちらを向いたが、顔をしかめたかと思うと、どんっと肩を俺の腕にぶつけた。
「うおっ」
「背、高いんだよ」
「す、すみません……」
やっぱり疲れているからか大した衝撃ではなかったから特に問題なかった。それを見てか何度か連続でどんどんとぶつかってくる。もしかして見上げなければならないと再認識してイラッとしたの?どのタイミングで三木ヱ門を刺激するのか全然測れない。
会計の整理に必要な資料は図書室横の狭い資料室にすべて保管されており、それぞれ簡単に分類してある。三木ヱ門に分類して棚へ収める仕事を任せ、俺が会計室から運んでくる仕事をすることにした。この資料室をもっと会計室の近くに置くとかしてくれないかな、といつも思う。なんでも会計室にもいろいろ重要書類があるものだから、分けて置かないと機密漏洩の恐れ云々らしい。
会計室に戻る途中、たくさんの生徒達が天川さんを囲んで笑っているのを見かけて思わず立ち止まった。

今となっては、さすがに状況は大体わかっていた。
――多くの生徒が天川さんに好意を寄せて、放課後や休み時間もずっと彼女にくっついている。
善法寺先輩も、食満先輩も、竹谷先輩も、潮江先輩も、三反田も、富松も。六年生は全員、五年生はほとんど、四年生は滝夜叉丸と喜八郎、タカ丸さん。三年生は富松、次屋、三反田、浦風。二年生は時友、池田、能勢。一年生はそんな彼らに囲まれる天川さんにまともに近づくこともできずに遠巻きにして、恐れすら抱き始めているらしい。
いつも仲が良かった友人達がこぞって天川さんに群がって、左近はますます機嫌が悪いそうだ。委員会に先輩が一向に来る気配が無いと、この前のことで少し懐かれた用具委員の一年生が悲しそうにしていた。そろそろ学園の壁や備品の中に、使えなくなったものが目立つようになってきた。他の委員会もまともに活動していないと聞く。生物委員は竹谷先輩以外特に変わりないので、以前は不真面目にしていた俺が真面目に仕事すれば、だいたい埋まるようにはなっていた。

会計室に着いて、次の山を抱えようとした時、左吉が呻く声がした。机に伏して寝ているのだから心地も悪いだろう。一人ずつ上半身を倒してやり、多少なりともマシな体勢にしておいた。相当深く眠っているのか、三人とも目を覚まさなかった。
それから山を一つ抱えて会計室を出る。

孫兵はいつも通りの様子であった。この前まで竹谷先輩がやっていた狼達や鳥達の餌やりをする俺の隣で、ジュンコや他のペット達に餌をやる様子も、普段と同じだったように見えた。
三木ヱ門はこの状況をよく知らないはずだ。みんながおかしくなったのに俺が気づいた頃には、彼はすでに会計室に篭もりきりだった。他の会計委員もそうだろう。一年は組の生徒達がこんなことを言っていた。
――団蔵に話すの、嫌だなあ。あいつ、まだ何も知らないだろうから。

資料室では三木ヱ門が棚に資料を戻している最中だった。ここに置いとくよ、と言うと頷き一つが返ってきた。今運んだ山で半分くらい済んだ。あと半分。

昨日、用具委員の一年生達に、壁の修理を手伝ってほしいと頼まれた。前回のことで、さすがに人手が必要だと反省したのだろう。孫兵に頼んで一緒に手伝ってもらった。
生物委員は竹谷先輩がいなくなったら小屋の修理もまともに出来なかった。用具委員は後輩の教育を段階的に行っているから、一年生だけでも漆喰を練ることはできた。俺は三木ヱ門が壊した罰で漆喰を塗る経験があったので問題ないし、孫兵も先生の手伝いでやったことがあったらしい。高いところは俺と孫兵が分担し、低いところは一年生達が頑張っていた。
お喋りしながらほのぼのと続けていると、平太が笑った。
――委員会に先輩がいると、やっぱり心強いです。

次が最後の一山だ、と会計室に入った。
団蔵と左吉が目を覚ましていたらしく、まだぼんやりした声でぼそぼそと言い合いしていた。
「起きたなら部屋に戻ってもう一回寝たら?疲れてるでしょ」
「森林先輩……」
「うー……じゃあ、失礼します」
団蔵がさよなら、とふらふら部屋を出ていき、左吉もそれに続いてお疲れ様です、と言いながら長屋に向かった。
そういえば、と神崎が寝ていた場所に目をやると、彼はすでにいなかった。
まさか一人で帰ったのか、あの方向音痴が?
と思ったら彼の机の上に、『お先に失礼します』と書かれた紙が載っていた。そんなに礼儀正しい奴だったかと思ったが、隅の方に神崎だけではなく富松の名前が書いてあって納得。保護者が迎えに来たなら大丈夫か、と安心する。

昨日、漆喰塗りを終えて、俺と孫兵は飼育小屋で生物達に餌をやった。
いつも通りに見えた孫兵が、うさぎに餌をやりながら呟いた。
――森林先輩。あの人達、いつまでこんなことしてるつもりなんでしょうね。
その前に聞いた平太の言葉のせいだろうか、とちらりと思った。
委員会活動はほとんど機能していないと聞く。鍛錬する生徒の声も、先輩達の厳しく後輩を叱る声も、それに愚痴を零す下級生の声も、聞かなくなってきた。

すべての資料を片付けて、三木ヱ門と俺は部屋に戻っていた。
「部屋に戻ったら寝るんだよね」
「ああ」
「今回はどれだけ休めるの?」
そう聞くと、三木ヱ門はぴたりと足を止めた。
二歩ほど歩いて、振り返ると、すごく怒った表情で立っていた。あれ、俺まずいこと言ったの?
「……明日の放課後からまた再開だ、バカタレ!」
「え」
「生物委員は板材、作法委員はフィギュア、用具委員は漆喰と釘、火薬委員は湿気った火薬の交換、保健委員は薬草!!最近どの委員会も馬鹿みたいに追加予算を申請してきて!ふざけやがって、あーもう!!」
大声で早口にまくし立て、寝る!とだけ言って大股に歩き出す三木ヱ門を慌てて追う。
――どこの委員会も、先輩がいなくて困ってるんだよ。三木ヱ門だって、潮江先輩がいないからこんな風に余裕が無いんだよね。
――本当に、あの人達は何をしてるんだろうね。



前<<>>次

[19/55]

>>目次
>>夢