16



あれから二日経った。小屋の修理は昨日終わり、生物達もすべて小屋に帰した。そういうわけで、今日は三日ぶりに委員会がない暇な放課後だ。しかし三木ヱ門の方はなにやら委員会が大変なようで、彼が部屋に戻らなくなって三日目だ。徹夜ももう二回していることだろう。その間ろくに彼と話していない。
部屋で手裏剣の手入れをしていると、ばたばたと足音が近づいてきて、バンと襖が開いた。
「おい葉太郎!」
「三木ヱ門?」
部屋に来たのは三木ヱ門で、明らかにイライラした様子だった。自慢の髪は少し乱れ、目の下に隈が出来ている。完全に委員会期間中の三木ヱ門だ。
「どうしたの?」
「生物委員の板材の追加申請ってなんだ!板材はこの前ちゃんと必要量あったはずだぞ!」
「え、ああ。ごめん。慣れてないからいくらか駄目にしちゃって」
「こういうことは予算内でやりくりしろ!次の予算は半減どころか四分の一くらいにしてやる!」
「ええー!それは困るよ!次から気をつけるから!」
「うるさい!ったく、こっちはこんなことしてる場合じゃないのに!この忙しい時に時間をとらせないでくれ!」
わかったな!と怒鳴って三木ヱ門は襖を開けたままでばたばたと出ていった。会計委員の仕事の中に、必要以上の出費を出した相手に忠告をしに行くというものがある。さっきのはこれだ。
相当怒ってたな、あれは。そりゃ失敗しちゃった俺も悪いけど、あんなに怒らなくてもいいのに。あ、でも徹夜続きの三木ヱ門っていつもあんな感じか。感情の起伏が激しく、それを全く隠さず露呈するような感じで、上手く制御出来てないのだろう。
「疲れてるんだなー……」
なにか手伝いたいけど、責任問題になるから帳簿の作成なんかの手伝いは出来ない。
手裏剣を片付けて、三木ヱ門が開けたままにしている襖から外へ出た。ちょっと散歩している間になにか良い思いつきでもしないかと思って。

「うああああんっ!!」
散歩しているところに、急に甲高い声が聞こえて、驚いて足を止めた。
「泣き声?」
まだ止まないこの声は、高さ的にも一年生か二年生くらいだろう。声の聞こえる方へ走って向かうと、井桁模様の小さい影が三人集まっていた。
「いたいよおお」
「平太、大丈夫!?」
「ごめんねえ平太、ごめんねえ……!」
「どうしたの!?」
大声で泣いているのはろ組の平太だった。慰めるように寄り添っているのはは組の喜三太、しんべヱ。用具委員の一年生達だった。
「、森林先輩……!」
「平太が!」
「平太、どうした?大丈夫?」
「ふえええ」
背中をさすりながら聞いてみても、泣くだけで何も言わない。
「何があったの?」
「平太、壁から落ちちゃって!」
「僕らが先に始めちゃおうって言ったから……平太ごめんねえ!」
他の二人の話も要領を得ない。こちらももらい泣きなのか目に一杯涙を浮かべて今にも泣き出しそうだ。この状況で泣かれるとどうしようもない。
「とにかく、怪我したかもしれないから医務室に行こう!」
『は、はいっ』
平太を抱っこして抱え、しんべヱと喜三太と一緒に医務室に向かった。改めて場を見ると、高い脚立が倒れており、粘土状に練られた漆喰が地面に散らばってこぼれていた。漆喰がついたコテと板が三つずつ、綺麗なままのそれらが二つずつ残っていた。

医務室に着くと、しんべヱが襖を開けてくれた。中には一年の乱太郎、伏木蔵と二年の左近がいた。ばたばたと入ってきた俺達に驚いたように瞬きしていたが、未だ声を上げて泣いているままの平太に気づいてすぐに表情を強ばらせた。
「どうしたんですか!」
「なんか、平太が落ちたらしいけど、俺もよくわかってなくて」
ゆっくり平太を床に下ろすと、クラスメイトの伏木蔵が心配そうに近寄った。
「しんべヱ、喜三太、説明して?」
乱太郎が二人に問いかけると、ここに来るまでにいくらか落ち着いたらしい二人がわたわたと説明しだした。
どうやら一昨日富松に頼まれて下ろした漆喰は、今日使うことになっていたらしい。放課後になって一年生達がそれを練って富松に知らせると、じゃあ今からやろうということになった。富松が食満先輩を呼びに行くというので少し待っていたが、全然戻ってくる気配がなく、しびれを切らしたは組の二人が、一年生だけで始めようと言い出したらしい。平太はそれを止めたけど二人は大丈夫だと言って脚立を立て掛けた。は組の二人では心配だと思ったのか、高いところは僕が、と平太が立候補した。しばらく作業していると、平太がバランスを崩し、脚立が倒れて落ちてしまい、泣き出したところに俺が通りかかったということだった。
話を聞きながら左近が平太の装束を脱がせて様子を見ていたようで、打ち身と擦り傷がいくらかだと言った。軽い怪我だから、驚いてしまったのかもしれないなと判断していた。
「乱太郎、冷やす用の水を汲んで来い。伏木蔵は僕と軟膏の準備だ」
左近が指示を出し、保健委員の二人がはい、と頷いた。
「俺も乱太郎を手伝うね」
「僕も手伝う!」「僕も!」
「お前達はまず恰好をどうにかしろ!漆喰をべたべた付けて、不衛生だ」
俺に続いて名乗りを上げたしんべヱと喜三太は左近に一刀両断されて落ち込んでしまった。
「じゃあ二人は一緒に行こうね。帰り道手伝ってよ」
乱太郎が苦笑しながら言った。しっかりしている子だ。
桶を二つ抱えて井戸に行き、しんべヱ達が腕や足を洗っている横で桶に水を貯める。
「乱太郎」
「なんですか?」
「今日は一、二年生の当番だったんだね。四年生がばたばたしちゃって情けないねー」
「いいえ!先輩がいなかったら三人とも元の場所で泣いてただけだと思いますから、助かりましたよ」
「そうですよ!」
「僕ら、どうしていいか全然わかんなくて困ってたんです!」
三人ともそう言って笑ったが、正直あんなに泣いてる子どもをどうすればいいかわかってなかったのは俺の方もだった。
桶を抱えて戻ると、平太はもう随分落ち着いたようで、少しぐずぐずとしていたが、俺を見上げて眉を下げて小さく笑ってみせた。
「森林先輩……ありがとうございました……」
「ううん。びっくりしたよ、平太があんなに泣くから」
「すみません……」
大丈夫だよー、と返して、左近にどうなのかと聞くと、軟膏も塗ったし、冷やせば問題ないです、と手拭いを二枚水に浸しながら言った。
「左近手際いいねー」
「別に普通です」
感心して言うと、それだけ返ってきた。
「一、二年生だけでもちゃんと処置出来るんだ。善法寺先輩と三反田も安心だねー」
そう言うと、保健委員の三人は俺の方をちらりと見て、それぞれ変な反応をした。伏木蔵は小さく苦笑して、乱太郎はありがとうございますと言いながら目を伏せ、左近は無言で平太の背中に冷たい手拭いを当てるだけだった。
「どうしたの?」
しんべヱが首を傾げて言った。正直この空気をどうしようと焦りを感じた俺はこの言葉にすごくほっとした。
「……最近、二人とも医務室に来なくて」
「乱太郎っ」
左近が諌めるように声を上げた。乱太郎の言葉は、部外者四人を驚かせるに十分なものだった。
「二人って、善法寺伊作先輩と三反田数馬先輩?」
「うん」
喜三太の言葉に伏木蔵が頷く。
左近が苛立たしそうに言った。
「あんな人達、来たってどうせ薬草の調合失敗したり、ろくなことしないんだから。来ない方がマシだ」
「左近先輩……」
その言葉に、他の子達は悲しそうに俯いた。左近自身もイライラというよりは寂しそうな顔をしているのに、俺でも気がついた。
「昨日だって、怪我人が出たって呼びに行ったのに、三人で対応できるだろって。無責任でしょ、委員長のくせに!」
「善法寺先輩がそんなこと言ったの?」
信じられないが、左近は少しためらう様子を見せてから、こくりと頷いた。
「……食満先輩も……」
平太が小さな声で言った。
「食満先輩かあ……」
「最近、様子が変だよね」
しんべヱと喜三太が言う。
「変って?」
「これ使って良いか、これやっていいか、って聞くんだけど、全部『お前らも用具委員なんだから、勝手にやっていい』って言うだけなんですー」
左近に答えた喜三太の言葉に、今度は保健委員の三人が驚いた。この前食満先輩と話した俺は、なんとなく予想できていたのであまり驚かなかった。
「生物委員はどうなんですか?」
しんべヱが聞いて、他の子達も俺を見上げる。不安そうな表情は、つい嘘をついてあげたくなるくらい。
「……残念ながら、うちの竹谷先輩もそんな感じ。何を聞いてもぼやっとしてて。孫兵とも喧嘩別れみたいになっちゃってるし」
みんなはその答えに肩を落とした。
「……先輩方、どうしちゃったのかな」
全員の心情を代弁するような、乱太郎の言葉だった。



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