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やっぱり何かおかしい。
虫達の脱走や小屋の修理に見向きもしない竹谷先輩のことを三木ヱ門達に話すと、三木ヱ門は嫌悪感を滲ませて顔をしかめ、孫兵は眉をひそめて何事か考え込み、一年生達は顔を見合わせて首を傾げた。
とりあえず修理を始める許可はとったので俺達だけでやろう、ということになって用具倉庫に行くと、確かに板材は倉庫の壁に立掛けられていた。食満先輩のところへ行くと、しんべヱがいるなら勝手に持っていって良いと言われたので、管理が杜撰すぎると思いながらそうした。ついでに工具もそのまま借りた。
慣れないながらも修理をしていると、富松が慌てて走ってきて、ちゃんと手続きをしてもらわないと、と怒られた。食満先輩の話をすると、目を丸くしてから眉を下げ、すぐに毅然とした態度に戻って、規則なのでと書類の記入を促した。その後修理は途中で切り上げ、明日続きをやろうということにして、その次の日。三木ヱ門が引き続き手伝ってくれているところに、会計委員会顧問の安藤先生が走ってきて言った。
――なにをしてるんです!会計書類が大量に溜まってるのですが!
そういえばしばらく会計委員の活動がなかった。

ばん、ばんと力を入れて叩いても揺れなくなった。これで壁の役割は果たすだろう。
「とりあえずこれでいっか」
「今日はここまでですかね。屋根は明日やりますか」
「明日もやるんですかーっ?」
「疲れた……」
「ごめんねー、手際悪くて」
三治郎と孫次郎の言葉に苦笑すると、一平がそんなこと、と言って言葉を止めた。やめて、それ全くフォローになってない。
夕食時近い時間になってようやく壁の修理は終わった。といってもこういう修理は基本竹谷先輩が作業し、俺は力仕事ばかり担当していたから、見よう見まねであったが。おかげで貴重な板材をいくらか無駄にしてしまったし、釘の位置がわからなくていたるところに打ち付けたので、かなり不格好なものになってしまった。
「……竹谷先輩、今日も来ませんでしたね」
虎若が呟いた。その言葉に場の空気が重くなる。俺は昨日の様子を見ていて、竹谷先輩は来ないだろうと思っていたし、みんなにもそう伝えたが、やっぱり未練はある。作業の効率云々以前に、この委員会には委員長代理のあの人がいないと締まらない。
「後で竹谷先輩にお願いしに行こうか。明日は手伝ってくださいって」
『はいっ』
一年生達の元気な答えに一つ頷いて、孫兵に声をかけた。
「孫兵、工具返却に行こー」
「はい」
一年生達には解散を告げて、二人で用具倉庫に向かった。用具委員といえば、昨日の食満先輩と富松の食い違いはなんだったのか。
少し予感はしているのだが。
用具倉庫に着いて、中に声をかけると富松が出てきた。
「これありがとう。明日も取りに来るけど」
「お手数おかけします」
貸し出し表の記入を済ませていると、あの、と小さな声がかけられた。
「先輩、ちょっとだけいいですか?」
「俺?なんで?」
「頼み事が……いえ、ダメなら良いんですけど!」
「大丈夫だよー。なに?」
尋ねると、富松はほっとしたように息をついた。
用具倉庫の中に案内されて、棚の一つを指してこれなんですけど、と言った。
「上の方の物がとれなくて、困ってるんです。とってもらえませんか?」
「そんなこと?」
思ったより簡単で可愛らしいお願いだと思ってくすくす笑うと、なんで笑うんすか、と眉をひそめられた。
そうか、食満先輩と俺はだいたい同じ背の高さだから。
「作兵衛、わざわざ森林先輩に頼まなくても、踏み台とかないの?」
「低い踏み台しかなくてよー。上級生しか使っちゃ駄目なものではあるんだけど……」
「え、それ勝手にとっていいの?」
上級生しか使えないということは、管理は食満先輩に一任されているはずだ。そうなんですけど、と富松は気まずそうにしてから。
「それがないと塀の修理が……漆喰の粉なんです」
「食満先輩の指示は?」
「……勝手にやっていい、と言われたので」
昨日と同じ返答だ。
一体彼は――"彼ら"は何を考えているんだろう。

三木ヱ門は会計室に篭っているようなので、一人で食堂に向かった。一年生達と竹谷先輩に会いにいく約束だったので、途中で四人と合流する。
食堂に入ると結構混みあっていて、普段人の少ない時間を狙って来る俺は、うえーと思いながらおばちゃんに注文して盆をもらう。
席を探すと孫兵が一人で六人用の机を占拠していたのを見つけた。
「孫兵、なに一人で使ってるの」
「失礼ですね、先輩達が来ると思って席取っておいたんじゃないですか。ジュンコに感謝してください」
机の上にだらーっとジュンコが伸びているため、座りたくても気分的に座れない感じになっている。毒蛇が伸びてる机でご飯なんて、生物委員とはいえど俺でも少し嫌だし、一年生達に至っては盆を持ったまま立ち竦んでいる。
ジュンコがどけてくれた机を布巾で拭いて、やっと席についた。
「森林先輩、竹谷先輩にはいつ会いに行きますかー?」
三治郎の言葉に、そうだなーと少しぼんやりすると、孫兵が冷めた声で言った。
「あそこに居るから、食べ終わった後にしたら?」
あそこ、と指した先は、五年生と六年生が集まって大所帯になっている机だった。ちらほらと紫と萌黄の装束も見える。
「うわー」
「あそこの威圧感すっごいね」
「なんだか怖いねー……」
「六年生と五年生のほとんど全員がいるんだから、当然だよ」
一年生達がひそひそと話している。俺は孫兵に目を向けた。
「なにあれ」
「仲良く天女様とお話し中ですよ」
じとっと睨むような目で孫兵が言った。なんだか不満げ、というか不機嫌そう。
再度目を遣ると、十数人の男達に囲まれて埋もれそうな天川さんを見つけた。ぱっと見で全然気づかなかった。
「さっき食堂に入った時に、あの人が悲鳴みたいな声上げたんですよ。曰く食堂に毒蛇なんか連れ込まないでって。今までそんなこと言われたこと無いし、ジュンコだってちゃんと体洗ってから来てるんですよ」
体洗ってから来てるんだ。初めて知った。まあ衛生的に当然か。
「なのにあそこの奴ら何て言ったと思いますっ?」
「先輩達に向かって奴らって言うのやめた方が」
「『姫美さんが怖がるからジュンコは外に置いてこい』ですよ!」
「え?」
それはおかしい。天川さんが怖がるっていうなら天川さんがこっちを見なければ良いだけの話だ。そんな感情的な意見を聞かされたらそりゃ孫兵だって怒る。
「だったらその言葉でジュンコが傷ついたからそっちが出て行けって言いたいですよ」
「あんまりそういうこと言っちゃ駄目だよー、孫兵」
正直でブレないところは孫兵の美点だが、角が立つような言葉は世渡り的にやめた方がいい。俺が言える義理じゃないけど。
でも結局無視してジュンコを連れ込んでいるわけなので、怒り心頭というほどではないようだ。そこで本当にジュンコと引き離されたら、今頃激怒していることだろう。
とりあえず全員が食べ終わってから、竹谷先輩に声をかけた。少し眉を寄せたが、すぐに席を立って食堂を出てくれた。あの大所帯の中に食事中の者はいなかったので、食後のお茶を飲みながら雑談していただけだったようだ。
「なんだ、お前達」
竹谷先輩の問いかけに、一年生達がこぞって意見を訴えた。
「竹谷先輩!明日は委員会来てくれますか?」
「先輩が来てくれないと困ります!」
「作業が進まないし!」
「明日は屋根の修理をするんですよ!」
「森林先輩の直した壁、すごいことになっちゃいしたよ?」
「ちょっと孫次郎?」
「森林先輩だけじゃ不安ですよ!」
「三治郎も酷いってば」
「竹谷先輩なんで今日来なかったんですか?」
「僕達待ってたのに」
孫兵は黙ったまま竹谷先輩をじっと見ていて、俺は竹谷先輩に今までの貸しがあるため何も言えない。
一年生達の言葉に眉を下げて困った顔をした竹谷先輩は、彼らの主張が一通り終わったのを見計らってうーん、と唸った。
「ごめんなあ、お前達。大変だったんだな」
『!』
その言葉に、みんなはぱっと表情を明るくした。
「でも」
と竹谷先輩が続けた。
「すまんが、明日も多分行けそうにない」
「え」「なんでですか!」
「なんでって言うかなー……」
歯切れ悪そうに目線を泳がせる竹谷先輩と、そんな先輩を見つめる後輩達。
「今はそれより大事なことができたから」
竹谷先輩は申し訳なさそうにそう言ってから。
――ぼんやり何かを思い出すようにして幸せそうに小さく笑った。
「……竹谷先輩」
「なんだ、孫兵」
今まで黙っていた孫兵が、心無しか低い声で言った。
「さっき、ジュンコのこと、なんで庇ってくれなかったんですか」
さっき、というのはジュンコを外に置いておけというあの話だろう。竹谷先輩は気まずそうに目を逸らして、すまん、と一言謝った。
「……変わったのは竹谷先輩の方だったんですね」
「え?」
「"天女"に惚れておかしくなったのは貴方の方だったんだ」
孫兵はそれだけ言って、無言でその場を後にした。一年生達はそんな彼を驚きと心配のこもった目で見送った。
――先輩が変わってしまったんじゃないかと少し不安だったんですよ。
――『あいつは天女に惚れたのかもしれん』とか言うから。
孫兵は人知れず不変を望んでいたのかもしれないと今更気づいた。
孫兵は去り際、竹谷先輩を悲しそうに睨みつけていた。


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