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食堂の近くを通りかかった時、竹谷先輩達五年生の五人とお喋りしている天川さんを見かけた。
最近天川さんが随分学園に馴染んできて、俺も安心である。俺が天川さんに忠告というか助言というかをしてから三日ほど経ったが、天川さんはそれまでが嘘のように学園の生徒達と仲良くなっていった。やっぱり意識の違いだったのだろうかと思う。彼らが天川さんを避けていたのは、単に自分のことを見ているようで見ていない違和感が気持ち悪かっただけなのだろう。
天川さんの手伝いをするのは専ら仲良くなった生徒達になり、俺のところへ天川さんが来ることもほとんどなくなった。そもそも仕事にも慣れてきたようで、本当に学園の一員という感じだ。たくさんの生徒と楽しげにしている様子は、見ていて微笑ましい。


三木ヱ門のサチコとの練習に付き合っていた。 その命中率の高さを見ていると素直に尊敬できるし、 火器の爆音と高速で射出される弾を見るのはすかっとして好きだ。
「よーし、いいぞサチコ!今日は良い石火矢日和だから、機嫌がいいな〜!私も嬉しいぞ!」
まあ、この成功する度にサチコに語りかける様を見るのは少し複雑な感じもするが。彼のこういう面は嫌いじゃないが、いかんせんたまに本物の恋人のように見えて困る。何が悲しくて無機物に嫉妬なんかしなければならないのか。
「サチコ今日も調子いいねー。さすが」
だからたまに俺も適当に声をかける。案外この行為をしていると本当に石火矢が子どものように見えてくる時がある。今は三木ヱ門より何倍も軽い愛情だろうが、いつか三木ヱ門と同じように彼の火器を愛せるようになれれば嬉しいなと思ったりする。そんな話を滝夜叉丸や孫兵などにするとドン引きされるけど。
そんな風にほのぼのと火器の爆音を響かせているところに、ぱたぱたと小さな足音が二つやってきた。
「森林先輩ー!」
「どうしたの?一平、孫次郎」
生物委員の後輩の二人だった。
「あの――」
三木ヱ門がまたお構いなしにサチコをぶっぱなしたせいで、一平の声が途切れる。
「すまんすまん。火をつけたあとだったから」
苦笑する三木ヱ門に、大丈夫だよ、と返していると、先輩!と一平に怒られた。
「そんな呑気にしてる場合じゃありません!毒虫達が逃げちゃったんです!早く探しに行きますよ!」
「えー面倒くさいー」
「ダメですよ先輩っ」
孫次郎にしては珍しく語尾が少し強めだった。そんなに慌てなくても、どうせすぐに孫兵や竹谷先輩が見つけてくれるだろうにと呑気に思う。
「逃げたのはドクガの与一、チャドクガのヨーコ、ツチハンミョウの妙子、……」
と、一平と孫次郎が軽く二十匹近くの名前を挙げた。最初は淡々と聞いていた俺と三木ヱ門だったが、十過ぎたあたりからだんだん不安を感じ始め、これで全部です、と言われた頃には眉を寄せてしかめっ面になっていた。
「なにそれ、多すぎない?」
「伊賀崎先輩は既に探しに出てるので、先輩もよろしくお願いします。毒のない虫は一年生で探すので」
「まだ逃げてるの!?」
なんでそんなことに、と言うと孫次郎が簡単に説明した。どうやら一年は組の生徒達が小屋の近くで鬼ごっこをしていたとき、小屋にぶつかった衝撃で中の虫かごの山が崩壊、蓋が開いてばらばらと飛んでいったらしい。
「これだからは組は!」
「ということなので、僕らは組のみんなと一緒に探してますね……」
「そっか、了解。さすがに俺も手伝わないとだねー」
思ったより大変なことになっていたらしい。面倒くさいとか言っている場合ではなさそうだ。
一平から虫かごと虫取り網を受け取りながら、先ほど名前の出なかった先輩のことを聞く。
「竹谷先輩は?」
『……』
すると二人は顔を見合わせて、少し困ったような顔をした。疑問に思っていると、一平が言いにくそうに答えた。
「竹谷先輩は、今手が離せないとかで……」
「え。さっき天川さんとお喋りしてたの見たけど」
「天川さんのお手伝いしてるんです」
「頼んだんですけど、ごめんなって断られちゃいました……」
あの竹谷先輩が、委員会よりも天川さんの手伝いを優先するとは思いもしなかった。
「あの人なら仕事にも慣れただろう、手伝いなんて必要無いじゃないか!」
三木ヱ門が憤って言う。
「三木ヱ門、今言っても仕方ないよ。それに、この前まで天川さんの手伝いで委員会出なかったのは俺だからなー。しょうがない、俺が代わりに竹谷先輩の分も働かなきゃね」
「お前は世話係って決められたんだからしょうがないだろ」
「実際竹谷先輩は俺の分働いてくれてたろうから、とやかく言えることじゃない。一平、孫次郎、伝えに来てくれてありがとねー。すぐ集めて戻るから」
はい!と元気に返事をして走っていった二人を見送って、俺もと立ち上がった。
「何か手伝おうか?」
「ありがと、けど慣れてない人が毒虫収集は危ないからいいよー」
三木ヱ門が申し出てくれたが、そう断る。少し残念そうにした。
「そうだ、じゃあ小屋の方見ててくれない?話を聞くと、随分耐震がなってないみたいだから、俺達が戻るまで人を近づけないようにしてもらえると助かる」
「わかった」
三木ヱ門が頷いたので、よろしく、と頼んで急いで駆け出した。虫達はすぐに学園の外に逃げ出してしまうから、時間との勝負なのだ。
途中で竹谷先輩が楽しそうに友達や天川さんと洗濯物を干してるのを見かけた。

やっと全部の毒虫を捕まえたのは一刻近く経った後だった。孫兵と一緒に小屋の前に戻ると三木ヱ門と一年生数人が残っていた。
「全部見つかりましたか?」
「うん、ばっちりだよー」
一平にそう返すと、よかったあと一年生達が喜んだ。
「すみません、私がぶつかっちゃって……」
「乱太郎かあ。相変わらず不運だね」
偶然ぶつかったら一瞬のうちにぶわっと虫が逃げ出したんだからさぞかし壮観だったことだろう。
「大丈夫だよ、全部見つかったし。それに、小屋の修理をまともにしてなかったこっちの責任だしね」
そう慰めると、他の一年生達もそれに続いて慰め始めた。それを見ながら小屋の壁に触って軽く押してみる。ほとんど抵抗なくぐらっと傾いた。
「なんだ、それ。全然壁の意味が無いぞ」
「会計委員の予算編成が問題なんじゃない?」
「私に言うな」
三木ヱ門が肩をすくめた。
「孫兵、この前修理するって言ってなかったっけ?」
「その予定だったんですけど、なんか竹谷先輩が全然その話をしないのでよくわかりません」
「俺も何も聞いてないなー」
「僕らも聞いてませんよ」
一年生がそう言った。乱太郎と一緒に残っていたきり丸としんべヱも当然知らないと言う。
「竹谷先輩なにか言ってた?」
「板材がないので、用具委員に申し立てたら発注に時間がかかるって言われたと」
「じゃあそれを待ってる状態ってことかー」
「板材ならもう来てますよお」
しんべヱが言った。え、と聞き返すと、だからーともう一度。
「一昨日、生物委員会宛の板材を僕らが用具倉庫に運びました!」
間違いありません!と言う。それじゃあもう小屋の修理は始められる状態なんじゃないか?
「どういうことでしょう?」
「うーん……工具も用具委員に貸し出してもらえるはずだし、一刻も早く取り掛かるべきだと思うけど」
「勝手にやるのはまずいだろ。竹谷先輩に確認してきたほうがいいんじゃないか?」
三木ヱ門がもっともなことを言うので、じゃあ聞いてくるよ、とその場を離れた。
既に洗濯物は片付いたろうから、とりあえず食堂に向かうと、案の定食堂の席についてまったりしている五年生達を見つけた。
「竹谷先輩!」
「葉太郎じゃないか。どうした?」
「飼育小屋の修理のことなんですけど」
「ああーあれな」
その竹谷先輩の反応に違和感を覚える。
「しんべヱによると、一昨日板材は届いたらしいんですけど」
「そういやそうだっけ」
「しっかりしてくださいよー。今日虫達が逃げたのも小屋が問題だったんですから」
「あー」
なんだか釈然としない反応ばかり返ってくる。どういうことだ、と思いながら口を開こうとした時。
「あっ葉くん!」
「天川さん……」
調理場から湯呑を運ぶ天川さんと急須を運ぶ鉢屋先輩が出てきた。
「葉くんもお茶飲む?今煎れたところなの」
「いえ、急いでいるので」
「森林冷たいぞ。ちょっとくらい飲んでいけばどうだ」
鉢屋先輩が言う。非難の色が見えた気がして思わずその目を見るが、彼はそんな様子を微塵も見せずに急須を机に載せた。
「ホントにそんな暇ないので。竹谷先輩、小屋の修理は始めてもいいんですか?」
「ああ、別に良いぞ」
「そうですか。じゃあ行きましょー」
そう言って食堂の出口に向かうと、えっ、ととぼけた声がした。
「俺も?」
「はあ?」
竹谷先輩がきょとんとした表情でそんなことを言うので、思わず失礼な態度で目をやってしまう。
「何言ってんですか。先輩いないと無理ですよ、俺慣れてませんもん」
「いや、大丈夫だって葉太郎なら。結構器用じゃん」
「そういう問題じゃないでしょ。というか、先輩今暇じゃないですか」
「暇じゃねーって」
「どの辺がですか」
イラッとして言うと、竹谷先輩はさも当然のような顔で。
「だって、見ての通り、今から姫美さんのお茶飲むし」
――……は?
思わずそうですね、と返す。だろ?と笑い、竹谷先輩は俺にひらひらと手を振って天川さんの方を向いた。

ここにきて初めて、何かがおかしいことに気が付き始めた。



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