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いつもの時間に夕食のため食堂に行くと、天川さんが配膳の手伝いをしていた。少し遅めの時間だと配膳の仕事は手が空くようになるので、天川さんは俺と三木ヱ門を見てにっこり笑った。
「葉くん、三木くん!いらっしゃい」
注文をしてから盆を受け取り、三木ヱ門は席に向かったが俺は天川さんの名前を呼んだ。
「話があるんですけど風呂の後に部屋に行ってもいいですか?」
「え?」
なぜか三木ヱ門が真っ先に反応した。天川さんは少し眉をひそめて、小さく頷いた。
「あー、うん、わかった」
「は?」
「じゃあ待っててくださいね」
それだけ言って席に向かおうとすると、目と口を大きく開いて立ち竦んでいる三木ヱ門がいた。先に席に行ったと思ったから少し驚く。
「どうしたの、三木ヱ門。先に席ついてたらよかったのに」
「何、お前あの人の部屋って、なにしに行くの」
「だから、話があるんだって。あ、遅くなるかもだから先に寝てていいよ」
「はあ!?」
三木ヱ門がやたらと目を瞬かせたり口を開いたり閉じたりと忙しない。普段ならどうしたの、とからかうように聞くのだけど、今はそれより気になることがあって。

何故かその後ずっと不機嫌そうにしていた三木ヱ門が、ふて寝するような勢いで風呂から戻ってすぐ布団に入ってしまったので、おやすみーと伝えてそのまま部屋を出た。
おやすみにはかなり早い時間だが、まあ三木ヱ門は二撤明けなのだから疲れているのだろう。寝る邪魔にならなくてむしろ良かったかもしれない。
天川さんの部屋は、監視が解けたため六年長屋の端から教職員の長屋へと移った。両隣が先生達に挟まれている一人部屋だ。もしかしたら、まだ完全には疑惑の晴れていない天川さんのこと、万が一を考えての配置なのかもしれないなと今になって気付いた。
これも俺が今少し天川さんに不信感を抱いているからかもしれない。
「天川さん、森林です」
「葉くん?」
どうぞ、と促されたので部屋に入ると、寝間着に着替えた天川さんが珍しく不安げな表情をしていた。
「こんな時間にすみません」
「ううん。いいの。話があるんだっけ」
どうやら内容に心当たりはあるようだ。まさか思いつかないなんて言われたらと思っていたけど、そこまで鈍感ではないようだった。
「では単刀直入に聞きますが、昼間のアレはなんだったんですか」
「やっぱり気づいてた?」
「そりゃ気付きます」
天川さんは困ったように眉を下げて笑った。
「どうしてあんな嘘を――いえ、今はそれは置いておきましょう」
個人的な感情は後回し。先に問題なのは、別のことだろう。
非難するような目を向けると、天川さんは悲しげな顔で俯いた。
「どうして富松のことを知っていたんですか?」
誰かに話を聞いたならそれでもいいだろう。しかし彼女の説明は嘘だったのだ。
「だから、しんべヱくん達が……」
「彼らに聞きましたが、あんたが委員会のことをよく知らないだろうと思ってその話はしなかったと言っていました」
「……」
まだ嘘をつく気だったことで、さらに天川さんに対する疑念が強くなる。彼女は嘘のつけない人間だろうという判断は正しかった。しかし彼女は嘘のつかない人間だろうという判断は誤りだったようだ。
「葉くんは私のことを疑ってたんだね」
「疑ってたとかいう話ではないでしょう。むしろ俺はあんたを信用していた。けど、疑問に思ったから確認をとったんです。あんたが嘘をつくなんて思いたくなかったけど」
あの、心底苛立ったような顔に驚きと、少しの不信を抱いて。それでも、本当に確認だけのつもりだったのに。
裏切られた、はこっちのセリフだ。
「天川さん、あんたは何者なんですか」
天川さんは何も言わずに黙り込んでいた。
しばらく待ってもそのままだったが、俺は促すこともしなかった。なんにせよ彼女が話すまで待つつもりだったし、彼女に自発的に話して欲しかった。
俺は今になっても彼女を信じていたい、甘い考えの持ち主だからだ。
「…………あのね、葉くん」
天川さんは呟くように小さな声を出して、顔を少しあげた。
「私、寂しいの」
「……あんたに不信感を持つ生徒達のことですか」
「ううん、そうじゃなくて」
予想していたのとは違う、否定が返ってきた。眉をひそめると、彼女は不安そうに俺の顔を伺った。
「ねえ、私またあなたに嘘だと思われるようなことを言うけど、信じてくれる?」
「内容によります」
天川さんは悲しそうに目を落とした。でも、と続けると顔をあげた。
俺は微笑んで言った。
「俺はあんたを信じたいと思っています」
天川さんは目を大きく見開いて、それから嬉しそうに微笑み返した。

話を全て聞き終えて、孫兵や竹谷先輩の言葉の意味がなんとなくわかった気がした。
『気味が悪い』『なんとなく変な感じがする』。
天川さんの態度の中に、彼らはちょっとした違和感をちらちらと垣間見たのだろう。三木ヱ門も天川さんのことがあまり好きではないようだったが、それも同じ理由だろうか。
――彼女は彼らのことをよく知っていたらしいのだ。
「つまり、あんたはこの忍術学園のことを、物語の舞台として知っていて、その登場人物の生徒のことも、性格や人となりまで知っているんですね」
「うん。もちろん知らない子もたくさんいるんだけど」
ちなみに俺は知らない子に入るらしく、三木ヱ門は知っている子に入る。
「富松も知っている子?」
「うん。あと、一年は組は全員知っている子」
「それはどういう線引きなんでしょうか」
「さあ……わからないけど」
適当に生徒の名前や先生の名前を挙げると、知っていると知らないがだいたい五分五分くらい。思ったより大人数を知っているようだった。
「比較的目立つタイプの人間が多いみたいですね」
「そうなの?」
「物語の登場人物というなら、思えば当然ですね」
我ながらこの線引きが正しいような気がする。そもそも物語だなんて信じられないような話だが。
「なんだかね、私はみんなのことをよく知ってるのに、相手は私のことを何も知らないってこととか。まして避けられてるみたいで、悲しくて。それで最近はイライラしちゃってたの」
天川さんは悲しそうに言う。なるほど、昼間のあの顔はその苛立ちの発露ということか。天川さんも流石に疲れたのだろう。
「でも、それは当り前のことじゃないですか」
「頭ではわかってるんだけど……」
「ま、そうですよね」
とはいえ、自分の全く知らない人間が、事前に自分のことを名前だけでなく性格や癖なんかまで知っていて気味悪く感じない人間の方が少ないだろう。まして忍者のたまご、自分の情報を知られることは決して良いことではないと思っているだろうし。
「……どうしたら仲良くなれるだろう」
しかし天川さんは本当に彼らと仲良くしたいだけなのだ。今まで俺や先生達に何も言わなかったのは、それによってみんなに嫌われたくないというだけだったと語った。
「……天川さん」
「なに?」
「あんたは確かに物語の中の彼らを知っているでしょうけど、あんたは実際の彼らを知っているわけじゃない」
そう言うと、天川さんは首を捻った。よくわからないのだろう。
「逆に、実際の彼らと知り合いの俺は、物語の中の彼らを知りません」
「でも、それは同一人物でしょ?」
「では物語の中の彼らは、天川さんのことを知っているんですか?」
天川さんは首を振った。そういうことだ。
「あんたがこれから仲良くなりたい彼らは、物語の中ではなく、実際に今あんたと同じ場所にいる彼らです。あんたは物語の中の彼らばかりを見て、実際の彼らを見ることが出来ていないのでは?」
「……わかるような、わからないような」
天川さんは顔をしかめて呟く。これは感覚の問題だから、天川さんは簡単にはわからないかもしれない。ここが物語の中だと言われたからこその感覚なのかもしれない。
――本当の、俺の知っている彼らは、物語として平面上に表せるような人達ではない。何回も同じ日々を繰り返し、ずっと馬鹿ばかりやっているような人達でもない。
――もっと生々しく、複雑な、生身の人間だ。
そんな感覚。
「俺は天川さんが学園に溶け込んで、仲良くやっていければいいなって思ってるんです」
「ありがとう」
「だから、どうかもっとゆっくり彼らのことを知って、あんたのことも彼らに教えてあげてください。そのための協力も、できることならなんでもします。それまで寂しい思いもさせませんから」
――ゆっくり、大切に学園と関わっていってもらいたい。
俺はそう思いながら、天川さんに微笑んだ。

* *

――こんばんは、久しぶりだね、元気だった?
――今まで放っておいてごめんよ。でも楽しそうだなと思って毎日見守っていたんだよ。
――そうだね、彼の言葉はわかりにくいね。仕方ないよ。君はそれを許容しなければならないと、私は思うね。
――でも本当にわからないというなら、一つ術を教えてあげようか?
――彼の言葉を理解しなくても、君がみんなから愛される術。
――彼が言ったよりも、もっと簡単で確実な方法だよ。



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