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『一年は組が補習をしていたところに、きらきら光る美しい天女様が、空からゆっくり落ちてきた』
これが最近の学園に流布している"天女様"の噂である。いくつか間違いはあるものの、まあだいたい合ってる。

『姫美さーん!』
一年は組のよい子達がころころと笑いながらやってきた。天川さんの手伝いで洗濯物を干していた俺はその楽しそうな様子に微笑ましいと感じて笑う。
「姫美さん、洗濯してるんですか?」
「今日は天気が良いですからねー」
「ナメさん達のお散歩日和ですよお。一緒に行きませんかー?」
「姫美さんはナメさん苦手なんだから駄目だよ!」
「お手伝いしましょっか?お駄賃くれれば!」
「きりちゃん!」
よい子達は俺に見向きもせずに天川さんに群がる。結構可愛がってた後輩が軒並み天川さんに取られた感じで物悲しい。
「森林先輩も、こんにちは」
「庄左ヱ門ぐらいだね、俺を気にしてくれるの……」
ありがとー、と笑うといえそんな、と笑い返してくれた。
「みんな森林先輩のこともちゃんと好きですよ。今は姫美さんのことが気になってるだけで」
「庄左ヱ門……!大人だねー」
ちゃんと友達のフォローができるなんて、本当にしっかりした子だ……!
「姫美さん、私達手伝いますよ!ね、みんな」
『やろうやろう!』
「えー、悪いよー」
いつの間にかそういう話になっていたらしい。天川さんは遠慮する様子を見せたが、嬉しそうだ。よかった。
最近、ちょっと寂しそうだったから。
「そういうことなので、森林先輩は休んでてください!」
「え、いいの?」
「はい!」
「先輩最近ずっと姫美さんの手伝いしてますから!今日は僕達が代わります!」
虎若と三治郎がそう言ってにっと笑った。他の子達も先輩は今日お休みです!と言って笑う。
「みんな……!」
「そっか、ごめんね葉くん。なんでも葉くんに頼り過ぎちゃったよね……」
天川さんが申し訳なさそうに謝った。別にそこまで気にしてないのに。
「しょうがないですよ。天川さんはここに来たばかりで、仕事もまだ三日目だし、わからないことばかりでしょう」
「でもずっと甘えちゃって」
「気にしないでください。友人を助けるのは当然のことです」
そう言って笑うと、天川さんも嬉しそうに笑った。
それじゃあ、とよい子達に目を向ける。
「お言葉に甘えて今日はみんなに任せるよー」
『任せてください!』
みんなが一様に胸をそらしたのが可愛かった。

そういうことで暇になってしまったので、これからどうしようかと考える。三木ヱ門は今日、また徹夜で委員会に駆り出されているので邪魔はできない。
のんびり校庭の隅を歩いていると、その先に赤いものが見えた。
「ジュンコ?」
声をかけるとその小さな頭がこっちを向いてシャーッと鳴き声を発した。
「また散歩?孫兵が心配してるよー」
おいで、と腕を伸ばすと、その赤い蝮はスルリと腕に巻き付いてきた。ということは、孫兵の所に戻っても良いという事だろうと考える。
どうせ、いつもの通り飼い主の目を盗んで軽い散歩に出たジュンコを、名前を呼びながら孫兵が探し回っているのだろう。
「ジュンコー!ジュンコどこだー!」
そう思っていたら、やはりというか、孫兵の心配そうな声が聞こえてきた。声の方へ行くと、萌黄色の装束が長屋の縁の下を覗き込んでいた。
「孫兵ー」
「ジュンコー!ちょっと今手が離せな――ああ!ジュンコ!どこに行ってたんだい!?探したじゃないか!」
ジュンコが絡むと本当に忙しい奴だなあ。
振り返った時は恐ろしく切羽詰った表情だったのが、ジュンコを見つけた途端目を潤ませて駆け寄ってきた。
ジュンコが俺の腕から孫兵の首元に移動し、その頭を人差し指で何度か撫でて。
「森林先輩こんにちは。あと、ありがとうございました」
「いや、たまたま見つけただけだから」
それからやっと孫兵は俺に挨拶をした。相変わらずの様子でなにより。
「もしかしてジュンコ、あの人の所に行っちゃいました?天川って言いましたっけ」
「ううん。校庭の隅に居たんだよ。なんで?」
孫兵は少し心配そうに聞いた。首を振ると安堵したようだったが。
「不用意に接されてジュンコが噛んじゃったら、ジュンコが責められますから。一般人には近付かないで欲しいです。ジュンコは早々自分から人を噛んだりしないっていうのに」
「やっぱジュンコのためね。まあ、多分天川さんは蛇とか苦手だろうから、自分から近づいたりはしないと思うよ」
「ならいいんですけど」
気をつけるんだぞ、とジュンコに声をかける孫兵。それから少し不思議そうに言った。
「先輩、今日はその天川さんとは一緒じゃないんですか」
「うん。一年は組の子達が代わってくれたんだー」
「ああ、そういえばそんなことを三治郎達が言ってたかも。昨日の委員会の時に」
昨日から計画してくれてたのか。いい子達だなあとしみじみ思っていると、あれっと気付く。
「昨日委員会あったの?」
「はい。小屋の掃除をしました」
「え、待って。俺聞いてないよ?」
実は生物委員に所属している俺。昨日の放課後は飼育小屋とは到底離れた、図書室での本の整理を手伝っていた。天川さんの手伝いだ。
「先輩は天川さんの世話で忙しいだろうからと竹谷先輩が」
「えーそうなの?」
「それで、明日は僕らが天川さんの手伝いするんです、と三治郎達が」
「優しいなあ。じゃなくて。そんなこと気にしなくていいのにー。呼ばれたら行くよ、委員会」
三日前までは確かに世話係としてそんな余裕はなかったが、世話係は既に解任とされている。
「そういえば最近生き物達と触れ合ってないや」
そう思い出して呟くと、孫兵が少し嬉しそうに微笑んだ。
「なに、どうしたの孫兵」
「いえ。よかったです。……先輩が変わってしまったんじゃないかと少し不安だったんですよ」
孫兵が俺――というか他人について不安?それこそ珍しい話だ。
「どういう意味?」
「竹谷先輩が、神妙な顔で『あいつは天女に惚れたのかもしれん』とか言うから」
「はあ?っはははは!なにそれ!」
孫兵の言葉に思わず爆笑してしまうと、孫兵も可笑しそうに笑った。
「ありえないでしょ!何言ってるの、あの人!」
「笑いすぎですよ、先輩っ」
だって本当に見当違いも甚だしいから!俺が天川さんに惚れるなんて!
はあ、と少し息をついて笑いを収めてやっと落ち着いた。
「そういえばあの人、結構そういう話題好きだもんねー」
「わざわざ一年生がいない二人だけの時に言うものだから、妙な信憑性を感じてしまいました」
「ないよー天川さんとどうこうなんて。なんたって"天女様"だよ」
「……天女様ですか」
孫兵が渋い表情を浮かべた。
天川さんが未来から来たということは伏せられていた。本当は遠方から来たお嬢さんという設定が一番よかったのだが、一年は組が天女様説を学園中に蔓延させてしまったせいで、下手な誤魔化しはできなくなってしまったのだ。苦肉の策として、天川さんは本当に天から来て、天の世界の話をすると神様に罰を受けてしまう、という荒唐無稽な設定になった。
案の定、上級生や下級生の一部は天川さんを得体の知れないものと認識したようで、今でも彼女は学園に溶け込めてはいない。一年は組は出現に立ち会ったこともあってか天川さんに仲良く群がっているし、他の一年生や二年生、三年生の一部など、純粋にその設定を受け入れている者もいるが。
どうやら孫兵は天川さんを気に入っていない方らしい。
「その話、信じてるんですか?」
「信じてるもなにも、そうなんだから受け入れるしかないでしょ?」
まあ"天女"というのは嘘だけど。
「先生達や六年生が大丈夫だって判断したんだから、少なくとも危険な人ではないよ。個人的には、あまり警戒しないで仲良くしてあげて欲しいんだけどなー」
そう言っても、孫兵は無言でいて頷かない。ジュンコはじっと俺の顔を見ていた。
「……僕は、あの人は好きになれません」
「なんで?」
「なんとなくですけど。天女だとか言っててオカシイと思うのもありますが、その上何かがある気がしてどうも駄目です」
その上、という言葉に疑問を抱くが、多分孫兵自身もそれが何なのかはわからないのだろう。眉間にしわを寄せて、彼の頬に頭を寄せたジュンコを撫でている。
「先輩はどうしてあの人を気に入ってるんですか?」
孫兵は、人と関わるのが苦手とは言わないまでも、動物や虫達と居る方が落ち着くタイプだ。その理由が、こういった『よくわからないもの』の疎通が煩わしいと思うからだった。気心が知れた間柄ならまだいい。まったく赤の他人に対して、相手の思いや立場などの様々なことを考慮し、相手も自分のそういったものを考えていると思うと、面倒くさいと思う。
その感覚は俺と同じものだった。だから、孫兵は天川さんと仲良くなれると思うんだけど。あの人はそういうことを考えないで、言葉をありのままに受け入れているから、楽に話せる。
「なんていうか、妹みたいな感覚なんだよね」
「妹?年齢はあっちが上じゃないですか」
「うん。でもあの人、子どもみたいな精神年齢なんだ。わかりやすい人だよ」
ふうん、と答えた孫兵は、やはりよくわからないみたいだった。
「孫兵は、天川さんと仲良くなれると思うんだけど」
「申し訳ないですけど、気が進みません……こう言っては森林先輩は怒るかもしれませんが」
「別に怒らないよー。人の好みは色々だものね」
そう言うと、じゃあ言わせてもらいますが、と孫兵は淡々と続けた。
「なんとなく、彼女は気味が悪いんです」
「……どういうこと?」
「竹谷先輩も言ってましたよ。『あの人はなんとなく変な感じがする』って」
竹谷先輩と孫兵がそんなことを感じるような面が、天川さんにあるだろうかと考えるが、俺には到底思いつかなかった。
「それにわざわざあの人と仲良くならなくても、特に困りませんから」
孫兵はそう言って肩をすくめた。
ああそれから、と孫兵が思い出したように言うので首を傾げる。
「委員会来れるようになったなら、竹谷先輩に言っておいてくださいよ」
「そうだね、そうしておく」
「近々小屋の修理をするそうなので、先輩がいないと大変だなあって竹谷先輩がボヤいてましたから。早めに伝えておいてくださいよ」
その言葉に、はあいと答えた。



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