09



三木ヱ門が起きる前に起きて、まずは井戸へ顔を洗いに行く。どちらかというと面倒くさがりな俺が毎朝早起きするというのは我ながら珍しいのだが、天川さんが邪険にされているのを見ていると、しょうがないなと思える。
天川さんがやってきて六日目、今日ものろのろと井戸へ行って、のろのろと顔を洗う。一昨日、昨日と三食天川さんと一緒なので今日もそうなのかなあとぼんやり考えながら顔を手拭いで拭いて、やっとしっかりした歩調で部屋へ戻っていると、不意に声をかけられた。
「森林」
「あれ、山田先生……どうしました?」
「天川姫美のことなんだが」
先生達は生徒がいる場所では天川さんのことを"彼女"と呼ぶ。ここは四年長屋であり、いつもなら天川さんの名前は出さないはずなのに。間違えた?まあいいか。
予想通りだなと思って先に口を開く。
「また昼も行けってことでしょ。わかりましたよー」
「ああ、違う違う」
と、山田先生の予想を裏切る返答。ほ、と変な声を出してしまい、慌ててじゃあなんですか、と問えば、予想外の言葉が帰ってきた。
それを聞いて驚いて、本当ですかと確認さえして、本当だと頷かれて笑顔を零すと、山田先生が微笑ましそうに笑った。
急いで部屋に戻ると、三木ヱ門が寝起きのまま布団に上半身を起こしてぼやっとしていた。この時の三木ヱ門は無防備で本当に可愛いのだけど、今日はそれを笑う余裕もなかった。
「三木ヱ門!大変!」
「は……?なんだ一体……」
少しかすれた声で眠そうに反応する三木ヱ門。お構いなしに勢い込んで言葉を放つ。
「今日から一緒にご飯食べられるよ!やったね!」
「うるさい」
布団から出て立ち上がった三木ヱ門は、それだけ言ってげしっと俺の肩を蹴って部屋を出ていった。悲しい。

* *

朝のあまり頭の働いていない状態で葉太郎に大声を出されたため、まともに聞いていなかったのだが、今日からまた一緒に食堂へ行けるらしい。
井戸から戻って葉太郎が部屋にいたので、何してるんだと聞くと、葉太郎は朝に山田先生から聞いたという話をした。
曰く、葉太郎が世話係をしていた"天女"――天川さんと言う名らしい彼女は、今日から学園の職員として働くことになり、食堂で食事をすることになったのだという。だから葉太郎は世話係解任で、彼女の部屋に行く必要はなくなったのだそうだ。
「職員なんて、大丈夫なのか?」
食堂に向かう途中。葉太郎に聞くと、うーんと少し考え始めた。どこか適当なところに預ければいいのに――とは流石に言えないだろう。こいつ"天女"のこと気に入ってるし。
「天川さん確かになにも出来なそうだけど……まあ、簡単な仕事だから、大丈夫なんじゃない?」
「そういうことじゃない!情報漏洩なんかにならないかという話だ」
相変わらずお気楽な奴め、と思いながらそう言うと、なんだそういうことね、と葉太郎は笑った。
「大丈夫だと思うけどー。先生達が決めたことだし、食事の手伝いと掃除洗濯で、大した情報は扱わないだろうし」
「ならいいんだが」
そもそも突然現れた部外者が職員になるということがあまり気の進まない話だ。
食堂に着くと、いつもの通り生徒達が賑やかに朝食を摂っていた。
「あら葉太郎くんと三木ヱ門くん!二人が揃っているの、なんだか久しぶりねえ」
「おばちゃん、おはようございます」
「おはようございます」
おばちゃんがにこにこと笑って言う。そういえばもう一週間近く朝夕は別々だったし、昨日と一昨日は一度も揃って食堂には来なかった。案外長かったんだなと気付く。
それぞれ盆を貰って席についた。最近は誰か知り合いと相席していたためあまり使わなかった、前は私と葉太郎がよく使っていた場所だ。
少し離れた席でタカ丸さんが笑ってこちらを見ていた。微笑ましいとでも言いたげな顔になんだか気恥しいような感じがしたが、葉太郎は気にせずタカ丸さんに軽く手を振っただけでいただきますと言うと食べ始めた。
正面に座っている葉太郎が言った。
「最近はタカ丸さん達と食べてたの?」
「まあ……色々だが」
タカ丸さんは結構そういうところを気にするタイプなのか、よく一緒に行こうと誘ってくれた。でも委員会の後輩達と食べる時もあったし、クラスメイトとの時もあったし、一人で今の席に座って食べる時もあったし、色々だ。
そういうことを簡単に言うと、葉太郎はふうん、と呟いた。
「……俺と一緒よりその方がよかった?」
「なんだそれ」
葉太郎の言葉にイラッとしながら言うと、だって、と適当なことを言われそうだったので口を挟む。
「もうお前と一緒が慣れたんだから、変なこと気にするな」
言ってから少し恥ずかしい言葉だったかと気付く。何事もないように玉子焼きを食べる。
「そっか」
へへ、と葉太郎は嬉しそうに笑った。
「あ、三木ヱ門――」
と、葉太郎がなにか言いかけたが、急に食堂内の空気が変わったのを感じたのか、言葉をやめた。
入り口の方へ目を向けると、そこには山吹色の小袖を着た少女がいた。明るい茶の髪を持ち、背は低め。
その少女はおばちゃんと少し会話をしてから、盆をもらって食堂を見渡した。黒い瞳の大きな、可愛らしい顔立ちをしているのがわかった。見たことのない女だ。その目がこちらを向いた時、その顔が嬉しそうに綻んだ。
――まさか。
「あ!葉くんだ!」
「天川さん」
葉太郎も嬉しそうな声で少女の名を呼んだ。
「おはようございます」
「うん!おはよう!」
この少女が――"天女"。
彼女は私達の席にやってきて、そのまま葉太郎の隣に座った。……私達に了承は取らないのか。
「葉くんがいてよかったあ。知らない人ばかりで」
「そうでしょうねー」
ちょっと待て、なんだ『葉くん』って。あだ名?そんな風に呼ばせてるのか?なにそんな仲良くなってるんだよ!予想以上だ。
「ねえ葉くん、この子は?」
"天女"が私を見て言った。
――?
なんだか、変な目だ。と思った。何がどう変かはよくわからないが――
「田村三木ヱ門っていって、俺の友人ですよ」
「えっお友達なの!?」
「……駄目なんですか、友達じゃ」
その反応に眉をひそめて言い返すと、駄目じゃないけどなんだか意外で、と答えられた。
意外ってなんだ。お前は葉太郎の交友関係が予測出来るほどこいつと仲がいいと思ってるのか。お前に私のなにがわかると言うのか。
「三木ヱ門、こちらが天川さん。天川姫美さん」
「よろしくね!」
葉太郎が"天女"を紹介する。正直よろしくなんてしたくないと思ったのだが、葉太郎の手前、どうも、と当たり障りのない返事をした。
「私、今日から食堂の手伝いとか、いろいろさせてもらうことになったの。わからないことが多いから、教えてもらえると嬉しいな」
「そうですか」
「三木ヱ門は頼りになりますよ。俺もなにかあったら手伝いますね」
「ありがとう!」
笑顔で"天女"と会話する葉太郎に苛立つ。頼りになるとか言うな。やっぱり私はあまり"天女"を好きになれそうにない。
「ね、三木ヱ門」
笑顔で同意を求めるな!
「――ああ」
しかし葉太郎の前で邪険に扱うのはよくないか。
「どうぞ、なんでも聞いてください。わかる範囲で答えますから」
とりあえず笑って適当にやり過ごそう。それが一番いい選択だ。

* *

よく考えたら、三木ヱ門と天川さんが仲良くなるのって俺としては良くないんじゃ。
天川さんに軽く笑顔を向けている三木ヱ門にモヤモヤを感じて、それでやっと気が付いた。
こんなに可愛らしい天川さんはきっと三木ヱ門に気に入られただろう。
こんなに優しくて綺麗な三木ヱ門はきっと天川さんに気に入られただろう。
――純粋で可愛い、女の子の天川さん。
「三木ヱ門くんって名前長いよねー。三木くんって呼んじゃだめかな?」
「えっ……別に、良いですけど。呼び方くらいなんでも」
「ありがとー!三木くんってかっこいいね!」
「……はあ」

……あれ、もしかして俺、やっちゃった?

「(なんでこの人こんなに馴れ馴れしいんだ?長いなら苗字で呼べば?でもそんなこと言ったら葉太郎に心狭いって思われるか。くそ、もうどうでもいいから早く去れ!)」



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