08



「三木ヱ門、ただいまー」
自室の襖を開けて声をかけると、文机に向かっていた三木ヱ門がぱっと振り返った。なんだか表情が固い気がしたが、すぐに普段通りに戻ったので気の所為だったかもしれない。
「……おかえり」
「風呂入っちゃった?」
尋ねると不機嫌そうにまだだ、と返ってきた。嬉しくてへらっと笑った。
「よかったー」
「お前が言ったんだろうが」
今日は昼食や放課後の時間をいつもより多く天川さんの相手に使ったので、夜は早めに部屋に戻れることになった。三木ヱ門にその事を報告して、夕食は無理だけど久しぶりに一緒に風呂に行こう!と誘っていたのだ。それをちゃんと覚えてて守ってくれたのに安心した。
そうは言っても他の人よりはだいぶ遅い時間になってしまったので、すぐに準備をして風呂に向かった。久しぶりの三木ヱ門とゆっくり話せる時間なので、俺はかなりご機嫌である。三木ヱ門は最近少しピリピリしているけど、今は特にそうでもないようでよかった。
授業での話やサチコ達がどうのといった雑談をしながら歩いていると、不意に幼い声が聞こえた。
『森林葉太郎先輩ー!』
仲良く被った声の方へ三木ヱ門と共に振り向くと、ぱたぱたと駆け寄ってくる三人がいた。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ。こんばんはー」
『こんばんは!』
相変わらず挨拶が元気で何よりだ。話すなと言われながらも天川さんのことを"天女様"として学園中に知らしめてしまった一年は組の生徒であるが、こんな悪気のないよい子達であるから責めることも出来ない。
「どうしたんだ?」
「森林先輩、お怪我はなかったんですか!?」
「え?」
乱太郎が急に変なことを聞くので驚いて言葉に詰まる。きり丸としんべヱも真剣な表情で見上げてくるので、ますます困惑。
「なあに、その質問」
『どうなんですかっ?』
「え、ええっと、大丈夫だよー?今日はほとんど外にも出てないし」
一日中座学の授業と天川さんのお相手をしていただけだ。自主鍛錬で怪我するという機会すらなかった。
俺の答えに三人がほーっと安堵したように息をつく。思わず三木ヱ門を見るが、彼も首を傾げて肩をすくめるだけだった。
「森林先輩なんともなかったんですね!」
「よかったぁ〜」
「よかったっすね、田村先輩!」
上から乱太郎、しんべヱ、きり丸。きり丸が三木ヱ門を見上げてにかっと笑った。三木ヱ門は不思議そうな顔をしていた。
「は?」
「田村先輩があんなに怒るから、もしかしたら本当に危険なのかもしれないってみんなで心配してたんですよ!」
「六年生にあんな風につっかかるなんて相当ですもん!」
「驚いたなーあれは!」
「――はあ!?」
一瞬きょとんとしてから、はっとして声を上げる三木ヱ門。俺だけか、よくわかってないのは。
「待て、それは違う!!」
「『もし葉太郎に何かあったら、許せませんから』って!」
「かっこよかったよな〜!」
「六年生相手にあんな風に啖呵切っちゃうの!」
しんべヱが声色を変えて、どうやら三木ヱ門の真似をしたらしい。三人がきゃっきゃと騒いでるのを見ながら、ちらっと三木ヱ門の方を見ると、三木ヱ門もちょうど俺をちらっと見上げたところだった。視線がばちっと音を立てたかというほどぶつかって、三木ヱ門の顔がかあっと赤くなるのが夜の暗い屋外でも鮮明に見えた。
「お、お前達!!」
「あ、そうだ、森林先輩が無事だったのみんなに教えなきゃ!」
三木ヱ門が声を上げたのを遮って乱太郎が言った。
「そっか!早くしないとみんな寝ちゃう!」
「俺は内職が途中だから……」
『きり丸も行くよ!』
「それじゃお二人とも、失礼しまーす!」
「まーす!」
「おやすみなさーいっ」
そのまま三木ヱ門の言葉を聞かずに一年長屋に走り去ってしまった三人。突然現れて突然消えた彼らの背を呆然と見送っていると、三木ヱ門が隣でぶつぶつと何事か呟く声がした。
「三木ヱ門?」
「っ!」
目を向けて声をかけるとびくっと肩を震わせて、そのままわなわなと震えたかと思えば、そのまま無言で足早に風呂に向かう歩みを再開した。
「ちょ、三木ヱ門待ってよー」
「……」
声をかけても何も言わずに前を行くばかり。耳まで真っ赤なのもそのままだ。
なんだかこっちまで顔が熱くなってきた。
何故か俺まで照れてしまって、そのまましばらくどちらも無言で歩いていると、急に三木ヱ門が立ち止まった。
「〜〜っそもそも、お前がバカみたいにお気楽だから悪いんだ!」
「え、急になに!?」
がばっと振り返って赤い顔で俺を睨み、ビシッと指さしてそう声を上げた三木ヱ門。
「こっちがどんな気かも知らないで、楽しそうに昼食食べに行ったりして!」
「え、なに、あま――"天女さん"のこと!?」
動揺して天川さんの名前を出すところだったのを寸でで踏みとどまったが、そんなことを気にする余裕は三木ヱ門になさそうだった。
「今日の先生や先輩方の計画についてお前が楽観的すぎるから、私が心配してやってるんだ!このバカ!もっと頭を使え!」
「ええー三木ヱ門なんか厳しいー……」
バカって言われたのがちょっとショック。たしかに三木ヱ門に比べれば座学の成績は良くないけど、あくまで平均的なはずなのに。そんな、三木ヱ門が心配なんてするほど――
あれ、と時間差でふと気づく。既に照れより怒りが勝った様子でぷんぷん文句を零している三木ヱ門をまじまじと見る。
「三木ヱ門、俺の心配してくれたの?」
聞くと、三木ヱ門ははたと文句を止め、目をぱちぱちとしてから一段と赤くなった。
「な、ば、そんな、お前の心配なんて誰が!」
「え、だって今言ったじゃない」
「乱太郎達が言ってたから咄嗟に出ただけだ!!」
赤い顔で怒鳴るように言って、もういいだろこの話は!とずんずん歩き出してしまった。優秀を自称する三木ヱ門にしては珍しく、忍者らしくないばたばたとした音を立てて。それについて歩き出しながら声をかける。
「ごめんね、三木ヱ門」
「なんのことだっ」
「よくわからないけど、心配じゃないにしても俺のことでなんか六年生と言い合いしたんでしょ?迷惑かけちゃった」
そう言うと、三木ヱ門は顔半分ほど振り返って横目で俺を見た。眉をしかめて、不機嫌そう。さっきまでお互い普通だったのに、またこんな短時間で三木ヱ門を不機嫌にしてしまったなあ。
「……別にお前が謝ることじゃない」
それだけ言って顔を前に向けたので、三木ヱ門の表情は見えなくなる。
「でも三木ヱ門、普段礼儀正しいから、三人がああ言ったのはやっぱり何かあったんでしょ?」
「私が先輩方の言い草に腹が立っただけだ。断じてお前のためとか、心配してとか、そんなことではない」
頑としてそう言い張るつもりだろうなと思った。聞いても何があったか教えてくれなさそう。明日にでも誰かに聞こうかと思ったけど、三木ヱ門が話さないことを聞くのもよくないかと思って諦めることにした。
はあ、と小さくため息をつくと、三木ヱ門がまたちらりと振り返ってすぐに前に向き直った。顔の赤みは大分和らいだみたいだ。
「…………まあ」
気になるなあ、と思っていたら三木ヱ門が小さな声で言った。
「――ちょっとは心配もした」
不貞腐れるような声が聞こえた。
一瞬ぽかんとしてしまい、その後、慌てて三木ヱ門の頭をがしがしと強い力で撫で付けた。
「おい!やめろ、バカ!」
「バカって言わないで!もー、三木ヱ門ありがとー!かわいいー!」
からかうように言うと、三木ヱ門はいつものようにぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる。俺はその頭をある程度以上上がらないように抑えて、あははと笑い声をあげる。
――三木ヱ門、心配なんてしてくれたんだ!
――こんなにやけた顔を三木ヱ門に見せたら引かれる!



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