07



天川さんがやってきて四日目。立花先輩と鉢屋先輩に忠告を受けた次の日。
ちょうど昨日二人が並んで座っていた縁側に、今度は土井先生がいた。昨日の今日だから、思わずまた何か言われるのかとちょっと身構えてしまう。
「おはようございまーす」
「おはよう、森林」
さわやかな笑顔なので今日は何も言われなさそうだと気を緩めた。
「今日、四年生の授業は座学だけなんだよな?」
「え、はい。そうですけど」
突然そんなことを言われたので、不思議に思いつつ肯定。土井先生はそうか、と頷いてから。
「いや、昨日の職員会議で急に決まったことがあってな」
――天川さんのことで。

* *

午前の授業が終わって、食堂に向かう。先生にちょっとした質問をしている間に、葉太郎は教室を出ていった。
今朝、いつも通り"天女"の朝食に付き合って帰ってきた葉太郎がやけに嬉しそうにしていた。何があったのかと聞くと、ちょっとね、とだけ言って何も答えなかった。"天女"関係か、とすぐにわかる。嵌口令が敷かれているらしく、葉太郎は"天女"について何も話さない。名前すら教えてはくれなかった。
そのうち普通に話せるようになったら紹介する、と楽しみそうに言っていたが。正直そんな奴に興味はないからとにかくそいつの話はしないでくれと思う。
まあ我ながら女々しいと思うが、つまりその"天女"に嫉妬しているわけで。本来あいつと一緒にいるのは私だなんて思っているわけで。だから『最近噂の天女様の世話係』として葉太郎を訪ねてくる連中にも苛々する日々。
葉太郎が"天女"を観察対象としか見ていなかったなら、むしろ心無い気遣いに踊らされてるんだろうと意地悪い優越感に浸れるものを――残念ながら葉太郎は出会って一週間足らずなのに余程その女を気に入っているらしかった。多分あいつが自覚しているよりずっと。
そんな風にすぐに人を信じるのはどうかと思うぞ。そう何度か言ったが、わかってるんだけどね、と苦笑するだけ。そんなに"天女"は信用に足る人物なのか?気に入らない。
そうして色々な思考が溜まって、最近葉太郎と話す時はいつも気が立っている。楽しそうに過ごしている葉太郎に苛立ち、そして葉太郎にごめんねと言わせては気にされていることに機嫌を直して、すぐに自己嫌悪に陥って、また苛立つという悪循環。
そして今朝。またいつになく機嫌の良い葉太郎が、ごめんねと俺に謝ってから。
今日はお昼も一緒に食べれなくなっちゃった、と申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに言った。

* *

天川さんの部屋に入ると、彼女は驚いたように目をぱちくりさせていた。
「あれ、葉くん?どうしたの?」
「今日は昼食も一緒に食べることになりましたよー」
そう言って笑うとそうなの?と天川さんも嬉しそうにした。
今朝土井先生が俺に伝えたのは、今日の監視は常に一人の体制になり、その上食事の時間など俺がいる時はその担当が俺になるということだった。
つまり、昨日までとは違い、今この場には俺と天川さんしかいないということだ。
おそらく、それが意味するのは。
――天川さんを三木ヱ門に紹介できる日も近そうだなあ。

* *

「――それで、葉太郎だけで監視してるんですか」
努めて静かに言う。伊作先輩は気まずそうに視線を私に向けたり七松先輩に向けたり。食満先輩はおい小平太、と諌めるように小声で七松先輩に声をかけている。その七松先輩はそんな食満先輩達に少し不思議そうな顔。それを見た立花先輩はため息をついて首を軽く振っている。潮江先輩は不思議そうに私を見やり、中在家先輩は無表情のまま状況を静観していた。
「葉太郎ではまともに監視役なんてできませんよ」
あいつはあの人のことかなり気に入ってますから、と言うと、七松先輩はそうだな、とあっけらかんと頷いて。
「ま、それで逃走を謀ったらそういう奴だったというだけのことだろう」
――バンッッ!!
と、気持ちのままに両手を机に叩きつけた途端、昼食時の喧騒がしんと静まったが、そんなことを気にしている余裕が無かった。
「そういう奴だっただけって、なんですか!」
完全に冷静を欠いたまま、七松先輩を睨むように見ると、相手は少し眉を潜めた。
「なんだ、何をそんなに怒ってるんだ?田村は」
「先輩方の作戦についてですよ!」
そう言っても首を傾げる。
「なにか問題か?」
「小平太っ」
食満先輩が声をあげると、だって、と七松先輩は少し不服そうにした。一段と顔が険しくなったことを自覚する。
「三木ヱ門、何やってるんだ!?」
滝夜叉丸が慌ててやってきて、私の腕を掴んでその場から連れ出そうとしたので振り払った。
「おい、」
「先輩方は葉太郎を捨て駒扱いしてるんですか?」
滝夜叉丸の言葉に耳を貸さずに言えば、七松先輩は面倒くさそうに目を向けた。なんでこの人が怒ってんだよ。
「そんなこと一言も言ってない」
「葉太郎一人なら相手が油断して尻尾を出すということでしょう。囮ってことですよね」
「ああそうだ」
やはり当然のような返答をされる。その態度もまたイラつく。先輩相手に普段ならこんな失礼なことはしないが、今回はあっちが悪い。
「先生も先輩も誰も本性に気付かないような相手に、葉太郎では力不足です。危険じゃないですか」
――"天女"が本当に害のない存在かどうか、監視を減らして油断させる作戦だということだった。もし相手が自分達の監視に気付いているとしたら。そう考えて、思い切って監視を一人に減らし、隙を作ってやろうというわけだ。
――なるほどそれは有用な策だろうと思う。それに葉太郎が関わるのも悪くはない。しかしその後の七松先輩の台詞は聞き捨てならなかったのだ。
「田村、作戦に危険は付き物だろう。甘いことを言うなよ」
七松先輩が苛立った様子で言った。
――『ま、飯の時間は気をつけないとな。逃げるなら森林が監視してる今だろうから』
つまりそういうことだ。葉太郎が一番危険な役であることは最初から決まっていたのである。
「その危険性を葉太郎になにも伝えないまま送り出した事に怒ってるんですよ!あいつに警戒心がもう欠片もないことはわかってるはずなのに、そのまま放っておいたのは、餌として上手く働くようにって意図があったからでしょう!」
葉太郎が危険な役回りだからって怒るつもりはないけれど、そんな風に扱われるのは我慢ならなかった。彼らが葉太郎に忠告をしていないかどうかはわからないが、今朝のあの嬉しそうな様子から見て、単純に"天女"と昼食を食べるのが楽しみだっただけなのだ、あのバカは!
「三木ヱ門、なんて失礼な事を!」
「お前は関係ないだろ、黙ってろよ!」
「な、はあ!?」
今まで黙っておいて今更口を挟むな、と思いながら睨む。滝夜叉丸は滝夜叉丸で、そんな態度に頬が引き攣って目を吊り上げている。
「ああ、いや。すまん、いいんだ」
と、立花先輩が立ち上がって七松先輩に近づいて。
ごつ、と音を立てて七松先輩に拳骨を落とした。
「い゛っ」
「謝れ、小平太」
思わずぽかんとしていると、七松先輩が痛いぞ仙蔵!と声を上げた。
「田村も友人が心配だったんだ。それをあんな風に煽って」
「別に煽ってなんか!」
「相手に怒鳴られてすぐに拗ねて喧嘩腰になっただろう。六年にもなって」
子どもか、と立花先輩に言われてむっと押黙る。それからため息をついて、私の方に向き直った。
「すまなかったな、田村。言い方が悪かったかもしれん」
「かも?」
立花先輩が片眉をひくりと動かした。
「あーいや、言い方が悪かった!すまん!」
「え、そんな、別に、謝られても」
あっさりと謝罪の言葉が出てきたのでたじろいでしまう。ごめんね、許してやってね、と伊作先輩が苦笑した。手には布巾。
「なんで装束濡れてるんですか?」
「さっきの衝撃でうどんの汁が零れたの!」
さっきと言われて首を傾げると、滝夜叉丸が呆れたようにお前が机を叩いた時だ、と補足した。
「そもそも彼女の疑いがだいたい晴れたから、こういう作戦になったんだ。確かに強いて言うなら一番危険なのは森林だろうが、そもそも作戦自体の危険度がほとんどない。そこまで気を張る必要もない」
説明が足りなかったな、と立花先輩が言う。はあ、と一応了承するが、なんだか少し釈然としない。でも結局葉太郎はそんな作戦を聞いてはいないんだろう?
「三木ヱ門、もう良いだろ」
「……ああ」
滝夜叉丸が私の首肯を見て息をついた。それじゃあ失礼しました、とまた私の腕を引いた。今度は振り払いこそしないが、それに少し抵抗して机に座る先輩方を見る。
「すみませんでした、騒いで」
「気にするなっ」
「お前が言うなよ」
七松先輩がにっと笑って、潮江先輩が呆れる。他の先輩方も気にしていないと軽く笑ってくれた。
「でも、一応言っておきますが」
先ほどの説明なら必要ないだろうが、怪訝そうな先輩方に言う。
「失礼ながら、もし葉太郎に何かあったら許せませんから」
それでは、と今度こそ滝夜叉丸の腕を引く力に従って机から離れる。
昼食は食べ終わっていたのでそのまま食堂を出る。葉太郎はまだ"天女"とおしゃべりをしてくるつもりだろうと予測して、ため息をついた。まったくあいつのせいで散々だ。



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