06



本当にあの人は素直で純粋な人間だ。
天川さんの世話係になって、朝夕のご飯を一緒に食べたり放課後にお喋りしたりする日々の中で、そう感じた。
彼女は俺の言葉を疑わなければ、先生達の言葉も疑わない。人を疑うこと、物事の裏を読むこと。そういったことをする能力が著しく欠けた人間だと思った。『すべてにおいてにぶい』というのがよく当てはまる表現だろう。
それはちょうど昔の俺と似ていて、今でも周りに注意される点をもっと酷くした感じ。そんな彼女のことを、俺は少なからず好意的に思っていて、なんだか妙な仲間意識すら感じていた。

世話係三日目。朝食を運んで天川さんの部屋の近くに来ると、縁側に天川さんと立花先輩が並んで座っていた。天川さんが部屋を出る時は先生か六年生が一人以上付き添わなければならない。
「何してるんですか、二人とも」
「あ、葉くん!おはよう!」
「彼女がお前を待ちたいというから」
「はあ……」
振り返った天川さんはにこにこと笑って、久しぶりに外にも出たかったの、と楽しそうに言った。
「珍しいですねー。こんな時間に起きているのは」
「いつも葉くんに起こされてばかりじゃないよ!年上だし!」
――ん?
ふと違和感を感じて首を傾げる。それから天川さんを暫し見つめ、彼女の目が不思議そうにぱちぱちと瞬くのを何度か確認してから。
「――誰ですか?」
そう問うと、天川さんが少し目を見開いてから、にやりと笑った。
「あーあ。バレてしまった」
「鉢屋もまだまだだな」
立花先輩が楽しそうに笑うと、天川さんの顔が不服そうに口を尖らせた。
「鉢屋先輩?」
「最初は全く気づかれなかったのに」
ため息をついてから鉢屋先輩はいつもの不破先輩の変装に戻った。天川さんの顔で鉢屋先輩の表情を見ているのはすごく違和感があったので、密かに安堵する。
「鉢屋先輩、昨日の今日でもう天川さんの変装してるんですねー」
「私にかかれば昨日一日の観察で顔は完璧に変装できるさ」
ふん、と得意げに鼻を鳴らす。
鉢屋先輩は五年生ながら昨日から六年生と同じく天川さんの監視を手伝っている。言わずもがなであろうか、学級委員長委員会の上級生として学園長にこき使われているのだ。尾浜先輩も加わっているが、今の時間の担当ではないらしい。
そんな鉢屋先輩は、昨日の観察を生かして早速変装して俺を驚かせようとしたらしかった。天川さんに変装するなんて予想もしていなかったのもあって、完全に騙された。
「しかし、どうして気づいたんだ?特に問題は無さそうだったが」
立花先輩が感心したように言った。私も聞きたい、と鉢屋先輩。
「鉢屋先輩は一日監視していただけでしょう。俺は二日お喋りしてたんですから、彼女の性格は学園内で一番よく知ってますよ」
「あのお人好しでなにも考えてない様子をちゃんと表現していたはずだが」
鉢屋先輩の言葉に、なんと言おうか、と少し考えていると立花先輩が言った。
「お前と天川姫美は随分と波長が合っているようだな」
「そうですね。なんか似てるなーって思っちゃって」
「確かに。お前もなにも考えてないもんなあ」
鉢屋先輩がからかうように言った。立花先輩と鉢屋先輩は人の内面を見抜くのが上手い。たまに深読みされて、何を考えてるのかわからないと言われる俺だが、この二人はその段階を超えて俺の性格を把握していた。
「あー、そっか。鉢屋先輩は天川さんにはなりきれないかもしれませんね」
「はあ?なんでだ」
変装には人一倍自信がある鉢屋先輩は、その言葉に顔を顰めた。
「俺が気づいたのは『いつも葉くんに起こされてばかりじゃない』のところです」
「そうだったな。何かおかしかったか?」
珍しい早起きを指摘して、いつもの不甲斐ない様子に思い至り、そういった発言がなされる。流れは確かに自然なものだ。
「天川さんは俺の言葉をそのまま受け取っていますから、俺が早起きですねって言った言葉に対して嫌味を感じ取ったりはしません。俺も嫌味を込めたつもりはないし、まさかそんな風に考えるとは思えません」
俺の言葉に少し考えるようにしてから、鉢屋先輩は軽く肩を落としてため息をついた。
「なるほど。確かに私は他人の言葉を額面通りにしか受け取らないなんてできないな」
「頭の回転速度があまりに違いすぎるということか」
立花先輩もなるほど、と頷いた。さりげなく厳しい意見だ。俺は苦笑を浮かべる。
「あの人は素直すぎる性格をしてますから」
「素直というか、頭が足りないんだろ」
鉢屋先輩は呆れたように言い捨てた。
「鉢屋先輩は天川さんが嫌いなんですか?」
「別に。というか、興味がない」
「案外話すと面白いですよー。価値観が全く違う感じで」
軽く笑ってそう言うと、鉢屋先輩と立花先輩は俺の顔を見た。その少し険しい顔付きに、思わずこちらも笑顔を収める。
「森林、お前もしかしてあの女の言葉を間に受けてるのか?」
鉢屋先輩が言った。
「どういうことですか」
「価値観が違うと言ったが、あの女が未来から来たという話を信じてるってことなのか?」
「……」
鉢屋先輩の言葉に、考え込む。
天川さんの身の上話を信じているという意識はあまりなかった。彼女はたまに俺に未来の生活の話をするが、その話の内容云々ではなく、彼女の考え方の面を気にしていた。別に、未来の人間だからと思っていたわけでもなく、彼女という個人の思考回路が興味深いと思っている。
「別に……ただ、あれだけの話をつらつら丁稚あげるなんて難しいんじゃないかとは思っています」
「そんなこともないだろう。なんせあの女には時間がたっぷりあるんだから」
鉢屋先輩の言葉ももっともではある。俺が授業でいない昼間は、天川さんは先生達との問答以外、一人で部屋にこもっているだけだ。適当な作り話を沢山考える時間はある。
「でも、天川さんはそんなこと……」
「しないとでも言いたいのか」
鉢屋先輩の表情がどんどん怒気をはらんでいく。責めるような視線と声。多分実際彼は怒っていて、俺を責めているのだろう。
立花先輩が冷静な声で言った。
「天川姫美のことを、随分好意的に捉えているようだな」
「……」
その言葉に視線を落とす。それは事実なので否定は出来ない。でも肯定するのは良くないことだとはわかっていた。
立花先輩がため息をついたのが聞こえた。
「私達が今日ここでお前を待っていたのは忠告のためだ」
顔を少し上げると立花先輩と鉢屋先輩が眉をひそめて俺を見ていた。冷静な声で話していた立花先輩も、さっきまで怒ったような顔をしていた鉢屋先輩も、 どちらも心配そうな顔付きをしていた。
「あまりあの女に肩入れしないほうがいい」
ありがたいことだと思った。彼らは俺を心配してくれていたのだ。優しい人達だと思う。いい先輩方だ。
それでも頷けなかった。
「お二人は、あの人が嘘をついてると思っているんですか?」
「そうじゃない」
鉢屋先輩が否定した。
「むしろあの女は嘘をつけない人間だと私達も思っている」
「じゃあ、どうしてこんなことを言うんですか」
「思っているだけだからだ」
立花先輩がぴしゃりと言った。
「それを証明することは出来ない」
思わず言葉に詰まる。的確に言い当てられた、彼らには俺の考えが見通されていた、と感じた。
「証明できない事実を盲信するべきではない。勘に頼るのは愚かなことだ。前々から、お前はそのことを失念していると感じていたんだ」
丁度いいから今言っておこうと思って、と立花先輩は言った。
――なんの証拠もなく他人の話を鵜呑みにするのは危険なことである。
思わず俯いて何も言わないでいると、少しの沈黙の後、先輩のどちらかがため息をついた。
「そろそろ行った方がいいな。長話しすぎた」
朝食が冷めてしまったかも、と鉢屋先輩が立ち上がった。立花先輩もそれに倣う。
そういえば今から朝食だった、と思い出す。いつのまにか両手で支える盆の存在を忘れていた。
「授業の時間もあるし、急いだ方がいい。鉢屋、監視に戻るぞ」
「そうですね」
二人はそう会話を交わして何事も無かったように廊下を歩きだした。
「あの」
と声をかけると、二人は無表情に俺を振り返った。
「ありがとうございました」
そう言って頭を下げると、二人は軽く微笑んだ。

お前のその性質は嫌いじゃないが少しは気をつけてくれよ、と言われた。
やっぱり優しい人達だ。
それでもあの人の事を疑うことはきっと俺には出来ないと思った。
彼女は昔の俺に似ていて、今の俺にとって――



前<<>>次

[8/55]

>>目次
>>夢