04



――はじめまして。
――……うん。
――小梅、この子はお前と同い年なんだぞ。仲良くしろよ。三の坊、こっちは俺の娘で、小梅っていうんだ。
――はあ。
――三の坊?変な名前ー。
――なっ。
――ははっ。小梅、三の坊は名前じゃないぞ。あだ名だ。
――なあんだ。じゃあお名前なんて言うの?
――……教えない!
――えー!
――変な名前なんて言うからだぞぉ。じゃあ、お前もあだ名で呼んでやればどうだ?三の坊、じゃあおかしいから……。
――じゃあ三ちゃんって呼ぶー。
――ええー!
――おう、いいじゃねぇか、三ちゃん。
――よくないー!
――じゃあ名前教えてよー。
――嫌だね!
――なにそれー!
――こらこら、初対面から喧嘩しない!
結局三ちゃんはそれから一週間後に本当の名前を教えてくれたけど、私がそれを呼んだことは一度も無かった気がする。

* *

店を出ていったお客さんの背中に、ありがとうございましたーっと声をかける。これで店内にお客さんは一人もいなくなった。
「お疲れ様、小梅ちゃん」
「はい、お疲れ様です」
「ちょっと休憩したらいいわ。お茶出すわね」
「あ、ありがとうございます」
奥さんが笑って言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
もう随分日が傾いた時間であり、これ以降のお客さんはなさそうだ。休憩が終わったら、後片付けをしなければならない。
昔からまさごやは、菓子を店主が作り、お客さんのお相手やお茶出しなどは奥さんが担当するというのが基本であったそう。二十年以上まさごやを存続させてきた二人は、それぞれその道のプロであると私は思う。
つまり、奥さんの煎れるお茶はとっても美味しい。
「美味しいですっ」
「ありがとう〜。小梅ちゃんはいつもそう言ってくれるから、こっちも嬉しいわあ」
「あの、また今度お茶の煎れ方教えてください」
「もちろん良いわよ。小梅ちゃんは飲み込みが早いから、きっとすぐに美味しいお茶を煎れられるわよ」
「あ、ありがとうございますっ」
奥さんがにこにこと言ってくれるので、少し気恥しい感じを覚えながら笑う。きっとこんなに美味しいお茶を煎れるのは難しいだろうけど、頑張ろう。
「――すみません」
「あ、いらっしゃい。三郎くん」
入り口から聞こえた声に奥さんがすぐに挨拶をした。お客さんかなと思いそちらを見て、私はお茶を吹きそうになった。
慌てて飲み込むと噎せた。ごほごほと咳き込む私に、奥さんが大丈夫?と驚いた様子で背中をさすってくれた。
「す、すみません」
「慌てなくて良いのよ。三郎くんの応対は私がするから」
「い、いえ!そういうわけじゃないんですけど!」
奥さんが心配そうに言ってくれたが、そんなに殊勝な心がけで噎せたわけではないのでとても申し訳ない。
「君ここのバイトだったのか」
「うあ!あ、あの、その節は誠にありがとうございましたっ!」
「そんなに畏まらなくてもいいけど」
奥さんに三郎くんと呼ばれた彼は、私がこの町に来た時に最初に出会ったあの人だった。
「あら、二人は知り合いなの?」
「一度会ったことがあるだけです」
「その時に、親切にしてもらって!」
「そうなの?」
「大したことはしてませんよ」
彼はそう言って笑った。
「小梅ちゃん、彼は三郎くんって言ってね。よくおじいさんのお使いで店に来てくれるのよ」
「そうだったんですか……」
「あのじいさん、ここの団子大好きだから」
「ちょっと口は悪いけど、いい子よお」
「やめてよ、奥さん!」
三郎さんは苦笑しながら言い返した。しかし彼が親切ないい人というのは私もあの一件でわかっていたので、ふふ、と笑ってそのやり取りを見ていた。
「で、三郎くん。この子は小梅ちゃんよ。この前からうちのお手伝いしてくれているの」
「へえ」
三郎さんは呟いて私の顔を見た。それからにやっと笑って言う。
「お客さんにぶつかってないか?」
「な、ないですよ!」
「本当に?あの時は見ていた限りで三回はぶつかってたけど」
「あ、あの時はしょうがないんです!」
三郎さんはけらけらと笑った。なるほど、彼の性格が少しわかってきた気がする。
「おーい、二人とも」
「なあに?」
厨房から店主が顔を出した。店主は三郎さんにいらっしゃい、と言ってから、私と奥さんの方を見て言った。
「色男にきゃあきゃあすんのは良いけど、仕事しろぉ仕事」
「あらいけない。ごめんなさいねえ、三郎くん。注文も取らずに」
「いえ、大丈夫です」
そういえばずっと三郎さんとお喋りしているだけで、何も注文をとっていなかった。ご注文は、と尋ねる奥さんと、慌てて算盤に駆け寄る私。
「いつも通りで」
「はいはい」
「えっ、あの、いつも通りって?」
三郎さんが簡単に言うと、奥さんはすぐに頷いてから私の方を見た。
「三郎くん、いつも同じ注文なのよ。教えてもらえばいいわ。私、お茶を煎れてくるわね」
奥さんはそれだけ言って、厨房に引っ込んでしまった。三郎さんの方を見ると、彼は苦笑してみせた。
「面倒だから、いつも同じ奴頼むんだよ。みたらしが六本と、餡子が六本、季節のものが八本で、包むのはそれぞれ四本ずつとその残りで二つに分けてもらう」
「ず、随分多いですね」
「人数が多いからな」
おじいさんのお使いと言っていたか。彼は孫なのだろう。ということは、おじいさんの子どもとその家族で一緒に住んでいたとして、兄弟も含めて六から八人というのは妥当な人数だろう。
「なるほど……。えっと、みたらしと餡子が六本と季節ものが八本ですね」
算盤を弾いて値段を出して伝えると、三郎さんはちょうどの金額を渡して、なんとなく意外そうに言った。
「算盤扱えるんだ?」
「はい、一応簡単には」
「へえ」
「意外ですか?」
「まあね」
今時算盤を扱える娘も珍しくないだろうが。初対面の時に随分情けない姿を見せてしまったから、なにも出来ない質だと思われていたのかもしれない。
そこに奥さんが盆に湯呑を載せて厨房から出てきた。
「三郎くん、どうぞ」
「ああ、ありがとうございます」
三郎さんは奥さんに軽く頭を下げると、席に座ってお茶を啜った。
「三郎くんは注文の数が多いから、いつも出来上がるまで待っててもらってるのよ」
「そうなんですか」
「それじゃ、私はもう少し主人と話があるから」
奥さんはにっこり笑ってまた厨房に戻った。

ふとさっきの話を思い出して、顔を三郎さんの方に向けた。
「あの、この前言っていたお礼の件なんですけど……」
言い出すと、三郎さんは目をぱちりとさせて、苦笑した。
「あれはだから、別にいいって言うのに」
「いえ、そんなわけにはいきません!やはり持ち合わせは無いのですが、一応このお店で働かせて頂いているので、いつかお礼を」
「いやホント、いいから」
三郎さんは、意外と遠慮がちな人なのだろうか。でも、と口を開いたところに、三郎さんが手を振ってみせた。
「あんなのお礼されるようなことじゃない」
そう言われて、本当にお礼をさせてくれなさそうに感じ、私は構わずに言い募った。
「でもとても助かりました。私、ここに来る前は小さい村でずっと育ってきて、だからこの町の人の多さにすごく驚いて。多分あの時に三郎さんが言ったように、私一人であの通りを抜けるのは難しかったと思うんです」
今でこそ、それなりにこの町に慣れた。あの時の威勢のいい声と人々の反応が、日暮れに売れ残った野菜を売り尽くしてしまおうという八百屋の安売りだということも知った。約束の時間に遅れてしまって、運悪く一番人の混雑する時間に通りに出てしまったのだということも知った。
あの時三郎さんがいなければ、私は奥さんをもっと長い時間外で待たせてしまったかもしれないし、優しい夫婦はわざわざ店を早く閉めて私を探しに出てしまったかもしれなかった。
「本当に助かりました。お礼をしないと私の気が済みません」
きっぱりと告げると、三郎さんは目を瞬かせた。
それから少しして、はは、と声を立てて笑い出した。
「意外と強引なんだな、君は」
「え!あ、すみません、ご迷惑でしたか?」
「いやいや、予想外だってだけ」
三郎さんはそう言って笑うのを抑え、今度はにっと笑った。
「そういうことなら、ありがたくお礼してもらうさ」
「いえ、別にありがたくはないですけど……」
三郎さんの言い回しに苦笑して、しかしお礼と言っても本当に何をすればいいのだろうと考え始めたところに、奥さんが厨房から出てきた。
「はい、三郎くん。できたわよ」
「ありがとうございます」
二つの包みを受け取って、三郎さんは席を立った。そこに奥さんがはい、ともう一つ包みを差し出したので、三郎さんはきょとんとしてそれを見つめた。
「なんですか、これ」
「小梅ちゃんがお世話になったみたいだから、お礼にね」
「えっ!す、すみません!」
「あら、謝らないのよ。小梅ちゃんはもう娘みたいなものだもの。私達もお礼がしたいわ」
まさか気を利かせて二人にお礼をされるとは思っていなかった。おそらく本当に気にしていないのだろうが、これは私の問題だし……。
「――いえ、すみませんが遠慮しておきます」
しかし三郎さんは少し笑ってそう答えた。奥さんが目を瞬かせた。
「あら、どうして?」
「店主と奥さんにお礼してもらうことではありませんし、彼女がお礼してくれるって言うので」
なあ、と笑いかけられて、こくこくと頷く。奥さんはきょとんと三郎さんを見たが、それからにこりと笑った。
「そういうことなら、まあ若い二人の決定に従おうかしら」
なんだか冗談めかして言われた。
「じゃあ、失礼します」
「あ!あの、三郎さん」
三郎さんがそのまま帰ろうとしたので、慌てて呼び止めると、三郎さんは少し首を傾げた。
「お礼、なにか御要望があったらそれに沿う形で……」
「そんな堅い言い方しなくてもいいよ」
三郎さんはくすりと笑って、じゃあ、と続けた。
「また来るから、その時に話相手にでもなってくれ」
「……へ?そんなことでいいんですか?」
「ああ。私、君が気に入ったから」
三郎さんはそう言って微笑んだ。今まで全く意識していなかった彼の顔が、存外整っていることに気がついた。
三郎さんは最後に盛大に爆弾を落として出ていってしまい、店内には何故か微笑ましげな奥さんと、熱くなった頬を両手で抑える私だけが残った。


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