01



――お父〜!
――また三の坊に悪戯されたのかぁ?
――そう!ねえ、お父、三ちゃんに言ってやってよお。
――だめだめ!お前も母さんのように強い女になるために、それくらい自分で解決しな。
――えー!
――ははは!頑張れぇ、小梅!
お父さんはよく笑う人だった。少し厳しくて、とても優しいお父さんだった。

* *

途中宿で一度泊まって、村を出た二日目の夕暮れ。私はようやく目的の町にたどり着いた。
私が生まれた時から住んでいた場所は、近所に住むのはご老人がほとんど、のんびりと田畑を耕して日々が過ぎるような小さな村だった。
――人が、こんなにいっぱい。
通りには人が沢山行き交って、色んな店の看板が並んでいる。小さな子どもがきゃあきゃあ声を上げて遊んでいる。そのうちの一人が両親らしい若い男女に声をかけられ、友達にばいばーいと手を振って両親に駆け寄った。
――村近くの町なんて比じゃないんだ。
小さな頃から大きいと思っていたあの町でさえ、ここに比べれば田舎もいいところだ。自分の村は随分小さかったのだと改めて実感した。
とにかく、予定の時間はとっくに過ぎている。昼過ぎには着くと手紙に書いたのだ。右手の風呂敷を持ち直して、私は町に一歩を踏み出した。
「はあーい!ちゅうもーっく!本日最後の安売りだよーっ!涙を呑んで大特価!!安いよーっ!持ってけドロボウーッ!」
威勢の良い声がしてびくりと思わず立ち止まった。同時に周囲できゃー!っと高い声が響き、近くにいた女の人達が、すごい勢いで一ヶ所に向かって突進していった。
「えっ、えっ?」
戸惑ってふらふらと後ずさると、どんっと後ろの人にぶつかってしまった。すみません、と謝ろうとしたがその相手は私の横を通り抜けて他の人達と同じ場所に入っていった。人が多くて、あれがなんの店かもよくわからない。
「わ、すみませ、」
また人にぶつかってしまった。慌てて振り返ると、今度の相手は男の子だった。背が私より高く、丸い目をぱちりと瞬かせた。同い年くらいの男の子だ。これもまた私には馴染みがない層の人だ。
「あ、あの、ごめんなさい」
「へっ?」
さっきの謝罪は聞こえなかったかなと思ってもう一度謝ってみると、彼ははっとしたように声を漏らしてから苦笑した。
「いや、私も不注意だった。すまない」
「い、いえ、そんな……わっ」
まさか謝り返されるとは。焦って少し彼と距離をとろうとして後ずさると、また別の人にぶつかった。慌てて振り返ったが、相手はちらりとこちらを見ただけで背を向けた。その背中にすみませんでしたっと声をかけると、驚いたように振り返ってから軽く手を上げて足早に去っていった。
「大丈夫?」
「あ、はい!す、すみません」
「そんなに謝らなくても」
彼はくすくすと笑った。ふわふわした茶色の髪が揺れる。
「礼儀正しいんだな」
「え?いえ、別に……」
「その上謙虚か」
「ええ?」
突然そんなことを言われて眉を下げて首を傾げると、彼はまた可笑しそうに笑った。
「もしかして人混みには慣れてない?」
「う……はい、実は」
「ははっ。そんな感じだ」
よく笑う人だなあと思って見ていると、彼はまたにっと笑った。
「よかったら目的地まで案内しようか?」
「え!いえ、そんな、御迷惑ですから……!」
「気にしなくていい。それにさっきの調子では、いつまで経ってもこの通りから抜けられないぞ」
「で、でも……」
なんと言って断ろうかと頭を悩ませていたが、彼はまた声を立てて笑ってから、ひょいと私の右手から風呂敷を取り上げてしまった。
「あ、」
「どこに行きたいんだ?」
「え、っと……まさごやというお団子屋さん、わかりますか?」
「ああ、あそこか。美味いよな」
「はあ……」
とは言え、その店のお団子が美味しいかどうかなど知らない。とりあえず曖昧に笑っておくと、彼は少し不思議そうにした。
「そこに行きたいのか?」
「は、はい」
「そうか。なら行こう」
彼はそう言って歩き出した。慌てて声をかける。
「あの、風呂敷……!」
「持っていてあげる。ちゃんと後で返すよ」
「い、いえそんなことは……すみません、ありがとうございます」
彼は私の言葉にちらりとこちらを振り返って、にっと笑った。
――親切な人。

まさごやの店の前に、前掛けをした妙齢の女性が立っていて、あたりをきょろきょろと見回していた。私はその姿を見て、ああ申し訳ないと眉を下げた。
「まさごやはあそこだ」
「は、はい。ありがとうございました」
彼は立ち止まって、風呂敷を差し出した。慌ててそれを受け取って、深くお辞儀をしてから気がついた。
「あ、どうしよう。あの、私、なにかお礼をしたいのですが、今は何も持ち合わせがなくて……」
「親切でやったことだ。気にするな」
「で、でも……」
「いいって」
彼は手を軽く振りながら言って、少し顔をしかめた。
「それより、君、もっと人を疑うことを覚えた方がいいな」
「え?」
「私が本当に親切な人間でなかったら、今頃どうなっていたか」
彼はそう言って大げさに嘆くように息をついた。対して私はきょとんとそれを見上げるばかり。彼はそれに気づいて少し笑った。
「私が物盗りだったら、その風呂敷は今頃君の手の届かない場所だ」
「ええ?」
「君の元いたところはどうか知らないが、町にはそんな人間が思ったより沢山いるんだぞ。私に礼をしたいなら、先に自分に気をつけろ」
彼はそれだけ言うと、それじゃ、と軽く言って手を振り、くるりと背中を向けて歩いていった。
「あ、ありがとうございました!」
案内のことと、忠告のこと。それから町で初めて会った人が親切で嬉しかったこと。それらを込めてお礼の言葉を投げかけると、彼は顔だけ振り返って、にっと笑ってくれた。
――人が多くて憂鬱だったけど、なんとかなりそう。
最初に町に来た時の気疲れは、彼のお陰で随分楽になった。
――本当に、今度お礼をしなくちゃ。
私はもう一度遠くなる彼の背中を見て、くるりと身を翻してまさごやの前で心配そうにしている女性に駆け寄った。
――はじめまして。約束より随分遅れてしまって申し訳ありませんでした。何度か手紙を出させていただいた、日野小梅と申します。


前<<>>次

[2/32]

>>目次
>>夢