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――なあ、小梅。
――なに?三ちゃん。
――あの……言いたいことが、あって。
――改まっちゃって。なに?
――えっと、私……お前が好き、なんだけど。
――え?そう?えへへ、私も三ちゃん好きだよ!
――へっ?
――三ちゃんがそんなこと言ったの初めてだねー!なんかいいね!親友っぽいね!
学園に入学することになり、村を出る日が残り一月まで迫っていたその日。
私の数年来の淡い初恋の集大成は、そんな風にあっさりと流されてしまった。

* *

まさごやの裏口。変装を解いて見せると、あいつは目を瞬かせて呆然と呟いた。
「……本当に、三ちゃんだ」
「そう言っただろ」
「あ、うん、まあ……」
あいつはそれからしばらくじっと私の顔を見上げていた。

「――私、隠し事は嫌いってずっと言ってるじゃない!」
「私だって元々はこんなつもりじゃ無かったし!」
「そういう問題!?だいたい、性格悪いのよ!」
「はあ!?お前に言われたくない!」
「なんですって!?」
「もう何回目だよ……」
「やめなよ、二人とも〜」
「さっきだって、小細工なんかして!何か言いたいなら直接言えば!?」
「じゃあ直接聞いたら素直に答えたかよ!」
「知らないわよ!だからって騙すことないじゃない!」
「こっちも真剣なんだよ!馬鹿!」
「馬鹿じゃないわよ!昔からそうね!なんでもかんでも隠しちゃって、私に何にも言わないで!」
「それを一々つついてきたよな!考えがあって言わなかったのに、どこから聞きつけてくるんだか!」
「考えったってろくなもんじゃないでしょ!」
「お前が決めるな!色々考えてんだよ!」
「嘘ばっかり!面倒だからとかそんなのばっか!」
「それはだから――!」
「二人とも出ていきなさいッ!!」
ということだ。こうして奥さんに追い出されるのは二度目である。また二人ですごすごと外に出て黙っていた。ら、あいつが唐突に顔を見せて、と言ったのだ。

思い返してため息をついていると、ふと手が伸びてきた。思わず後ずさると、あいつは小首を傾げつつ尚手を伸ばし、私の額にそっと触れた。
「……怪我したの?」
「あー……これか」
ほとんど忘れていた、進級試験での怪我だ。あいつは特に表情を変えるでもなく、静かな声で言う。
「痕が残っちゃったんだ?」
「……まあ」
「そっか」
ついさっきまで大声で怒鳴りあっていたのだが、外に出ればどちらもさっと冷静に戻る。昔のままだ。
――昔のまま、か。
あいつはまだ傷を上から撫でている。さすがに気恥しくなってきて、おい、と声をかけた。存外不機嫌な声になった。
「いつまで触ってんの」
「ああ、ごめん。まだ痛いの?」
「それ、先に確認することだろ」
「別にいいじゃない」
この気兼ね無さ。手は引っ込んだので、雷蔵の変装に戻ると、顔をしかめられた。
「それって雷蔵さんの変装?」
「ああ」
「その顔だと三ちゃんだと思えないんだけど」
「さっきあれだけ突っかかったんだから大丈夫だろ」
そう嘯くと、あいつはため息をついた。
「……で、こうやって種明かしした理由だけど」
「何かあるの?」
「無ければずっと隠してたよ」
「なにそれ。最低」
「何とでも言えば」
つんと返すと、あいつはむっと口を尖らせた。
「で?なによ」
「お前、あれはどういう意味だよ。あの、初恋だとか」
少し言い淀みつつ尋ねた。あいつは一瞬きょとんとしてから、かっと顔を赤く染めた。
「あ、あれ!あれは……って、本当に最低!」
「はあ!?なんで急に!」
「だってずるいでしょ!勘右衛門さんの振りして聞き出すとか!」
「私だって急に幼なじみの話なんか始まると思わないし!」
「もう、ほんっと!三ちゃん最低!」
そして顔を覆ってうわーっと声を上げる。耳が赤いのに気がついて、すごく照れてる、と思ったらこっちまで顔が熱くなってきた。
――なんだこれ、なんだこれ!
あいつは顔を覆ったまま、小さな声で言った。
「……だめなの?」
「だ……駄目っていうか……」
これって、本当に好きだったってこと?嘘だろ。そんなはずないだろ。
「……そんな素振りなかった」
「……そうだったかな」
「っていうか、私、昔一回お前に告白したんだけど」
「……は?」
あいつは間抜けな声を漏らして、まだ赤い顔を上げた。
「うそ。なにそれ。知らない」
「知らないって……だから、そういう感じだったんだよ!」
まだそれか、こいつは!
「なにそれ!本当に覚えてない!」
「これだからお前は!」
「ちょっと待ってよ、それいつのこと!?」
混乱した様子で声を上げている。
――むかつく!私がどれだけ勇気を出したと思ってんだよ……!
「五年前!私が村を出る少し前だよ!」
「えー……あ、あれ?もしかしてあの時?」
「お前は直後に親友っぽくていいね、とかぬかしたんだろーが!」
「ああ、え!?あれってそういう意味だったの!?」
「あーあー!最低はどっちだ!」
今度は私が耳まで赤くなって顔を背ける番だった。何が悲しくて過去の不細工な告白の話なんか!
「……えっと、あの、それは、本当に……ごめんなさい」
「そんなに本気で謝られると悲しくなるからやめろ」
「う……」
本当に気の毒そうな声だった。すごくいたたまれない。もうこのまま逃げてしまいたい。
「……あ、あのさ、三ちゃん、違うの、あの時は」
「何がだ」
「あの時はまだ三ちゃんが好きとか思ってなかったの。ていうか、好きだったけど、」
「わかってたよ。友達としてだろ」
わかってて想いを告げた。どうせ村を出るのだから、断られたって構わなかった。ただ、言いたかった、伝えたかっただけで。
――まさか伝わりもしないとは思わなかったけど。
しかしあいつは慌てて言った。
「違う、違うんだよ」
「は?何が」
じとりと目を遣ると、あいつは顔を歪めて、泣きそうな顔をしていた。
「……私は、三ちゃんと一緒にいたかったの。親友って言っても、本当はそうじゃなかった。ずっと一緒にいたかった。三ちゃんの隣がよかったの」
「……なんだよ、それ」
何が言いたいのかわからなくて、思わず眉を寄せる。あいつは小さく首を振った。
「わからないよ。だって私には三ちゃんしかいなかったんだもん。みんなが私達を友達とか親友って呼ぶから、じゃあそうなんだって思ってた。人との関係性の名前なんて、なんにも知らなかったもの」
困惑して黙り込んでいる私を前に、あいつはつらつらと言葉を連ねる。
一緒にいると楽しくて、喧嘩をしたら悲しくなって、でもまた手を伸ばしたら何も言わずに握ってくれて嬉しくなって、そのまま二人で遊びに出かける。何でも話せば聞いてくれて、なんでも話してくれるのを聞いて、父親とも他の村のみんなとも違っていて。二人で一緒に笑ったら、もう何も嫌なことなんかなくて、ずっとひだまりの中に居られるような気がして。心地よくて暖かくて大好きだった。
「――それを恋って呼ぶのか、実はまだわからないの。名前なんて付けなくても伝わればいいのに」
そう呟いた。
――伝わるよ。私も同じ気持ちだった。
言いかけて、唇を噛んだ。それから小さく息をついて、全く違う言葉を口にした。
「……なあ、婚約の話」
「、え?」
「あの話、お前から断ってくれ」
あいつは目を見開いて私を見た。私はそんなあいつから目を逸らして、地面を睨んで続けた。
「親同士で決めたからって、従う義理はない。お前から言えば父上も話を無かった事にするだろう。後ろ盾がどうとか考えなくても、お前は大丈夫だ。もっと良い相手を見つけろよ」
――私なんかと一緒になるな。
沈黙。しかし長く続くかと思ったそれは、存外すぐに破られた。
「……私には、もう三ちゃんと一緒にいる資格はない?」
思わず顔を上げた。
あいつは泣いていた。あまり静かに涙を零すものだから、私は目を丸くしてそれを見つめるだけだった。
「私、三ちゃんが村を出てから、ちゃんと勉強するようになったの。お父さんが、意外と物覚えがいいんだなって驚いてた。読み書き算盤ちゃんと出来るようになった。本も沢山読んだ。その本の中で、恋愛っていうものがあるのを知って、私は三ちゃんに恋してたのかもって思ったの。女の子らしい言葉遣いとか、振る舞い方とかも教わった。掃除も洗濯も料理も出来るようになったよ。お父さんがね、お前は大きくなったねって言ってくれたの」
あいつは涙を拭いもせずに、睨むように私を見つめていた。
「もう一度三ちゃんの隣にいきたかったの。追いつきたかったの。まだ駄目なの?三ちゃんにはもっと素敵な人がいるんでしょうね。でも私は三ちゃんがいい。嫌だよ。どうすればいいの?どうすれば、三ちゃんは私と一緒にいてくれる?」
「お前……」
「三ちゃんがいい。私、やっぱりあなたに似た誰かじゃなくて、あなたがいい。三郎さんを好きになったはずなのに、三ちゃんと結婚出来るって言われたらそっちにすぐ飛び付いちゃった。なんて最低って思ったけど、構わない。頼まれたって三ちゃんと離れたりしない。もう嫌なの」
――駄目だ、駄目だ。お前は幸せになるんだよ。私なんかじゃなくて、もっと明るい未来を見せてくれる奴と。
「……お前、聞いただろ。私は、忍者になろうとしているんだよ。いつ死ぬかわからないんだよ。学園の実習でさえ、今まで級友が何人か死んだ。治らない障害を負って出ていった奴もいる」
あいつは黙ってそれを聞いている。依然目は私を睨んだまま。
「私が、年末に忙しいと言って来なかった時期があっただろう。あれ、嘘だよ。あの時、私は試験で重症を負って、学園から出られなかったんだ。実家に帰る前になってようやく完治を言い渡された。なあ、私なんかの何が良い?お前は昔の気持ちに引きずられてるだけだ。私じゃなくてもいいだろう。お前と一緒にいられない、私なんかじゃなくても」
「……それが、三ちゃんが私を突き放したい理由?」
あいつは静かに言った。私の目を見つめて。
――離れてしまえ。お前と私の道は交わらないんだ。
――交わらないはずだろう。
あいつは目を細めた。また涙が零れた。
「――三ちゃん、やっぱり私は三ちゃんがいい。その不器用に優しいところが大好きだよ」
「やめろ、私は……」
「優しいよ。大好きだよ。三ちゃんが危険な世界に向かうと言うなら、それに喜んでついて行きたいの。私の知らないところで怪我なんかしないで。死んだりしないで。それが一番辛くて悲しいことなの。私、さっきとても怖かった」
あいつは一層涙をぽろぽろと零しながら、私の額に手を伸ばした。
面の下にある傷跡を、優しく撫でられた。
「私は、あなたの隣にいたい」
――ああ、もう。
ゆっくりと手を持ち上げてあいつの頬の涙に触れた。私の指先は震えていて、酷く情けない。
「……私なんかの、何が良いんだ」
「あなたの存在が私にとって唯一だから」
あいつは薄く笑って目を閉じて、私の指先に頬を寄せた。
――誰かを傷つけるだけ離れていって、誰かを殺めるだけ戻れなくなって。そうしてお前のことなんて忘れてしまいたくて。初恋なんか奥底に仕舞いこんで。
――それでも、面白がってからかうつもりだと言って、すべて隠してお前と言葉を交わしたのは。
――本当は。
「小梅――」
名前を呼ぶと酷く懐かしくて胸が苦しくなるのは。



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