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――三ちゃん!どこ行ってたの!
――は?どこって。ちょっと町に出てただけ。
――今日は一緒に遊ぼうって言ってたのにー。
――いる物があったんだよ。しょうがないだろ。
――もう!じゃあ今からでいいや。ねえ、絵描いてよ。
――ごめん、今日はやる事があるから無理。
三ちゃんはあっさりそう言って、彼の家に戻ってしまった。私は一瞬それを呆然と見送って、それから三ちゃんの馬鹿!と怒ってお父さんのところに走って戻った。
その日、私は三ちゃんが村を出るということを知った。

* *

この日まさごやに来たのは三郎さんと雷蔵さんの二人だった。未だにこの組み合わせを見ると笑ってしまう。
「どうぞ」
お茶を差し出すと、雷蔵さんがありがとうと笑った。三郎さんはうんと言って取るだけ。この丁寧さの違いも、二人の大きく違う点だと思う。
「どうですか」
「ん?」
聞くと、雷蔵さんは不思議そうに首を傾げた。三郎さんはくすりと笑った。
「上達したんじゃない。奥さんにはやっぱり及ばないけど」
「なんか嫌な言い方ですね」
眉をひそめると三郎さんは声を立てて笑った。雷蔵さんはやっと理解したようで、苦笑した。
「今日は小梅ちゃんが煎れたの?」
「はい」
「そっかあ。三郎、よく気づくね」
「私は奥さんのお茶を四年間飲んできたんだから、そりゃあわかるさ」
「三郎さんって四年もここに来ていたんですか」
確か彼は私と同じ歳だから、十歳の頃から?あ、十一かな。
「三郎さんって、先の元旦で十五歳ですよね?」
「え。なんで知ってるの」
「庄左ヱ門くん達より四つ上だと聞いていますから」
「ちなみに僕らもそうなんだよ?」
「そうなんですかあ」
まあ、この五人は全員同い年っぽいとは思っていたけど。
「確かにそうだけど、それがなんだ?」
「何というわけでは」
へらりと笑って見せると、三郎さんは不可解そうに眉をひそめた。
――十五歳。私と同じ。三ちゃんとも。
「小梅ちゃん、ちょっといい?」
「はい?」
と、奥さんに声をかけられた。三郎さん達にすみませんと告げてから、奥さんの方に寄った。
「お茶の葉が切れちゃったのよお。申し訳ないんだけど、買い出しに行ってきてくれない?」
「ああ、はい。わかりました」
「ついでにここに書いてあるものも」
そう言って奥さんは財布と一緒にメモを書きつけた紙を渡した。思ったよりも多いなあ。
「ちょっと三郎くん」
「はい?」
「小梅ちゃんと一緒に買い出し行ってきてもらえないかしら?」
「ちょっと奥さんっ?」
なんでお客さんにそんなことを、と思って声を上げる。三郎さんも一度目を丸くしたが、すぐにわかりました、と言って席を立った。
「ああ、いいですいいです!お客さんにそんなことさせられません!」
「別にいいよ」
三郎さんは本当に気にしていないようで、私の手元のメモ書きを見やった。
「結構量あるだろ」
「往復すれば問題ありませんから」
「面倒。雷蔵、お使いは頼んだ」
「はあい」
雷蔵さんが微笑んで頷いたので、三郎さんはそのまま店の入り口に向かってしまった。慌てて前掛けを外していってきます、と奥さんに告げてその後を追った。
「いってらっしゃい、小梅ちゃん」
奥さんがにこやかに言う。図られた、と思う。
――今は、嫌なんだけどな。三郎さんと話すの。
奥さんにも店主にも、三ちゃんとの婚約の話はまだしていなかった。

メモを見ながら買ったものを思い返して、言われた通りのものを揃えたのを確認した。
「これで全部ですね」
「そう。早く戻ろう。寒い」
「そうですね」
三郎さんが肩をすくめて眉を寄せるのを見て、笑いながら頷いた。
「三郎さんは冷え性なんですってね」
「また誰かに聞いたの」
「はい。勘右衛門さんに」
「まったく。どいつも私の情報を漏らしすぎだ」
不服そうに言う。
――冷え性かあ。
「三郎さん、絵とか描きますか?」
「は?」
唐突な質問に、彼は首を傾げた。
何を聞いてるんだろう、私は。
「絵って……別に、普通だけど」
「そうですかあ」
私の反応から意図が見出せなかったのか、三郎さんは軽く眉を寄せた。
「お前、今日はなんか変だな」
「そうですか?」
――お前、って。そういえば前に喧嘩した時もそう呼ばれたっけ。
「何か言いたいことがあるのか。前にもそんなことがあったけど」
「ありましたっけ?」
「冬に入ってから。お前が変に距離を置き出した時の」
「ああ、その節は……」
苦笑する。
結局距離を置こうとして、中途半端にやめてしまって。三郎さんに会えないのが嫌で、ついに手紙なんか渡してしまって。
「……そういえば、年明けに三郎さんに聞きたかったことが」
「手紙のあれか?」
「はい」
別に名字を知らなくて何か問題があるわけでもないのだが、三郎さん以外の四人の名字は知っているのに、彼のものだけ知らないのはなんとなく納得がいかない。
しかし三郎さんはそのまま少し黙ったかと思うと、まったく違う事を言った。
「まさごやに着くぞ。寒いから早く入ろう」
「え……」
そうして足早に行ってしまった。慌てて追いかけて、困惑したまま考える。
――もしかして、名字を聞かれるのは嫌だったのかな。名字が無いとか?
店内に入ると、三郎さんがあれっと疑問の声を上げていた。
「なんで雷蔵、まだいるの?」
「あはは……」
「まあ、本当に別々なのね!」
「あ、沙織さん」
きゃあと声を上げたのは、席に座っていた沙織さんだった。鉢合わせたらしい。
「似てるわねえ。これじゃあ見分けがつかないわ」
「沙織ちゃん、小梅ちゃんはすごいのよお。雷蔵くんが三郎くんの真似をしているのを見破っちゃったの!」
「え!すごい!」
沙織さんが目を丸くして声を上げた。別にすごくないですよと苦笑しながら、奥さんに買ってきたものを渡す。
「――小梅ちゃんったら、本当に好きねえ」
ぴたりと動きを止めた私を見て、奥さんが苦笑した。
「やめなさいよ沙織ちゃん、小梅ちゃんが固まっちゃったわあ」
「あら、ごめんなさい」
言いながらくすくすと笑っている二人は、おそらくそこまで悪いと思っていない。
――好きねえって。私が、誰を。
――私は……。
奥さんはもう一度私の方を見て、不思議そうに首を傾げた。
「あら、小梅ちゃん、どうしたの?怖い顔よ」
「すみません……」
――私、何やってるんだろ。
「――やだ、小梅ちゃん、なんで泣くのっ?」
奥さんが声を上げた。そこで自分の視界が滲んでいるのに気がついた。
「え!ご、ごめんなさい小梅ちゃん!そんなに嫌だった!?」
「ち、違います、大丈夫です」
沙織さんは立ち上がって慌てて私に駆け寄った。
首を振って答えながら、袖口で目を擦る。それでも何故か涙が止まらなくなって、何度も拭った。
「小梅ちゃん、擦らない方がいいわ」
「すみません。本当に、何も無いんです」
「何も無いわけないでしょう。ごめんね、本当にごめんなさい」
「沙織さんは、何も悪くないんです!私が、勝手に」
今のところお客さんが三郎さんと雷蔵さんと沙織さんしかいないのは幸いだった。沙織さんと奥さんに手を引かれて椅子に座らされても、まだ涙は止まらない。
――やだやだ、何やってんの。何が辛いっていうの。
「ちょっと三郎、なんかしたの」
「な、なんで私が」
雷蔵さんが咎めるように言って、三郎さんが狼狽えるように返すのを聞きながら、ああもう、とまた一層泣きたくなる。
――私って言うの。泣かれると狼狽えるの。
――私の手を引いてくれて、意地悪っぽく笑う。
――冷え性で、子どもっぽいところがあって、優しくて、かっこいいの。
――同い年で、名前が、三郎っていうのも。
「……三郎さん、」
「え」
袖で目を覆ったまま、三郎さんが戸惑うような声を漏らしたのを聞いた。
「三郎さん、ごめんなさい」
「なにが……?」
私はもう一度ごめんなさいと呟いて、それから泣き止むまで何も話さなかった。
――この前から、事あるごとに三ちゃんのことを思い出している。
――その度に三ちゃんと三郎さんの同じところにばかり気づくのだ。
――最低。



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