18



――三ちゃんなんか、井の中の蛙、なんだから!
――……は?なんだよ急に。
――ここじゃあ私と三ちゃんしか子どもがいなかったから、私よりちょっと賢くてちょっと力が強いだけでよかったかもしれないけど!寺子屋なんか行ったらどうせ大したことないんだから!
――ちょっとじゃないし。大分私の方が上だろ。
――そんなことないもん!馬鹿!
――誰が馬鹿だ!誰が!
――三ちゃんなんか、寺子屋に行ったら勉強についてけなくて泣いて帰ってくるに決まってんだから!馬鹿!
――誰がそんなことするか!
――どうせそうなるわよ!
――なるわけないだろ!ちゃんと卒業できる!
――そんなはずないもん!どうせすぐ帰ってくるんだもん!
――そんなに言うなら、絶対帰らないからな!卒業するまで戻らないから!
――出来るもんならやってみなさいよ!
――はあー!?見てろよ!六年間絶対に帰らないから!
――どうせ無理なんだからあ!
それが私と三ちゃんの最後の会話だった。未だにその馬鹿みたいな喧嘩が気にかかっている。

* *

三郎さんと喧嘩をして、そのまま怒って出て行ってしまってから二週間経っている。彼は一度もまさごやに訪れていなかった。ついでに言えば、寺子屋の子達の誰も来ていない。
――喧嘩別れなんて、もう絶対しないって決めてたのにな。
幼い頃の子どもじみた喧嘩別れが、未だに私の心に引っかかっている。だからもう誰ともそんなことをしないと決めていたのに、結局こうして、三郎さんと喧嘩別れのような形になっている。細かく言えば、喧嘩別れでもないのだけど。
昼八つ時を過ぎて、七つになろうとしている。三郎さんが来るのはいつもこのくらいの時間。
「――こ、こんにちはー……」
「いらっしゃいませ――って!」
挨拶をしながら入り口の方を振り返って、そこに立っている人達を確認して驚いた。
「八左ヱ門さん、兵助さん」
「俺もいるよー」
「勘右衛門さん……」
この三人でお店にいらっしゃるのは、一回目のとき以来だ。お席にどうぞ、と言おうとした時、彼らの後からまたお客さんが入ってきた。
暖簾をくぐって現れたのは、三郎さん――が二人だった。
『うわああああ!!』
当然、店内にいた全員の反応はこんなものである。
三郎さんの片方はむすっと不機嫌そうで、もう片方は困ったように苦笑していた。

「不破雷蔵です。よろしくね」
「は、はい……」
三郎さんのもう片方は雷蔵さんと言うらしい。確かに三郎さんにしては雰囲気が柔らかく、声も違う。笑い方も幾分優しい。
――だとしても、よく似ている。顔だけなら同じ人間が二人いるようだ。
「双子さん……か、なにかで?」
「ううん。違うよ」
「はあ……」
「その辺は深くつっこまないでくれ」
三郎さんが手をひらひらとさせて言うので、そうしておこうと口を閉じた。
五人から注文を受けて、お茶を人数分用意したところで、雷蔵さんに自己紹介をしてもらったのだ。
「今日は、一連のことについて説明しようと思って来たんだ」
「そうですね……説明してもらいたいですね……」
三郎さんの言葉に頷く。まずは、と三郎さんが他の人達にちらりと目をやって、言った。
「勘右衛門が漏らしたそうだけど、私達は同じ寺子屋の友人同士だ」
「ああ、やっぱりそうなんですか」
「仲良し五人組って定評があるんだよ」
「元凶は黙っていろ」
「はあい」
三郎さんが不機嫌そうに言うと、勘右衛門さんは肩をすくめて返した。
「私はこいつらにこの店の話をした記憶がないんだが、どうやら面白がって見に来ていたらしい」
「だって三郎がなんか変なんだもんなあ」
「気になってもしょうがない」
「こういう奴らなんだよ……」
三郎さんがため息をついた。八左ヱ門さんと兵助さんが笑う。仲が良いのは確かなようだ。気兼ねがない。
「僕もぜひ来たかったんだけど、この顔だから、さすがにまずいって言われてさ」
雷蔵さんが笑うと、勘右衛門さんが言った。
「雷蔵まで来たら、誰が俺達がここに来る間三郎を引き留めるんだってこともあるからね」
「雷蔵を使うなんて汚いぞ!お前ら!」
「あはは」
三郎さんの言葉に他の四人がけらけら笑う。
そういえば以前、三郎さんが勘右衛門さんと八左ヱ門さんと兵助さんに混ざっているのが想像出来ないと思ったことがあった。実際見てみると、そんなことは無いようだ。なんだか三郎さんが年相応に見えるからかもしれない。
「三郎さんは、皆さんがここに来るのは嫌だったんですか?」
「絶対にからかわれるだけだと思ったし、実際そうだったからな」
「だってねえ」
勘右衛門さんが意味有りげに残りの三人に目配せした。
「三郎が週に何度も通うとか怪しいし」
「気になるよねえ」
「気取られる三郎が悪い」
「お前らなあ」
不満げにする三郎さんだが、言い返さないあたりある程度自覚してはいるのだろう。
「んで見に来てみれば、可愛い店員さんとお喋りしてるわけでしょ?そりゃあ店にも行くよねー」
「野次馬どもめ!」
「まあまあ、そんなに怒るなよ三郎」
雷蔵さんが宥めると、三郎さんは深いため息をついてもういい、と言った。
「それで、ミツコの話だけど」
三郎さんの言葉にぎくりとする。
――やっぱり仲良しなんだ。呼び捨てだもん。
「あ、そういえば小梅ちゃん、ミツコの話って三郎に聞いたんじゃなかったの?」
「え、あ……すみません。そう言わないと答えてくださらないかと思って」
「あんたも頭使って嘘ついたりするんだ。びっくり」
「それって馬鹿っぽいってことですか!?」
「さあね」
三郎さんがくすりと笑った。怒っているようではなくて安心する。
「あの時は嘘をついてごめん」
「あ、いえ……そもそも、最近はお客さんのプライベートに突っ込みすぎてたなと反省しました。隠したがるなら、その意思を尊重するべきでした。私こそ、変に突っかかってしまってすみません」
三郎さんに謝られて、慌ててそう答えた。
よく考えたら、三郎さんに嘘をつかれて怒るのはお門違いであった。ただの従業員の分際で、何を正直に話して欲しがっていたのだろう。
――私は別に、三郎さんとそんなに親しいわけじゃないんだから。
「じゃあお互い悪かったってことで」
「はい」
三郎さんが笑ってくれたので、私も頷いて笑ってみせた。
「ちょっと見た?今の」
「二人だとこんな感じなんだな、びっくり」
「想像してたよりもこれは……」
「雷蔵もわかったでしょ?」
「お前達は何をこそこそとしてんだ」
『いや何もー』
他の四人がこそこそと言い合っていたのを、三郎さんが少し睨むとへらっと笑った。
「仲いいなあ二人は」
「そんなこと。皆さんこそ相当仲良しですよね」
そう言うと、五人は顔を見合わせて少し笑った。仲良しだ。
「で、ミツコさんがなんですか?」
「そうだった。あのな、沙織さんが見たっていうのは、おそらく私じゃなくて雷蔵の方だ」
「え!」
雷蔵さんが、三郎さんの隣で苦笑した。
「ごめんね、なんか勘違いしたんだってね」
「い、いえ!そんな、雷蔵さんは何も……」
「そうそう雷蔵は悪くないって」
「悪いのは三郎だろ?変に誤魔化そうとするからややこしくなったんじゃないか」
八左ヱ門さんの台詞に、三郎さんは眉を寄せた。
「仕方ないだろう。見間違いだって言った方が言い訳がましいじゃないか。こんだけ似てるんだから」
「それも元はといえば三郎のせい……」
「なんか言ったか?」
「いや別に」
兵助さんが言いかけて首を振った。
「顔が似てるのは、しょうがないのでは」
「んー。それもまあ色々あるわけね」
「皆さんはいつもそうおっしゃいますね」
何かあったら『色々あって』と隠してしまう。別に構わないけど。
笑っていると五人はばつが悪そうに顔を見合わせたので、慌てて続けた。
「別に、気にしてないですよ。言えない事くらいあって当然です」
「あ、うん。ごめん」
三郎さんでさえ申し訳なさそうにするので、変な事言わなければよかったと思った。
「結局、三郎さんとミツコさんも仲が良ろしいんですよね」
「うーん。まあそうと言えばそうかなあ」
なんだか歯切れが悪い。
「ま、少なくとも勘右衛門が言った通り、友人以上にはなり得ないから、変な勘ぐりはよせよ」
「え、あ、はい。そうなんですね」
「ああ。あれは雷蔵のだからな」
「そうなんですかっ」
「ええ!?ちょっと三郎!?」
三郎さんがにやにやしながら言った言葉に、雷蔵さんが目を丸くして声を上げた。
「なに勝手なこと言うの!?」
「大体あってるだろ」
「どの辺がだよ!」
三郎さんは楽しそうだが、雷蔵さんの顔は心無し青ざめている。
「雷蔵がかわいそう……」
「え、なんでですか?」
「……いや、俺達が何か言う権利はない」
兵助さんの呟きに首を傾げると、八左ヱ門さんが首を振った。

* *

雷蔵が随分打ちひしがれている。それを同情の眼差しで見る他の三人。私はようやく気分が晴れたのでかなり機嫌がいい。
「なんで僕がミツコと恋仲なんて話に……」
「いいじゃないか。美人な恋人が出来てさ」
「中身は三郎だろ!勘右衛門とかに押し付けてよ!」
「え!ちょっと雷蔵さん酷いよ!?」
「でもお前がすべての元凶なんだからさあ」
「そうそう。雷蔵とばっちりかわいそー」
「えー!ごめんって雷蔵ー!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ四人の会話を聞いて、笑う。
――だってあいつが雷蔵に惚れたら一番困るからな。
そう心の中で呟いた。

[あとがき]



前<<>>次

[19/32]

>>目次
>>夢