17



――三ちゃん!村を出るって!
――げ。松さんから聞いたのか?
――どういうことよ!
――どういうことって。だから、寺子屋に行くから村を出るって話だろ。
――なにそれ!三ちゃんが村を出るなんて!意味わかんない!
――お前の言ってることが意味不明。
――だってだってえ!
私自身何が言いたいのかわからなかった。ただ、三ちゃんはずっと一緒にいるものだと思い込んでいたから。

* *

三郎さんは、この日難しい顔でまさごやに来た。
「あ、あの、どうしたんですか?」
お茶を出すついでに、おずおずと尋ねた。
三郎さんは顔を上げて眉をひそめ、それからため息混じりに話し出した。
「なんか、昨日友人に変なことを言われたから、気になってるんだ」
「変なこと?」
「発言には気をつけろだって。あと、女心がわかってないだとか。どういう意味だろ」
そこで私は察してしまった。友人というのは勘右衛門さんのことだ。
――やっぱり、私が三郎さんとミツコさんの関係を気にしているのは気づかれている。
「……さ、三郎さんは時々口が悪いと言われますよね。その話じゃないですか?」
「やっぱりそれかなあ」
三郎さんは納得いかない顔で首を傾げる。
「今更そんなこと話すかな」
「さ、さあ……」
――ああ、昨日適当な嘘で三郎さんに話を聞いたとか言っちゃったからだ。申し訳ない。
「あまり気にしなくても」
「というか、あの隠し方が気になる。誰かに酷いことをしたそうだが、その相手も教えてくれないし」
勘右衛門さんは未だにこの店にいらしていることを三郎さんに隠しているらしい。
「私の口の悪さって、そんなに気に掛かるか?」
「うーん……私は、そこまで」
「そうか」
な、何か話題を変えようか。そのうちに忘れてくれるかも。
「ところで、今日はご注文は……」
「あ、忘れてた。今日から再開。いつも通りに包んでくれる?」
「わかりました。みたらしと餡子が六本ずつと、季節のものが八本、ですね」
「そうそう」
三郎さんが笑った。ちゃんと覚えていてよかった。
――無害そうに微笑んでた、か。
三郎さんが無害そうに微笑む様子を想像しようとして、少し難儀する。今の笑い方はそれに近いだろうが、微笑んでたわけではないしなあ。
「三郎さんって、よく笑いますよね」
「なんだ急に」
「いえ、ちょっと」
苦笑すると、三郎さんは首を傾げた。
「そうかな?」
「はい。面白そうに笑うのが多いですね」
「何か面白い以外で笑うか?普通」
今、その面白そうな笑い方をした。くすくすと笑う。
「……微笑むとか、あまり無いですよね」
「私が微笑む?気味が悪いな」
「そんなことないと思いますよ」
三郎さんは可笑しそうに笑った。やっぱりよく笑う人だ。
「好きな人の前だと思わず微笑んでたりするんですかね」
「ん?なんだそれ。別にそんなことも無いけど」
「でもそういうのって無自覚ですよね、普通」
「おお……そうなのかな」
三郎さんは不思議そうに首を傾げた。
「なんか、何が言いたいのかわからないんだが」
「いえ、特に大した意味は……」
「嘘つくなよ。言いたいことあるなら言えばどうだ。この前から思ってたけど」
そういえばこの前も指摘されたなあ。何か言いたげだなって。
――前回は怖くて聞けなかったけど、今は多少なりとも覚悟が出来ている。聞いてしまおうか。
「三郎さんってミツコさんと仲が良いんですよね」
「はあ?」
三郎さんは思わぬ話題だったからか、目を瞬かせた。慌てて続ける。
「ミツコさんとは私も仲良くしてもらってまして、だから三郎さんとお知り合いっていうのは、何と言うか世間は狭いなあって話を」
「ちょ、ちょっと待て、なんだ急に」
三郎さんが焦ったように止めた。それから眉を寄せて尋ねた。
「なんでそんなことを?」
「えっと、この前沙織さんが、お二人が一緒にいるのを見たと……」
「……あ、ああ、あの時ね」
一瞬きょとんとしてから、三郎さんが二三度頷いた。
「随分仲良さそうだったよとおっしゃってて。夏祭りで三郎さんと会ったのを覚えていらっしゃったから」
「沙織さんな。覚えてる覚えてる」
少し気のない返事をしながら、三郎さんは視線を逸らしていた。やがて目を上げて、苦笑してみせた。
「いや、あれは違う」
「え?」
「別にあの時の人とは仲良くもない。偶然出会って、男女ペアなら化粧品が安く買えるから付き合ってくれと言われたんだ。それだけ」
――はあ?
困惑が表情に現れたか、三郎さんは尚困ったように言い募った。
「いや、そんなあらぬ誤解をされるとは!まったく予想外。そういうこともあるんだな」
「――何言ってるんですか?」
思わず冷たい声で言ってしまった。三郎さんは言葉をやめて目をぱちりとさせた。
「いや、本当に誤解」
「――なんでそういう嘘つくんです?」
「嘘なんかついてないって」
「だから、やめてくださいってば!」
机を叩いて声を上げると、三郎さんはきょとんとした顔をして少し眉を寄せた。
「なんなんだ、話を聞けって」
「聞いてました。それが嘘だったから怒ってるんです!」
「なんで嘘だってわかるんだよ?」
「だって三郎さんはミツコさんと仲良いんじゃないですか!なのに偶然会ったとか意味不明な嘘ついて!」
「そんなことお前にわかるのか!?」
「わかるから言ってるんでしょ!」
「――こら、二人ともやめなさい!!」
奥さんに怒られた。はっとして一歩離れる。三郎さんは憮然とした顔で奥さんを見た。
「突っかかってきたのはあっちですから」
「突っかかられる原因は三郎さんにあると思いますけど」
「はあ?」
「だからやめなさいってば!また追い出すわよ!?」
そう言われては黙るしかない。しかし今回は問答無用で追い出されるようではないので、よかった。
「二人とも、普段はあんなに仲良しなのに、なんで急に喧嘩なんかするのよお」
「三郎さんが嘘をつくからです」
「私がいつ嘘を言ったって」
「そもそも、私以前言いましたよね?好きな人がいらっしゃるなら、発言に気をつけるべきだって。あ、さっきのご友人の話ってそこじゃないですか?」
「なんだよ急に話を戻すな。自分から逸らしたくせに」
「駄目なんですかっ?」
「一貫性がないなって話!」
「二人とも?」
『……すみません』
まったく、と奥さんが息をついた。
――我ながら、なんでこんなに三郎さんと喧嘩するのかよくわからない。しかもなんか子どもみたいなところに突っかかって。
――本当に小さい頃と同じだ。
「でもねえ、三郎くんもちゃんと本当のこと言いなさいよ」
「は!?奥さんまでそんなことを!またそっちの味方して」
「味方とかじゃないわよ。子どもみたいな事言わないの」
三郎さんは顔をしかめた。それからふんと鼻を鳴らす。
「本当のことも何も!私が嘘をついてる証拠なんかありますか」
あくまでシラを切るつもりらしい。しかし勘右衛門さん達のことは三郎さんには内緒という約束だし……。
「――あのねえ、勘右衛門くんが言ってたのよ」
「え!?ちょっと奥さん!?」
さらりと奥さんが言うので、慌てて声を上げる。しょうがないでしょお、と奥さんはため息をついた。
「……勘右衛門?」
その名前を聞いて、三郎さんは一瞬きょとんとした。
それから見る間に苛立たしげに顔をしかめ、バンッと机を叩いた。
「そういうことか……!」
「……ど、どうしたの、三郎くん」
「くそ、あいつら!勝手なことを!」
奥さんの声も聞こえていないようで、三郎さんは顔を赤くして怒っているようだった。
――『あいつ、怒ると怖いから』
勘右衛門さんの言う通り、なんだか怖いくらい怒っている。
「お、おーい……三郎くんの団子出来たけど……」
厨房から店主が顔を覗かせて、小さな声で言った。三郎さんはばっと私の方を見て、席から立ち上がった。
「会計して!」
「は、はい!」
苛立った声のまま言われて、慌てて算盤を弾く。奥さんが店主から引き取ってきた二つの包みを差し出すと、三郎さんは無言のままそれを受け取って、会計はぴったりの額を支払い、何も言わずに店を飛び出していった。
いつもの様子とは随分違っていて、彼が出て行ってからも店内はしんと静まっていた。
「……三郎くん、どうしたんだろうねえ」
「さ、さあ……」
奥さんの言葉に、そう返すしかなかった。



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