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――なあ三の坊、お前が言うほど俺は立派な奴じゃねえよ。
――なんですか、急に。
――お前、俺のこと随分慕ってくれるけど、やっぱりそんなに思われるような人間じゃねえや。
――そんなこと無いですよ。松さんは良い人です。
――いや、駄目だよ。こんなこと小梅には言えねえんだがな。
そうして松さんは内緒話をするように、私だけに教えてくれた。

* *

学園を出たのは昨日の夕方。一度目的地の近くで宿をとり、その宿を夕方に出発し、予定通り、夜中の子の刻前に村の入り口に到着した。
――四年と半年前、忍術学園に向けて出発して以来、一度も帰らなかった村。祖父母が住んでいて、私は三歳の頃に、その家に預けられた。
相変わらず田畑ばかり続く道は上り坂。途中に民家が二三戸あり、坂を上りきったところには家が十軒ほど集まっている。村の総人口は二十余名。ほとんどは老夫婦の二人暮らしで、三十くらいの歳ならまだまだ若い。二十代の男は松さんしかいなかったが、今は零なのかもしれない。子どもと呼べる人間は二人いたが、今は私もあいつも村を出たから零かも。もしくは新しい住人でも増えているのだろうか。
朝早くに起きて、夜は日が落ちたら眠るのがこの村の生活だ。どこかの家で宴会などがあれば別だが、こんな盆の最後の日になってそんなことはしていないだろう。送るご先祖様を偲んで、静かにしているはずだ。
村の外れには墓地があって、この村で生を終えた人の多くはそこの墓に入る。一応人に会わないよう、気配に気をつけてそこを目指した。
墓地の管理は町の寺のお坊さんがしているそうだが、あの坂を上ってやってくることは少ない。実質的には村人で墓の管理をしているような形だ。私も昔はよく掃除に駆り出された。
昔何度か案内された墓石を探す。あいつは墓地でもいつものように元気にしているような忙しない奴だったが、その墓石の前ではじっと長い間しゃがみ込んで手を合わせていた。
――あった。
まだ刻まれて間もないからだろう。墓石にははっきりと、松之助の名前があった。隣には、竹子。あいつが生まれてすぐに亡くなったという、あいつの母親、松さんの妻の名前だ。
――よかった、間に合った。
別に仏教を深く信仰しているわけではないが、盆の間自分の住んでいた場所に戻るという霊は、今日黄泉の国に帰るらしい。まだ日付は変わっていないはず。まだ、この墓に刻まれている二人は残っているだろうか。
墓の前にしゃがんだ時、黒髪がさらりと垂れた。随分久方ぶりに見る、自分自身の髪。
目を閉じて、手を合わせた。

――やがて目を開いた。おそらくとっくに日付は変わっている。
懐から和紙に包んだものを取り出して、中身をつまんで墓石の前に並べる。お供えも持たずに来てしまったが、代わりにこれを置いていこうと思って持ってきたのだ。
――それは、砕けて形のわからなくなった苦無の欠片だった。持ち手の青い紐は黒く汚れてしまっていた。
「……ありがとうございました」
最後に口に出して呟いて、私は立ち上がり、ゆっくりとそこから立ち去った。

* *

朝。私は荷物の確認をして、家を出た。
「おお、小梅ちゃん、おはようさん」
「おはよー、おばあちゃん」
出たところで、洗濯物を運ぶおばあちゃんと挨拶を交わした。本当の祖母ではなくて、三ちゃんのおばあちゃん、を略しておばあちゃん、だ。
「もう出るのかい?」
「うん。でもその前に一回お墓に挨拶に行こうと思って」
「そうかあ。よろしく言っておいてくれな」
「はあい」
おばあちゃんにそう返して、駆け足でお墓に向かった。
墓地の入り口にはお参り用の桶と柄杓、箒が置いてあり、井戸もある。掃除は一昨日にやってしまったが、最後に水拭きだけしておこうと決めて、桶に水を汲み、それと柄杓だけ持って墓地に入った。
お母さんの墓石の場所は、幼い頃から何度も来たので目をつぶっていたってたどり着ける。今はお父さんもその中だ。
桶を墓石の前に置いて、一度手を合わせる。それから持ってきた襷をかけて、古い手拭いを桶に浸したところで、地面に落ちているものに気がついた。
「これ……!」
金属の欠片だ。原型は留めていない。刃先はボロボロで、鮮やかな青だった紐は黒く汚れてしまっている。
――でもわかる。これは、あの子が村を出る直前に、お父さんから贈られた苦無だ。
慌てて欠片を拾い上げて、まじまじと見る。大分古いものだ。錆び付いていた。
――まさか、三ちゃん、ここに来たの?
そしてこれを置いて行った。村を出てから一度も帰って来なかった彼が。にわかに信じ難い話。
お葬式には来てくれなかったのに。初めて私が彼に手紙を送ったのに、返事もなければお葬式にも来なかった。もう村に戻るつもりがないのかと思っていた。そんな彼が、まさか。
――おばあちゃんは知っているのかな。でも、さっきの様子では何も無かったみたいだった。
そこまで考えて、あっと思い出したことがあった。
そうと決まれば、掃除は後回しだ。ごめんなさい、お父さんお母さん、と口に出しながら手を合わせて、私は家に向かって走り出した。
お父さんの仕事場に、三ちゃんに渡すものがあるのだ。

* *

――三の坊、小梅が随分不貞腐れてたぞ。
――あいつが酷いこと言うから!
――全く。十にもなって、お前達はまだそんな子どもみたいなことを。
――私、本当に戻らないんだから!
――はいはい。ま、お前なら大丈夫だよ。しっかり勉強してきな。
松さんはそう言って笑った。それから大事そうに布で包んだなにかを私に差し出した。
――なんですか、これ?
――使う機会があるかどうかわからんが、折角だから持っていってくれ。入学祝いだ。
そうして、あの苦無を贈ってくれたのだ。初めて触るそれは、私の中では忍者の使うものの代名詞であったから、とても嬉しかった。
――ありがとう、松さん!
――ああ。
松さんは私の礼に頷いた。
――壊れないように気をつけるよ!
――いや、使っていればそのうち壊れるさ。もしそうなったら取り替えに来な。お前のために、新しいものを作っておいてやろう。
――本当!?
――ああ。その時は、そこの紐を赤にしてやろう。
そうしていたずらっぽく笑った。

宿で目を覚まして、懐かしい夢を見たと思った。昨夜のことがあったからだろう。
もう太陽が真上に来ようとしている。そろそろ出ないと、今日中に学園に帰れない。飯は頼んでいないから、どこかで食べて行かないと。
少ししかない荷物を確認する。その中に紛れている苦無を取り出した。
松さんの言う通り、あの苦無は三年の春に実習の途中で壊れてしまった。彼は取り替えに来ればいいと言ってくれたが、結局行かなかった。帰らないと言った手前、なかなか戻りづらかったのだ。
――でも、本当に作っておいてくれたのか。
今荷物から取り出した苦無の、持ち手の紐は赤い。昨夜、ほとんど期待していなかったが一応と松さんの仕事場に入った。中はすっかり整理されていて、彼が使っていた工具は全て無くなり、炉も全く火の気が無かった。その仕事場の机の上に、ぽつんと木箱が置かれていた。その中に、この苦無が大切に保管されていたのだ。
中に小さな紙が入っていた。
『鉢屋三郎様へ 日野松之助』
日付は一年前の夏。この苦無を作った日付だろう。私は苦無とその紙だけをとって、木箱の蓋を閉めた。それから村を出て、宿に戻ってそのまま眠った。それで今起きたのである。
松さんは、武器の職人だった。一番多く作っていたのは刀や槍だった。侍や将軍が使うような立派なものではなくて、足軽や歩兵に支給されるような安い武器だった。
『俺はそんなに立派な奴じゃねえよ』
彼の言葉にはそういった意味が篭っていた。
『人を傷つけるようなものばっかし作って、こんな細々と暮らしてよお』
そして彼は、内緒話をするように、私だけに教えてくれた。
『俺はきっと極楽には行けねえや』
『だから、奥さんにはもう会えねえだろう。それは小梅に任せようかねえ』
確かにそんなことをあいつに言えば、とても怒るだろうと思った。私も、そんなことを言う松さんはあまり好きではなかった。
でも彼が寂しそうに笑うので、私だけはその言葉を真っ向から受けていようと思った。
――でも、彼はきっと救われる。
――私こそ極楽なんかには行けないだろう。
今ならそう返すと思う。
――今頃、奥さんに会えているのかなあ。

[あとがき]



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