12



――三ちゃん、三ちゃん!
――なに?うるさいなあ。
――町でお祭りしてるんだって!お父が連れてってくれるって!一緒に行こうよ!
――祭り?面倒くさいー。
――いいじゃない!年に一度なんだからあ!
渋る三ちゃんを引っ張って、私はにこにこと笑った。

* *

お店にやってきた三郎さんが、店内を見渡して目を瞬かせた。
「いらっしゃいませ、三郎さん」
「なんか今日、お客さん多いな」
もうすぐ日が暮れる。いつもなら店を閉めようかと奥さん達と話すような時間なのに、この日は席の多くはまだ埋まっていた。
「夏祭りなので」
「やっぱりそうかあ。みんな考えることは同じだな」
三郎さんが苦笑する。ということは、三郎さんも同じことを思って、こんな珍しい時間に現れたのだろうか。
夏祭りが始まるのは、もうすぐ。今店にいらっしゃるお客さん達は、この店からの帰りに夏祭りを見に行こうと、この時間まで店に入り浸っているのだった。
「三郎さんもお祭りに行かれるのですか?」
「ああ。暇だし、たまにはな」
言ってから、三郎さんは参った、と笑った。
「こう人が多いなら、迷惑かな。やっぱり今日はいいや」
「いえ、大丈夫ですよ。どうぞ」
「でも」
「気にしないでいいのよお、三郎くん!さあどうぞどうぞ」
遠慮する三郎さんだったが、奥さんが多少強引に背を押して席に案内したので、苦笑していつもの席についた。
「すみません、今お茶お出ししますね」
「ありがとう。あと、団子はずんだのがいいな」
「はい、わかりました」
先日三郎さんが持ち帰ったのが確かずんだだった気がする。気に入ったのかな。
如何せんお客さんが多いので、三郎さんとゆっくり話す時間はなかった。孫のお祝いに贈り物をしたいという老婦人の相談を受けながら、時折三郎さんの方を盗み見ると、彼はいつぞやのように暖簾の向こうの足達を眺めていた。
やがてお客さんが一人二人と減り始めた。お祭りが始まったからだ。そうなるとあっという間で、四半刻ほどで三郎さん以外のお客さんは全員いなくなってしまった。
「お疲れ様あ、小梅ちゃん」
「あはは、はい」
店主の言葉に、へらりと笑う。おやつ時と同じくらいの勢いで疲れた気がする。
「奥さん、そろそろ帰っていいんですかねえ」
「あら、三郎くんもう少し待ってよ〜」
三郎さんが奥さんに問いかけると、奥さんは笑ってそう答えた。
「奥さんが引き止めてたんですか?」
「そうだよ。出ようとする度に、もうちょっと待ってって言われて」
三郎さんが言った。不機嫌そうでもないのでよかったが、不審そうではある。
「なにか用事でもあるんですかって聞いても答えてくれないし」
「それでよく待ってましたね」
「ま、どうせ暇だからな」
三郎さんは少し笑った。
しかし何の用事があるのだろうと奥さんを見ると、なんとなく微笑ましげにしていた奥さんが、小梅ちゃん!と私の名前を呼んだ。
「な、なんですか?」
「今日はもういいから、上がりなさい」
「え?でも、お店はまだ閉めませんよね?」
「ええ、でも多分もうお客さん来ないから。こっちもすぐに上がるわ」
だったらそれを待てばいいのではと言おうとしたところで、奥さんは楽しそうに言った。
「浴衣でも着て、夏祭り行ってくればいいわ。ちょうど三郎くんもいることだし!」
『……え?』
図らずも、三郎さんと声が重なってしまった。

浴衣を着て、普段ほとんどしない化粧を簡単にして、奥さんが器用に髪をまとめてくれた。最後に翡翠の玉簪を差して、奥さんは満足げに頷いた。
「可愛いわよお、小梅ちゃん!」
「はあ……」
そう言われても、苦笑しか出ない。可愛いと言われても、私が多少めかし込んだところでたかがしれている。
「三郎くんも惚れ直すわね、きっと!」
「もう、だからやめてくださいってば!」
未だに奥さんは私と三郎さんの仲についてお節介焼きであり、この今の状況もその一環であった。
三郎さんが夏祭りに行くと聞いて、私と二人で行けばいいのではないかと考えたらしい。ずっと引き止めていた理由を奥さんが話すと、そういう事ですかと三郎さんは苦笑した。それから別に良いですよ、と簡単に了承されたので焦ったのは私だけであった。
――そりゃあ、三郎さんとお祭りに行くなんて、嬉しいけど……。
しかしあの反応からして、私と二人でお祭りに行くことに大した意味を感じていないようで少し残念でもある。待ってるから早く着替えて来い、と言って、また暖簾の向こうに目を向けていた。
「小梅ちゃん、お祭りは初めてでしょう?迷子にならないように気をつけてね」
「大丈夫ですよ。さすがにもう人混みにも慣れました」
「あら、お祭りを甘く見ちゃいけないのよお」
奥さんが笑った。それにつられて笑いながら、店内に戻った。三郎さんと店主がお喋りしていたが、奥さんのお待たせしましたあという声で二人揃ってこちらを見た。
「おお、小梅ちゃん可愛いじゃないか!」
「あ、ありがとうございます」
店主が私を見てすぐに笑いながら言ってくれたので、苦笑混じりにお礼を返した。奥さんが可愛いでしょう、と店主に笑うのを横目に、三郎さんの様子を伺ってみた。
三郎さんはぼうっと私を見ていたが、ぱちりと目が合うとすぐにくすくすと笑った。
「随分気合入ってるなあ」
「あら、三郎くん。感想はそれだけなの?」
奥さんが言うと、三郎さんはひらひらと手を揺らして笑った。
「いいんじゃないですか。似合ってて」
それに苦笑を返しながら、うーんと内心落胆した。どうやら珍しいおめかしでも、三郎さんは何も思っていないらしい。少しくらい驚いてくれてもいいだろうに。
――ま、私のおめかしくらい大した意味はないものね。
「じゃあ三郎くん、小梅ちゃんのこと頼んだわよ」
「頼まれました。迷子にしないように気をつけますよ」
「あら」
さっきの奥さんの言葉と被ったからか、奥さんは可笑しそうに笑った。
「じゃあいってらっしゃい」
店主と奥さんにそう言われて、私と三郎さんは連れ立ってまさごやを出た。

確かにお祭りを甘く見ていたかもしれない。思っていたよりも、随分と混雑していた。
「な、なんか人が多いです……」
「祭りだからな」
三郎さんが笑った。彼はこんな人混みには慣れているらしい。気後れする私の前を歩いて行く三郎さんを慌てて追いかけた。
「あんたは何か行きたい屋台とかあるのか?」
「何があるのかわからないので……」
「そう。まあ、時間はあるから」
三郎さんは少し振り返って微笑んだ。
お祭りと言えば、村の近くの町でのものしか知らないので、こんなに賑やかなお祭りは初めてである。人も多ければ、屋台の数も多い。掲げられている看板をきょろきょろと見ていると、人にぶつかってしまった。
「わ、すみませんっ」
声を上げると、相手も一度ごめんなさい、と頭を軽く下げてすれ違った。なんか、初めて町に来た時もこんな感じだった――
「あ、ごめんなさい!」
「ああ、はい」
なんて考えていればまたぶつかった。今度も相手は少し苦笑してすれ違う。駄目だ駄目だ、前見て歩かなきゃ、と思ったら視界の端に屋台の看板が掠めてそちらに意識が向いてしまって。
「あ、わ、すみません!」
また人にぶつかった。慌てて謝りつつ顔を上げると、三郎さんが呆れたように見下ろしていた。
「まったく、何してんだ?」
「あはは……お恥ずかしいです」
「それじゃあ三ヶ月前と変わらないな」
まさに言われた通りで、肩を落とす。三郎さんはけらけらと笑って言った。
「屋台に気を取られるなんて、子どもみたいだぞ」
「う……しょうがないじゃないですかあ」
大規模なお祭りなんか初めてなのだ。色んなものが新鮮に見えるのも仕方がない。
「本当に迷子になりそうだ」
三郎さんは笑って、ひょいと自然に私の手を取って歩き出した。
「えっ、ちょっと、三郎さん!」
「奥さんに迷子にしないようにするって言ったんだから、しょうがないだろー」
三郎さんはからかうように笑った。引っ張られながら、えー、と私は赤い顔をしかめた。
「あ、そうだ、奥の方に林檎飴があるみたいだぞ」
「え、本当ですか!」
三郎さんの言葉に、思わず声を上げると、また声を立てて笑われた。
「林檎飴に食いつきすぎ!本当、子どもみたい」
「わ、悪かったですね!昔から好きなんです!」
「はははっ」
三郎さんが随分楽しそうだった。恥ずかしいと思う反面、なんだか楽しくて私も小さく笑った。

「――あら、小梅ちゃん!」
「え、あ、沙織さん」
後ろから声がかけられて振り返ると、綺麗に着飾った沙織さんが笑って手を振っていた。さすが織物屋の娘というか、綺麗な白の浴衣だ。
「なによお、小梅ちゃんも隅に置けないわね!」
近くにやってきた沙織さんは、くすくす笑って三郎さんを見上げた。私と彼の手は未だに繋がれたままであった。
「え!ち、違いますよお、彼はそういうんじゃなくて!」
「隠さなくてもいいじゃない!紹介してよお」
「えー!」
私と沙織さんがそうやって言い合っているのを見て、三郎さんは可笑しそうに笑った。
「まさごやの常連さんなんです!ただの!」
「ただのとは酷いじゃないか。いつも店であんなことそんなこと話してるだろー」
「もう!三郎さんは黙っててください!」
「あら小梅ちゃん、他のお客さんとは違う対応じゃないのお。怪しい〜」
「えー!?」
二人揃って私をからかって!けらけら笑っている二人と完全に遊ばれている私だ。
「初めまして、沙織ですう」
「どうも。三郎です。沙織さんの話、よく聞きますよ」
「あら、それは嬉しいわねえ」
沙織さんはふふっと笑った。
「あれ、私三郎さんに沙織さんの話しましたっけ」
「この前一緒に遊びに行っただとか姉みたいだとか、結構話に出てきてるけど」
「あれ!?」
「小梅ちゃんったら!可愛いこと言ってくれちゃってえ!」
沙織さんは嬉しそうに言って私の肩を叩いた。痛いです!と言うとけらけら笑った。
「じゃ、お邪魔しちゃ悪いからもう行くわ。お母さんも待たせてるの」
「お邪魔って……もう良いですよお。では失礼しますね」
「ええ。小梅ちゃん、今日は一段と可愛いから一瞬気後れしちゃったけど、やっぱりいつも通りだったから安心したわあ」
「お世辞は良いです!沙織さんもお綺麗ですよ」
「ありがとお」
沙織さんは最後にそう笑って、からころと下駄を鳴らして去っていった。

「――もうすぐ花火が始まりますよ」
「え、花火?」
狐面が少し驚いたように答えた。
三郎さんは、お面屋さんで買った二種のお面を、ひょっとこは頭の横に、狐は顔に被っている。その時点で随分面白そうだが、その上的当てで得た玩具やら屋台で買った林檎飴やら田楽豆腐やら、右手がごちゃごちゃしている。大分お祭りを楽しんでいる。
左手は、まだ私の右手に繋がっている。もう全く気にならなくなった。
「花火やるんだ。知らなかった」
「あら、そうですか?川のところでやるそうなんです。移動しましょうか」
「ああ、そうだな」
また三郎さんに手を引かれて歩き出す。周りの人達も同じ方に向かっているので、みんな考えることは同じのようだ。
三郎さんの背中を見ながら考える。
――懐かしいなあ、この感じ。
記憶の中で優しく手を引いてくれるのは、普段気が強くて意地悪だったあの子。ふらふらと色んなものに目移りする私を、何度注意しても聞かないから、結局しょうがないなあと手を繋いでくれて。彼が引っ張る方について行けば何も心配はいらないと信じていたから、周りをきょろきょろしてても大丈夫だって思ってしまう。そうして私の悪癖が治らないのを自覚しながら、彼はいつも手を引いてくれた。
――私は、三郎さんのことが好きなのかもしれない。
最近になって自覚し始めている。最初に出会った時からか、困ったお客さんから助けられた時からか。気がつけば彼がよく現れる夕方近くに、そわそわと店の入り口を気にしていた。
――でも、それって本当に三郎さんのことなのかな。
川の土手には既にたくさんの人が集まっていて、私と三郎さんはその中に紛れた。
「花火ってあんまり見たこと無いんですよねえ」
「え、そうなのか?」
「村の近くの町で、随分前に一度だけ花火師の方がお祭りにいらっしゃったことがあって、それ以外では見たことがありません」
「へえ。まあ、私もそんなに見たことは無いかも。お祭りにも毎年来るわけじゃないし」
「じゃあ楽しみですね」
「そうだなあ」
三郎さんは少し笑った。
それからするりと手を離されて、一瞬ふと息が詰まった。三郎さんは空いた左手で付けていた狐面を外した。ふうと息をついたのを見て、私はくすりと笑う。
「早く始まらないかな」
「そうですねえ」
真っ暗な空を見上げて、三郎さんが呟いた。左手は面を持ったまま、少し後ろに手をついて体重を乗せている。
――どぉん、と音がして、ぱっと辺りが白くなった。
おお、と声を上げた三郎さん。懐かしい花火が嬉しいのと彼の様子が可笑しくて、私はまた笑った。
低い音を続けて鳴らしながら、様々な色の花火が開く。多くの人達の顔が、色とりどりに染められる。
三郎さんは子どものように花火に釘付けだった。黄色く色付く彼の横顔が、一瞬あの子に重なった。
――だめだなあ、私は。
言葉とは裏腹に幸せな気分。私は小さく微笑んで、三郎さんの左手が触れている狐面に、右手をちょこんと載せた。
――どぉん、と紅い花が咲いた。



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