06



もう随分と寒くなってきた。今日は特に冷え込んでいて、外では息を吐くと微かに白い。
それなのにまだ冬の準備をしていなかった私はタイツという選択肢を持っていなかったし、同じく冬の仕様でない電車内はヒーターがあまりきいておらず、なんだか寒い。小説にもなかなか集中できない。
はあ、と少し息をつくのとほぼ同時に、車内アナウンスでもうすぐ彼が乗車することに気づいた。彼も同じように今朝は寒さを感じていたりするのかなあ、なんてバカみたい。

ドアが開いて、冷たい空気が足元を通った。ああ、やっぱり寒い!でも彼の茶色のローファーがちゃんと見えたので、そんなこともどうでもいいかもしれない。
電車が動き始めて、また本を読むふりをして彼の方をちらりと見た。グレーのジャケットの下に濃い色のカーディガンを着ていた。あ、今日は英単語帳だ、私の学校でも使ってるやつ。もしかして同じ学年なのかな、と一瞬思ったけど、よく考えたらあれは受験用のものなので場合によって高校生なら誰でも使っているだろう。
なんて、またバカみたいなことを考えていたら、彼はふと、右手の人差し指を栞代わりにして単語帳を閉じた。
自由になった左手でカーディガンの右袖を引っ張り出し、左袖も同じようにして、手の甲が隠れるように。そうしてから再び、単語帳の人差し指を挟んだページを開いた。一連の動作をしながら、表情はいつもの通りに涼しい顔のままで。

――え、なに今の。すごく……なんというか、すごく、可愛かった。

はっとしてすぐ視線を本に戻し、ついでに少し位置を下げて顔を俯けた。いつになく思いっきり彼のことを見てしまった気がする。あと、ちょっとにやけてしまった気がして、それが誰にも見えないように。
なに今の。すごく乙女じゃない。噂の女子力っていうやつなの?
ああ、どうしよう、なんか、きゅんって音がした気さえする。
また車内アナウンスが流れ、電車は停車した。すぐ隣のドアが開いた。
今日はもう彼のことを見れる自信がない。

* *

今朝はとても冷え込んでいた。事前に冬用のカーディガンなどは用意していたので防寒はばっちり。まあ、ホームで待っている間単語帳を見ていたので、ちょっと指先が冷えているけど。
電車に乗り込んだ時、ちらりと様子を見た彼女はいつもと変わりない格好。冬に女子が好んで履いているらしいタイツでもなく、ジャケットの下にもカーディガンやベストといったものは着ていないらしい。
寒くないのかな、と思ったがあまりじろじろ見るとバレてしまうので、すぐに英単語帳に目を戻した。
がたん、と電車が止まった。向こう側のドアが開いて、外から冷たい空気が流れ込んできた。あー、寒い。
なんて思っていたのに。
なんとなく彼女の方を見ると、表情は俯きがちでよくわからなかった。が、きゅっと両足をぴったりくっつけて、少し内側に向くよう身じろぎしたのがわかった。また、文庫本を左手で持って、右手でその左手の甲をゆっくりさすったのも。

――え、なに今の。なに、なんだか、すごく、可愛いような。

ちょっと単語帳を引き上げて、彼女に向けていた目を強制的にそちらへ向けた。なにがっつり見てんだ、俺。まずい、ちょっと、変ににやけたりしてないよね。
なに今の。すごく女の子って感じ。やっぱり寒いんだなーって感じ。表情が見えなかったの、ちょっと残念かも。
ああ、どうしよう、なんか、きゅんって音がしたかも。
この日はもう彼女の方を見ることができなかった。


前<<>>次

[7/10]

>>目次
>>夢