04



ドアの向こうで男の子が何かに気づいたように笑った。挨拶するように軽く左手を上げたので、もしかしたら知り合いが中にいるのかもしれない。
そこまで考えたところで、その子の制服が彼のものと同じグレーのジャケットだと気づいた。この位置からの視線の先。

――もしかして、彼の?
そう思った時、ドアが開いた。ホームへ降りると、男の子も含めて待っていた乗客が乗り込んだ。

「おはよー」
「うん、おはよう数馬」

すれ違いざま、男の子がそんな挨拶を交わしたのに気づいた。

――もしかして、彼の声?

そんなことに気づいて私はドアのすぐ前で立ち止まってしまった。ホームを歩く人が怪訝そうに私を見たので、慌てて邪魔にならない位置に移動した。いや、というか、私も改札に向かえばいいんだけど。
おかしなことをしてしまったとため息をついた時、ドアが閉まることを告げるアナウンスが流れた。あっと思ってつい降りてきたドアを見やると。

ばちっ、と。ドアの窓越しに、二度目の音が聞こえたような気がした。
相手は彼じゃなくて、あの笑顔の男の子だったけど。

いや、男の子はその時笑顔じゃなくてなんだか青ざめた顔をしていたけど。
――え、なに?

青ざめた顔の男の子と彼を乗せて、電車はいつも通りにホームを出て行った。合った視線は電車の速度と同じように動いていったが、すぐについていけなくなって外れた。

――なんか、びっくりしたあ。

彼と目が合った一度目とは性質が違うけど、男の子と合った二度目も変などきどきを感じた。主に驚きの意味で。
どうしてあんな表情をしていたんだろう。
少し首をかしげたが、考えてもわかるわけがないので改札に向かおうと思った時、ホームに設置されている青色のベンチに一本の傘がぽつんと置かれているのに気が付いた。
鮮やかな薄紫色のシンプルな傘だった。

*  *

いくら窓からのぞいても、お前の傘は戻ってこないよ数馬。とりあえずドアの窓に顔をくっつけるのやめて。
そう言って数馬を定位置の方に来させると、青ざめて絶望的とでも言いたげな表情をしていた。
まあなにかと運のない、不運な数馬としては人生何度目、いや十何度目かの傘とのお別れになってしまったという感じなんだろう。だから傘は常に手放さないか、折り畳みにしてカバンに入れておけって言っているのに。

「あれ、この前買ったばっかりなのに……」
「うん、それは本当に残念だけど、しょうがない。不注意だよ、数馬」
「うう……そんなはっきり言わなくてもいいじゃないかぁ……」

そうは言っても、数馬は何度傘を失くせば気が済むのだろう。高校に入ってからでもすでに五回以上失くしているじゃないか。
そりゃあ勝手に持っていかれることも多いんだけど、自分の不注意ってとこもあると思うよ。

「もしかしたら、誰かが気づいて駅員さんに届けてくれているかもしれないじゃない」
「誰かが気づいてラッキーって持って行っている可能性の方が高いよ……」
「もー。俺の傘に入れてあげるから、あんまり落ち込まないの」
「……うん、ありがとう藤内……」

はあ、と数馬はもう一度ため息をついた。


授業が終わってから、数馬と同じ駅で一度降りることにした。数馬はすでに諦めきっているようで、どうせ見つからないからいいよと言うのだが、とりあえず駅員さんに聞いてみないとわからないじゃないか。
気弱だからって聞けないなら俺が聞いてやる、とまで言えばさすがの数馬もわかったよ、とちょっと笑った。

「――薄紫色の……ああ、はい、ちょっと待ってください」
「えっ!?あるんですか!?」
「今朝届けられましたよ」

改札の隣で聞くと、駅員さんはあっさりとそう答えて、駅員室の奥から真新しい薄紫色の傘を持ってきてくれた。
数馬は目をぱちぱちとさせていたが、新しい傘が手元に戻ってくると、正直大げさだと言いたくなるくらいに感動したようだった。

「よかったね数馬」
「うん!……あの、これ、誰が届けてくれたんですかっ?」
「えっ誰って……そこの女子校の生徒さんですけど」

傘一本くらいでそんなに?という駅員さんの声が聞こえる気がする。

「ああーよかった!藤内ありがと!」
「なんで俺に言うんだよ」
「だって諦めてたら戻ってこなかったもん!」
「数馬ほんと大げさだって」

とりあえず数馬の傘も戻ってきたことだし、めでたしめでたしだ。そろそろ次の電車も来そうだし、と思っていると数馬がもしかしたら、と呟いた。

「朝のあの子かも」
「何が?」
「傘届けてくれたの!朝、ドア閉まって傘忘れたのに気づいて、あっと思ったら窓越しに女の子と目が合ったの。確かあそこの女子校の子だった!」

そうは言っても、女子校の生徒でこの駅利用している人間なんて沢山いるんだから。

「藤内、あの子と知り合いとかじゃない?」
「は?なんで俺が女子校の生徒と知り合いなのさ」
「だってよく一緒になるんじゃないの?僕が電車乗るとき、いっつもあのドアから降りてくる子だけど」

そこまで言われてどきっとする。この駅を利用する女子校の生徒は多いだろうが、あの時間、あの車両から、あのドアから降りるといえば、毎朝気にしているあの子しかいない。

「あ、ああ……まあ、見かけるは見かけるけど、全然、知らない子だし」
「そっかあ。確認してくれればお礼言いたかったのに」
「それはちょっと、手伝えなさそうだ」

苦笑すると、そうだよね女の子に急に声かけたら怪しまれるもんね、と数馬も理解してくれたらしい。
追加して、あの子に声をかけるのはちょっと俺にはハードル高いかな。毎朝見かけるだけで満足しているレベルだから。

――もしあの子が触れた傘だとしたら……ちょっと数馬がうらやましいかもしれない。


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