09



私はつい小説を下ろしてしまうくらい驚いた。すぐに気づいて何事もないように引き上げたけど、視線は彼の手元にしばらく固定されていた。運良くというか、彼は周りにあまり注意を送っていないらしかったので、私の視線には気づかなかった。
――誰とやりとりしているんだろう。お友達かな。
つい先日も、単語帳を持ちながらスマートフォンで何かやりとりをしていたが、今日彼の手に単語帳はなく、スマートフォンのみが握られていた。なんとなく先日よりも入力が速く、表情に何も変わりはないが、どこか楽しそうにしている。
この一年近く、彼を見かけた時に勉強をしていないなんてことはほとんどなかったのに。

*  *

『数馬が驚きすぎて面白かった!』
『それな』
『驚くに決まってるでしょ!?』
数馬の言い分はおそらく間違っていない。左門や三之助は今頃、作兵衛に怒られているのだろうなと予想がついた。数馬は多分作兵衛に何度目かの謝罪を受けているに違いない。目に浮かぶようだ。

昨日の夕方、数馬のアイコンで『作兵衛!俺ら今日数馬の家に泊まるから』というメッセージがグループ内に送られてきた。
当然数馬が打ったのではなく差出人の名前もなかったが、事情を知らなかった俺と孫兵でもすぐさま『なんで左門と三之助が数馬のとこにいるの?』と返事ができた。内容からして予想するのは容易い。
案の定、あの迷子二人組は帰宅途中に作兵衛とはぐれ、そのままさまよって――おそらく爆走して――いるうちに数馬の家に辿り着いたのだ。突然訪れた二人に数馬は飛び上がるほど驚いた。なぜなら二人は数馬の家の詳しい場所は知らなかったはずだからだ。表札に三反田とあったので突撃したらしい。心優しい数馬のご両親が二人を泊めてくれることになり、それを数馬のスマホから連絡したというわけだ。迷子二人組は一番ケータイが必要な質なのに、普段スマホを持ち歩かないという厄介な特性も持っていた。
その特性を知っていて、作兵衛はメッセージを確認せずに探し回っていたらしい。その後作兵衛から心配で死にそうといった声で電話がかかってきて、メッセージのことを教えてやれば、やがて『てめーら明日は覚えとけよ』という一言が送られてきた。
今朝早めに家を出た作兵衛は、同じく早くに数馬の家を出発した三人と駅で落ち合ったらしい。迷子二人組はこってり絞られ、作兵衛が持ってきてあげたスマホを手にいれ、今は自分のアイコンで発言を繰り返している。四人はもうすぐ着く数馬の家の最寄駅からこの電車に乗るという。

『本気で二人の幻覚が見えたのかと思った!』
『嫌だねそれ』
孫兵が一言送ってきた。確かに嫌だ。そんなものが見えるようになったら、どれほど振り回されるかわかったもんじゃない。
『ね、藤内わかってくれるでしょ』
『(笑)』
『藤内!?』
数馬のメッセージに返事しながら、本当にちょっと笑ってしまった。すぐに気づいて口元を押さえて隠す。誰も見てないだろうけど、スマホを見ながら電車内でニヤニヤしちゃうなんて恥ずかしい。
ちょっとマフラーを引き上げて、またやりとりを続ける。ちらりと彼女の方を見ると、視線を下げて文庫本を読んでいたので安心した。見られていないみたいだ。

*  *

顔が赤くなったのがわかって、今度こそちゃんと彼から目をそらした。というか、そらさざるをえない。

――笑った、彼が笑ったのを見ちゃった。

スマートフォンで何かやりとりをしていた彼が、なんだかいつになく楽しそうな彼が、ふっと思わずといったように微笑んだ。すぐに口元を押さえたのを見たし、何より私が俯いてしまったので一瞬だったけれど。
――笑っても、かっこいいなあ。
なんて思ってしまって、もう本当に顔が熱い。マフラーに半分以上埋めた顔には、抑えきれないニヤニヤが浮いているに違いないと自覚する。ああ、私マフラーが必要な時期が過ぎちゃったら困るかもしれない。今の状態じゃあ。
彼の一瞬の微笑みがチラチラと頭に焼き付いた気がして、小説の文字を凝視して平常心を取り戻そうと躍起になっているうちに、電車は学校の最寄駅に着いてしまったらしい。慌てて席を立ち、ドアの前に立った。駅に着いた時、ドアの向こうに彼と同じ制服の男の子達がいるのがわかった。

*  *

ドアが開いて、彼女が降りていくのが見えた。入れ違いに四人が乗り込んできた。左門が俺の姿を見てだろう、パッと笑って声をあげた。
「おはよーう、藤内!」
「ちょ、うるさいっ」
乗客が何人かこっちを見たじゃないか。慌てて注意すると、おーすまん、と軽い調子。作兵衛が顔を赤くして左門の頭をペチンと叩いた。

*  *

入れ違いに電車へ乗り込んだ男の子達は、やはり彼のお友達らしい。
――おはよーう、藤内!
元気な声の挨拶に返したのは、おそらく彼の声だった。以前に二度ほど聞いたことがあるだけだから、確証はないけど。
もしかして、私、彼について一つ知れたのかもしれない。しかも、とっても重要な、彼の名前。

――とうない、さん。

口の中で呟いて、私の顔は今までになく真っ赤になってしまった。


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