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くのいち教室はもともとの入学人数が忍たまより少ない。その上本気でくノ一を目指す生徒はさらに少なく、現在の六年生は確か三人程度だったと思う。あまり関わりがないからはっきりとは知らないが。七咲菜々先輩は、その数少ないくのいち教室六年生の一人だ。五年生はその学年のくのたまが苦手である。今でこそちょっかいをかけられることは少なくなってきたものの、昔はよくいじめられたものだ。
七咲先輩個人に対して特別に悪いイメージはないが……しかし六年生のくのたまが恐ろしいのは変わりない。
「竹谷くん、食べないの?」
「え!いえ……い、いただきます……」
とは言いつつ、見た目は美味しそうな筑前煮に箸を伸ばすにはいささか勇気がいる。
夏休みは食堂のおばちゃんもいないので、食事は全て自炊になる。長屋に台所があるのでそこで適当に料理することになるのだが。
――夕飯を作りすぎちゃったから、よかったらいかが?
長屋に戻るところを呼び止められ、そんな誘い文句でまさかのくのいち教室敷地内の長屋までやってきてしまった。男子禁制ではと指摘すると、今は私以外いないから大丈夫よ、とのこと。
わざわざ俺を呼び出したのはどういう理由だろうか?そんなに七咲先輩と接点があるわけじゃない、しかしあんな飼育小屋の近くなど俺以外に誰も訪れない。絶対に誰かがいるとすれば先生がいる長屋だし、くのいち教室の生徒ならば、忍たまにあげるより先生にあげた方が何倍も有意義、くらいズバッと考えるはずなのに。
「……ふふ、竹谷くんってやっぱりわかりやすいのね」
「えっ」
七咲先輩はそう言ってくすくす笑った。さすがくノ一になるために六年間教育されてきただけあって、一つ一つの仕草がとても女らしく、どきりとさせられてしまう。まあ別の意味のどきりもあるといえばある。
正直に言おう、この状況はとても怖い。
「別に毒も入ってないし、変な味付けもしていないわ。いじわるじゃなくて、本当に余っただけ。今日やることなくて暇だったから、なんか力入れすぎちゃった」
「はあ……そ、そうですか……」
力入れすぎたってどういうことだろう。よくわからないが先輩が無害そうににこにこしているし、彼女自身も同じ食事を普通に食べているわけだから大丈夫なんだろう。それが演技という可能性が捨てきれないのが、くノ一の恐ろしいところなのだが。
とにかく七咲先輩を信用していないことがあっさりバレていたので、ちょっとバツが悪い。その埋め合わせという意味もあり、いただきます、と恐る恐る筑前煮のにんじんをひと口。
「……あ、うまい」
「そう?ありがとう」
七咲先輩はそう言って笑った。実際、本当にうまい。甘すぎず辛すぎない、ちょうどいい塩梅の味わい。食堂のおばちゃんはともかく、下手な食事処よりは断然勝る。美人で料理上手とは……これがくノ一を目指しているのでなければ素直に“良い女”なのに。
「料理が上手だと何かと便利だって、山本シナ先生がおっしゃるからね?」
――くのたまはこういうところが残念である。
「竹谷くん」
「は、はいっ」
やばい思っていることがバレたか、と一瞬思ったが、そんな堅くならなくていいわと言われて少し安堵する。
「竹谷くんは夏休み中、ずっと生き物の世話をしているの?」
「そうですけど……なんでっすか」
「いえ、今日図書室に行った時に木下先生とお会いしてね」
というか、七咲先輩は俺が生物委員だということを認識していたのかと少し驚いた。彼女に忍たまと接点があるとすれば同級生の六年生か、または五年生では勘右衛門や三郎くらいだろう。個人的には普段見かけることも少ないし、多分話したことも数えるほどだ。
「私もちょっとした用があって、夏休み帰省しないことにしてるのよ」
「へえ、そうなんですか」
「でも特にすることないし暇だって言っていたら、先生があなたの話をしてくれて」
相槌を打ちながら食事を進める。味噌汁も良い加減のお味で。
「――暇なら手伝ってやってくれって言われたから、明日からよろしくね」
「んん!?」
慌てて飲み込んだら変なところに入ってしまった。げほっとむせると、やだ汚いわよと一言頂いてしまった。
「いや、あの、え?なんでそうなるんすか」
「なに、ダメなの?」
「ダメっていうか、その……悪い、です」
――それに気をつかわなきゃいけないし。
生き物の世話をするのは好きだ。だから毎日委員会の仕事をするのもそんなに苦ではない。それに休みがないほど働いているわけでもないし。木下先生は多分好意で言ってくれたのだろうが、正直よく知らない先輩に気をつかって仕事するよりは一人でやる方が断然楽だ。
「悪いなんて思う必要ないわ。これでも動物は好きなの」
「でも別に、仕事は委員会のことであって、俺が責任者ですし」
「だからって他の人が手伝っちゃいけないことでもないでしょう」
「そりゃそうですけどー……」
「もう、じゃあ言い方を変えるわよ」
七咲先輩は呆れたようにため息をついた。ため息つきたいのはこっちの方なんだけど。
「いい経験になりそうだから、私に生物委員会の手伝いをさせて頂戴」
「……」
言い方を変える、と言って、妙に上から目線である。
「……じゃあ、まあ、よろしくお願いします……」
「ええ、よろしくね竹谷くん」
そして後輩が先輩の言うことを断れないのは、学園という場での鉄則だった。


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