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七咲先輩が俺の前で、ちょうど下級生の頃のように泣いたことは誰にも言わない。先輩は知られたくもないだろうし、俺も知らせたくないし。


「あっ!七咲せんぱーい!」
遠目に赤い装束姿を見つけて大声で呼ぶと、彼女は立ち止まってこちらを見た。俺が駆け寄ると七咲先輩はなんだかおかしそうに笑った。
「竹谷くん、こんにちは」
「こんにちは!先輩も今から食堂っすか?」
「いえ、今日は後輩に料理を教えてあげる予定なの」
「七咲先輩の手料理!」
思わず声を上げると、七咲先輩は苦笑した。
「なあに、竹谷くんも食べたい?」
「そりゃあ、先輩の料理おいしいですから!」
「あら、ありがとう」
でも今日は長屋にみんないるから入れないわよ、と。そんなことくらいわかってます。
「そうだ、じゃあ今度お弁当でも作ってあげる」
「え、まじっすか!絶対、約束!」
「はいはい、約束」
よっしゃー!七咲先輩のお弁当!
俺がそう喜んでいたら、一緒に食堂へ向かっていた四人がやっと追いついたらしい。
『こんにちは、七咲先輩』
「ええ、こんにちは」
「……こんにちは」
「尾浜くんは声が小さいわね」
「うっ」
どうやら勘右衛門はいまだに七咲先輩への恐怖心がぬぐえないらしい。先輩は勘右衛門にそこまで興味があったわけでもないようで、そのまま俺をもう一度見た。
「私もう行くわね」
「あ、はい!また」
「ふふ、うん」
七咲先輩はまたおかしそうに笑って、さっさとくのいち教室の方へ戻っていった。
「……なんか、八左ヱ門、犬みたい」
「えっ」
兵助がぼそっと呟いた。
「七咲先輩の前だとずっと尻尾振ってるな、お前」
「あはは、わかる、そんな感じ」
「よっハチ公」
「なんだよそれ!」
三郎、雷蔵、勘右衛門まで。だれが犬だ、だれが。
「あっでも七咲先輩は犬好きなんだぞ!」
『いや、聞いてないし』
――そう考えると、犬っていうのも悪くない気がしてきた。
「うっし!俺、頑張る!」
『いや、聞いてないし』
四人はそう言ったが、まあ頑張れ、と苦笑気味に俺の肩を叩いた。

**

菜々先輩?と声をかけられてはっとした。私としたことが、一瞬どこかへ意識が飛んでたみたい。二年生の後輩が三人、不思議そうに私を見ていた。
「味見お願いします。結構うまくいったんじゃないかと思うんですけど……」
「ええ、わかったわ」
おいしそうなにおいの鍋の中に、筑前煮。さといもを一つ箸で切ってみると、柔らかく崩れた。その欠片を口に含むと、甘すぎず辛すぎず、ちょうどいい塩梅。
「おいしい、上出来ね」
『やったー!』
三人は嬉しそうに笑って、ぱちんと手を合わせた。
みんなを呼んできますね!と長屋の調理場を出ていく三人を見送って、私はまたくすくすと笑ってしまった。
――夏休みが始まって数日、くのいち教室の先輩に呼び出されておどおどした様子でここにやってきた。
――初めて竹谷くんに振る舞ったの、確か筑前煮だったっけ。
先ほど、犬みたいに嬉しそうだった彼。思い出しただけで笑っちゃう。

――お弁当作って、また二人で散歩にでも行こうかしら。

日の光の下で、三匹の犬とじゃれる男の子。手入れされていない灰色の髪、太くきりっとした眉をきゅっとしかめて、本当に楽しそうに笑って。
いつか彼の友人の一人が言っていた、私の好みのタイプ。
――明るくて元気で、ちょっと情けないところもあって、裏表なく、生き物にも他人にもとても優しい人。
――私にはもったいないでしょう。
――それでも、やっと一歩近づけた気がするの。

二人過ごすこれからに



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