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私はその年の夏休み、早めに実家から学園に戻っていた。
とはいえ宿題も終わってしまったし、図書室も開いていない。まだ三年生でくのいち教室の生徒だった私には、今のように図書室の鍵を先生方から預かっていることなんて出来やしない。友人達も登校していないし、暇だったのだ。
ぶらぶらと校庭を歩いていると、忍たまの先輩が何やら道具を抱えて歩いていくのが見えた。普段なら年上の忍たまに関わろうという気にはならないのだが、その時はあまりに暇で、暇つぶしのためならまあいいかという気分で彼についていったのだ。
一応気配を消していたつもりなのだが、彼は目的地について荷物を置くと、すぐにこちらを振り向いて、どちら様、と声をかけてきた。おずおずと物陰から出て行くと、くのたまだったことに一瞬驚いたようだったが、すぐに人当たりの良い笑顔でどうしたの、と尋ねた。
――『えっと、ごめんなさい。することがなくて、暇だったんです』
――『あはは、そっか。友達もまだ戻ってないだろうしね』
先輩はそう言って笑うと、おいで、と私を手招きした。私は目を輝かせていただろう。
実家で犬を飼っていたこともあって、私は動物全般が好きだった。忍たまの生物委員会が飼っている動物たち、その住居である生物小屋。関係のない私のようなくのたまがあまり近づく機会はなかったので、その、当時の生物委員会委員長だった先輩に許可をもらったのが嬉しかった。
――『よかったら、僕の手伝いしてくれる?』
――『はい、ぜひ!』
犬が好きだというと、先輩は私に犬小屋を任せてくれると言った。餌やり、片付け、掃除。家でも同じようにして犬を育てているけど、一般家庭で一匹飼うのと広い小屋で複数匹飼うのとは勝手が違う。私は初めての経験がとても楽しかった。
人懐こい子が一匹いた。調教の賜物だろう落ち着いている子が多い中で、その一匹だけは作業をする見慣れない私に興味津々で寄ってきた。
それは茶の毛並みに耳や手足の先、腹の毛だけが白い、タイチという名の犬だった。


手伝いを始めて数日後、先輩はタイチの散歩を私に任せてくれた。私は嬉しくて、勇んで散歩に乗り出した。タイチも散歩は大好きみたいで、慣れない私とでも楽しそうに尻尾を振って出かけてくれた。
学園から出て、あまり遠くへ行く予定ではなかった。道は良く知っているところだったし、何も問題はないと思っていた。先輩もそう思って私に任せてくれたのだろう。
普段なら確かに問題はなかった。ただし、その時は夏休みの真っ最中だったのだ。
学園の近くの林道を通っていた時、私とタイチの前にみすぼらしい格好をした三人の男が現れた。
――『可愛い嬢ちゃん、のんきにお散歩かぁい?』
普段学園の近くは先生や体育委員会など、見回りを担当する人たちがいる。しかし生徒が帰ってくるような時期でもない、夏休みにその活動は行われていなかった。
つまり、そこに山賊がいるとは私も先輩も考えていなかったのだ。今思えば考えが甘かった。
すぐに背を向けて逃げだしたが、くノ一のたまごとはいえ大人の男に子どもの足では敵わない。捲くこともできず、大きな影が足元に近づいて泣きたくなった時に。
がうううっ!と聞いた事もないような唸り声を上げて、タイチが急に立ち止まり、縄を握る私の手を振りはらって三人の山賊に向かっていった。うわっと三人の驚いた声がした。タイチは山賊のリーダーらしい男に真っ先に狙いを定めて、足元に強い力で噛み付いていた。その男が悲鳴を上げて、残りの二人はタイチを引き剥がそうとして殴ったり蹴ったりと抵抗を始めた。
――『やめて!タイチ、タイチ戻って!!やめてッ!!』
しかしタイチは唸り声を鳴らしたまま、彼らへの攻撃をやめなかった。一人の足から離れると、今度は別の小柄な男の顔に向かって飛びつき、鋭い爪を尖らせて。そうやってもみ合う三人と一匹を、私は震えて何もできずにただ見ていた。
タイチがキャンっと鳴いて地面に投げ落とされ、そのままぐたりと動かなくなった。それでも怒りの収まらない山賊たちは、横たわるタイチを何度も蹴りつけた。私は立っていられなくて見ていられなくて、かくりと膝をついて手で顔を覆ってただ泣いていた。
そう長い時間ではなかっただろうが、私にはとても長く思えた。
気がつくと私は学園の医務室にいた。仕事を早めに終わらせた先輩が、合流しようと後を追ってきて私たちを見つけたのだ。山賊は先輩が追い払って、私とタイチを抱えて学園に引き返したらしかった。
私はすぐに先輩を探して生物小屋へ走った。やはり先輩はそこで、タイチの隣にいた。
なんとなくわかってしまって、私は泣いて、先輩に頭を下げて何度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。先輩は何も言わずに私の頭を撫でてくれた。その優しさでさらに泣きたくなってしまった。
すぐにお医者様が駆けつけてくれたが、すでに手遅れだった。


私は何度も先輩を訪ねて謝罪を繰り返していたが、やがて先輩は苦笑して、君は悪くないから、と言うようになった。もう謝らなくていいから、と強く言われて、私は納得がいかないまま、謝罪をするのはやめた。
それからしばらくして、夏休みは終わり、私は一人の男の子を見た。
その子は生物小屋の前で先輩に抱きついて、声を上げて泣いていた。灰色の髪を結って、太い眉をぎゅうっとしかめて、大粒の涙を流して。
タイチ、タイチと私が殺してしまったあの子の名前を何度も呼んでいた。


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