09



「あっ八左ヱ門。ほら七咲先輩だ」
「うるせー!指さすな失礼だろ!」
あそっか、と兵助はあっさり指を下げた。しかし他の三人は興味津々に七咲先輩のいる方をジロジロと見ている。やめろ。
「うーん、見れば見るほど八左ヱ門じゃ不釣り合いだな」
「三郎、そんなこと言わないの」
雷蔵が諌めるように言うと、はーいと肩をすくめる。
「動物が好きで、生物委員の仕事も真面目にやってくれる人でしょう。八左ヱ門に付き合ってくれる人なんてそういないんだから、仕方ないじゃない」
「雷蔵、なかなか厳しいこと言うよな」
兵助の言葉に一瞬キョトンとしてから、ごめんそんなつもりは、と慌てている。いいよ、雷蔵が他の奴らに比べて優しいのはちゃんとわかってる。天然でたまに酷い言い方をしてしまうのもだ。
――しかし、本当に、どうしよう。
周りが無駄に盛り上がっているのも問題だが、俺が日々七咲先輩に対する思いを募らせていることはさらに問題だ。
毎日一緒にいた頃に比べて、今は一日に一度見かけるかどうかというくらいの関わりになってしまった。すれ違ったりしたら挨拶もするが、先輩はいつも忙しそうに颯爽と歩いていて、雑談もままならないし。そもそも大抵は遠目に姿を見るくらいのものだ。
――なんか、本当に惚れてたんだなあ、俺。
今になってようやく実感が湧いてきた。


そんな風に悶々とした日々を過ごしていたある日。
「あ――!!七咲せんぱ――い!!」
つい大きな声を上げてしまった。少し離れた場所を横切ろうとしていた七咲先輩はビクッと肩を震わせてこちらを見た。
ちなみに先輩は校庭から見える位置の渡り廊下を歩いていて、俺は校庭の真ん中にいる。今は授業が終わってすぐの放課後で、遊んでいる生徒もたくさんいる。
「竹谷先輩と七咲先輩だ」
「ついに?ついに?」
「おーっ」
周りが何やらざわついている。そのせいか七咲先輩は少し頬を引きつらせている様子。それに構わず先輩に駆け寄って、彼女の腕を掴むとさらにおーっと声が上がった。
「え、ちょっと、竹谷くん!急に何」
「話があるんですー!ついてきてください!」
七咲先輩は困惑した様子だったが、俺は笑ってそのまま腕を引いて走り出した。七咲先輩の珍しく焦ったような声も、周りからの囃し立てる声も聞こえていたが、俺はそれよりも先輩に早く知らせたくて。
犬小屋の前まで走ってきて、やっと七咲先輩の腕を離した。はあ、と少し息を整えるようにしてから、先輩は怒ったように眉を吊り上げて俺を見据えた。
「竹谷くん、女性にものを頼む時はもっと紳士的に」
「ほら先輩、先輩、見てくださいよ!」
俺が話を聞かないのに一瞬イラっとした様子だったが、七咲先輩は俺が指さす方を視線で辿って小屋の中を見た。
俺たちが小屋の前に立ったのに気づいて、タイチ二号がわうんと鳴いた。こちらに寄ってこないかわりに、パッチリと目を開いて俺たちを見上げている。
「……え、二号?」
「そうっすよ!先輩に知らせたかったのに、最近見かけなかったから」
「それはあなたが……いえ、今はそんなことより……」
七咲先輩は少し混乱したように目をパチパチと瞬かせた。冷静な先輩には珍しい様子が見ていて楽しい。
「……もしかして、二号って女の子だったの?」
「あれ言ってませんでした?タイチに似てるから二号ってつけたけど、こいつは雌です」
「……で、妊娠してるの、これ?」
「はい!あとひと月くらいで生まれるってお医者様が言ってました!そろそろ別の小屋に移そうと思ってたところで、その前に会えてよかったっすよ」
七咲先輩は小屋の中で横になっている二号をじっと見ていた。最近腹が膨れてきた二号はキュンキュン声を上げていて、久しぶりに会う七咲先輩のことが気になっているようだ。
「……そっか、二号が、そっかあ……」
七咲先輩は小さな声でしみじみとつぶやくので、俺はそれを聞いてつい嬉しくなった。
先輩、本当にみんなのこと好きなんだなあ。そういうところが、やっぱり、いいなあ。
「――あ、あの、七咲先輩!」
「なに?竹谷くん」
俺が意を決して呼んだのに対して、先輩はいつものように首をかしげて答えた。
「えっと、その……俺、夏休みの間先輩と一緒に仕事できて、すげー助かったし、すげー楽しかったです!」
「なによ改まって」
七咲先輩は一瞬不思議そうにしたが、すぐにくすりと笑って言った。
「私も、楽しかったわよ」
――そんな一言で俺がどれくらい喜ぶか、おそらく先輩はわからないんだろうなあ。
「……その間は先輩と一緒にいるのが当たり前みたいに、自然になってて。今になってやっと、あの時間は特別だったんだなって気づいてるんです」
「ん、まあ、そうね」
七咲先輩がまた不思議そうに首をかしげる。俺の言いたいこと、俺のつたない言葉で、優秀な彼女に、どれほど伝えられるだろう。
伝えたい気持ちは今まで注がれて、もう行き場なくあふれているのに。
「――俺、七咲先輩と一緒にいる時間を、特別じゃなくて、本当の、当然に、したいって思ったんです!」
毎日当たり前に会えること、当たり前に一緒にいること、目の前で、隣で、いたずらっぽく、優しく、きれいに、笑ってくれること。
俺の前で、俺と一緒に、俺に向けて、笑ってくれること。

「だ、から――好きです!俺のこ、恋人、に、なってください!」

最後の最後にどもってしまった。情けない。それよりも自分でも酷く自覚できるほど真っ赤になった顔が。気持ちの代わりにあふれたかのような涙目が。もうなんか、とても。
とても情けないけど、それでも七咲先輩から目をそらすことだけはしなかったから。

「……ありがとう竹谷くん。とても、本当に、うれしいけど――ごめんなさい」

とても真剣な表情と返された言葉は、俺の頭に焼き付いた。


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