EP.05



今日から五月。殺せんせーが担任になってから、約一か月が経とうとしていた。
「イリーナ・イェラビッチと申します。皆さんよろしく!」
この日、新しい先生がやってきた。
すごく美人で、巨乳で、自己紹介中もずっと殺せんせーにべたべたしっぱなしの女の先生だった。
「本格的な外国語に触れさせたいとの学校の意向だ」
英語の授業の半分は、今後彼女の受け持ちになるらしい。まあそれはそれでいいんだけど……。
――デレッデレだな、殺せんせー。
「ああ、見れば見るほど素敵ですわぁ。その正露丸みたいなつぶらな瞳、曖昧な関節。私、とりこになってしまいそう!」
「いやぁお恥ずかしい」
――いやいやいや。明らかにおかしいでしょ。
――やっぱりあの人は、暗殺者なのだろう。
大変なことになってきた、と私は机に頬杖をついて新しい先生をじっと見ていた。


新しい先生の初めての授業になるはずだったのだが、彼女は教壇でひたすらタブレットを叩いているばかりで一向にこちらに目を向けない。
「……なー、ビッチねえさん。授業してくれよー」
ついに痺れを切らした生徒が口を開いた。
「そーだよビッチねえさん」
「一応ここじゃ先生なんだろ、ビッチねえさん」
「ビッチビッチうるさいわね!!」
先生が怒鳴った。なんだその不名誉な名前。ねえねえ、と赤羽君の机を叩いて尋ねることにした。
「なに、ビッチねえさんって」
「あの先生が、イェラビッチお姉様って呼べ、とか言うからさ。乗ってあげたの」
「乗ってないじゃん」
赤羽君はけらけら笑う。この人が先駆者なんじゃないだろうか。
ビッチねえさんは苛立たしげに声を上げる。
「まず正確な発音が違う!!あんたら日本人はBとVの区別もつかないのね!!」
タブレットを一旦置いて、彼女はこちらを見た。
「正しいVの発音を教えたげるわ!まず歯で下唇を軽く噛む!!ほら!!」
お、ちゃんと授業する気になったのかな。
「……そのまま一時間過ごしていれば静かでいいわ」
――なんだこの授業!!
だめだー、この先生。気に入らない。


五時間目の体育。校庭で銃を撃つ練習をしていたら、三村君が声を上げた。
「おいおい、マジか。二人で倉庫にしけこんでくぜ」
その言葉に、生徒達は銃を下ろして倉庫の方を見た。ちょうど新しい先生と殺せんせーが倉庫に入っていくところ。嫌なもの見ちゃった。
「狭間ちゃん、あの先生どう思う?」
尋ねると、狭間ちゃんはさあね、と呟いて肩をすくめた。けどその前の目は半眼で嫌そうな色をしていたから、やっぱり彼女も新しい先生は気に入らないようだ。
「烏間先生。私達、あの女の事、好きになれません」
片岡ちゃんが少し控えめながらはっきり言うと、烏間先生は無表情をわずかにしかめてすまない、と言った。この人も上からの指示で色々大変そうだなあ。
「だが、わずか一日ですべての準備を整える手際。殺し屋として一流なのは確かだろう」
――……一流ね。
その時、ドドドッと響く音が聞こえてきた。ここ一か月で随分聞き慣れた音、激しい銃声だ。
「……狭間ちゃん、殺せんせー、死ぬかな?」
「さあ」
また流された。今の質問は少し本気だったんだけど。
銃声はしばらく続き、やがて静かになった。どうなったのだろう。まさか殺せんせー、殺されたりしてないよね。
まさか、と少し不安に思った頃。
「いやああああああ!!」
「な、何!?」
「銃声の次は鋭い悲鳴とヌルヌル音が!!」
――ああ、よかった。死んでなかった。
クラスメイトが騒然とする中、私は一人で息をついた。


結局新しい先生の暗殺は失敗した。いつものように、手入れされて。
プロの殺し屋としては屈辱だろう。現にその次の日である今日、彼女はまた授業中苛々した様子でタブレットを叩いていた。
「あは、必死だねビッチねえさん。あんな事されちゃ、プライドズタズタだろうね〜」
隣の席で赤羽君が軽い笑みを浮かべて呟いた。楽しそうだね、君は。こんな空気の中でも。
「……先生」
「何よ」
磯貝君が声を上げた。
「授業してくれないなら殺せんせーと交代してくれませんか?一応、俺等今年受験なんで……」
学級委員らしい意見だ。私もこんな苛々した雰囲気の先生と同じ空間にいるのなんか嫌だし。
磯貝君の言葉を聞いて、先生は苛立たしげに鼻を鳴らした。タブレットを教卓にぽいと放って、立ち上がる。
「あの凶悪生物に教わりたいの?地球の危機と受験を比べられるなんて。ガキは平和でいいわねえ」
それに、と彼女は嘲笑うような顔で続けた。
「聞けばあんた達E組って、この学校の落ちこぼれだそうじゃない。勉強なんて今さらしても意味ないでしょ?」
――はあ?
その言葉で、生徒の空気が凍りついた。先生は揚々と何か続けているが、そんな話既に私は聞いていない。
――この先生は私達を見下している。こいつも、また!
手元のボールペンを握りこんだ。
「出てけよ」
誰かがポツリと呟いた。こうなってはおしまいだ。
「出てけくそビッチ!!」
「殺せんせーと代わってよ!!」
盛大なブーイングと共に、生徒達がいきり立つ。消しゴムやボールペンやゴミを投げつけて騒ぐ。殺すわよ!という先生の脅しも、殺ってみろコラァ!!と怒鳴り返されるだけだ。
私はずっとボールペンを握っているだけだった。


結局、見かねた烏間先生が教室に入ってきて騒動は中断された。そのまま昼休みだったから、それぞれお昼ご飯を食べ始めた。いつものようにパンとジュースを持って私の席に振り返った狭間ちゃんは、首を傾げた。
「どうしたの」
「あはは。なんでもなーい」
軽く笑ってみせると、狭間ちゃんは気にしないことにしたようでパンの袋を開いた。
私もお昼食べよ、と呟いてボールペンを放した。狭間ちゃんはそんな私の手元を見ていた。お弁当を鞄から机に出した私に、狭間ちゃんは不意に尋ねた。
「大丈夫?」
「え?なにが」
「手」
「手?」
言われて、両手を開いて見てみたら。
「……あはは。大丈夫大丈夫!」
へらっと笑えば、狭間ちゃんは一瞬の後にそう、と呟いて言葉を止めた。
ボールペンを握っていた手に、切り忘れていた爪が食い込んで血がにじんでいた。自分でもびっくりだ。


食後の運動と言って外で遊んでいた人達も帰ってきた。烏間先生に教わった『暗殺バドミントン』は、今クラスの中でブームなのだ。私はあんまり参加したことないけど。
ガラッと扉が開いた。途端に休み時間特有の騒々しさが鳴りを潜める。
カツ、カツ、とヒールの音を鳴らしながら、先ほど生徒に物を投げられた先生が教壇に上がった。
彼女は黒板からチョークを取ると、英文をさらさらと書きはじめた。
「You’re incredible in bed. Repeat!」
その文章自体は、教師が中学生に読ませるには相当難アリのものであったが。
――プロの暗殺者直伝の、仲良くなる会話のコツ。身につければ実際に外人と会った時に必ず役立つわ。
――私が教えられるのは、あくまで実践的な会話術だけ。
――もしそれでもあんた達が私を先生と思えなかったら、その時は暗殺を諦めて出て行くわ。
「……そ、それなら、文句ないでしょ?……あと、悪かったわよ、色々」
しおらしく両手を所在無げに遊ばせて、彼女は言った。
そうして、ビッチ先生はこのクラスの英語の先生になった。


放課後、私はいつもの帰り道を外れて珍しい場所に居た。
そこは荒れた空き地で、汚れたベンチが一つあるだけ。制服が汚れるのは嫌だから、下に筆記用具とノート一冊しか入っていない薄い鞄を敷いて私はそのベンチに座った。人通りは少ない。車も全然通らない。近くには町工場の倉庫が並んでいる。不良でも溜まっていそうなものだが、実際に見た事が無いのであまり心配はしていない。
『着いたよー』
スマホでメールを打ち、送信した。しばらくぼうっとして待っていると、メールを着信した音が空き地に響いた。
『... User unknown ...』
「……またかぁ」
ため息混じりに呟いた。
このアドレスは最近全然通じない。電話番号も知っていたが今まで使ったことが無く、メールが送れなくなって初めて私は相手に電話をかけてみた。
――あっ、もしもし、イトナ君?
――おかけになった電話は、現在使われておりません。
そう返ってきただけだった。

堀部イトナ君。初めて会ったのは中学二年の初めのこと。イジメ現場に立ち会って、いじめっ子がいなくなっても立ち上がらない彼につい声をかけたのがきっかけだった。
知り合いになるつもりは無かったが、その後また彼が別の人間にいじめられているのを見て声をかけた。以来、何度かこの空き地で会っている。二度もイジメ現場に立ち会ってしまったことで、なんとなく私の中で彼の存在が放っておけなくなったせいだ。
渋る彼からメールアドレスと電話番号を聞き出して、時々メールで『明日会えない?』と私がお誘いする。断られることは多かったが、時々応じてくれることもあった。彼から私にメールを送ることはほとんどなかった。というか、一度も無かったかもしれない。あの一通まで。
――『強くなるから待ってて』
そのメールに気付いて、私はすぐに返信した。どういうこと?なにかあったの?返ってきたのは、エラー通知だった。

なーんにも持ってない私達がどうすればいいのか、教えてくれる人は誰もいなかった。
イトナくんがどこでどうしているのか、私に教えてくれる人は誰もいない。


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