EP.27



大丈夫?と茅野ちゃんに尋ねられて苦笑してみせた。大丈夫、と自信満々に答えられるほど大丈夫ではなかったが、かといって動けないほど酷い怪我なんかは負っていない。せいぜい引きずられた時に打った頭と背中がちょっと痛むかなってくらい。
――私より、イトナ君の方が心配だ。
殺せんせーやE組のみんなに助けられた後かくりと気絶してしまったイトナ君。去り際、シロは彼を指して、どのみち二、三日の命だと言い置いた。
「触手は意志の強さで動かすものです」
殺せんせーが言った。
「イトナ君に力や勝利への病的な執着がある限り、触手細胞は強く癒着して離れません。そうこうしている間に肉体は強い負荷を受けて衰弱してゆき、最後は触手もろとも蒸発して死んでしまう」
「……それは、いくらなんでもかわいそーだな」
みんなのやりとりを聞きながら、私は目覚めないイトナ君の頬に触れた。汚れを払ってみても、いくつかの擦り傷は消えるわけもなし。
「青海さん」
声をかけられて顔を上げた。不破ちゃんが私の前にしゃがみ込んで、これ、とスマホの画面を差し出した。
「イトナ君って、ここの社長の子どもだよね?」
堀部電子製作所。家の近くの工場群にある、電子機器の部品を扱う小さな町工場。私達が一年の時の晩秋、この工場は倒産。
――『誠実にやってた父親だって、結局負けて逃げ出したんだ』
海外企業の資金力に負けた。努力で勝てないものが確かにある。イトナ君が勝つとか負けるとか、そういう言葉に敏感なのはそういう背景。おそらく勝利への執着は、その背景から育っている。
「……つまんねー。それでグレただけって話か」
「寺坂!」
吐き捨てるように言う寺坂を、私はきっと睨み付けた。不破ちゃんは気遣わしげに私を見たが、当の寺坂は私の目を見返して同じような声色で続ける。
「青海はそいつに甘ェんだよ。みんなそれぞれ悩みあンだ。重い軽いはあンだろーけどよ」
言いながら寺坂はこちらに歩み寄ってきた。
「けどそんな悩みとか苦労とか、わりとどーでもよくなったりするんだわ」
寺坂は一度私の前で立ち止まって、それからイトナ君に手を伸ばして、彼の首元をぞんざいに掴んだ。
「――俺等んとこでこいつの面倒みさせろや。それで死んだらそこまでだろ」
私はそれを聞いて思わず顔をしかめた。しかし寺坂はそれを意に介した様子もなく、ふんと鼻を鳴らしてみせた。
では、と殺せんせーが言った。
「イトナ君のことは四人に任せましょう」
「……殺せんせー、私も」
「青海さんは駄目です。頭を打っていますし、怪我もしている。ちゃんと病院で検査を受けて、今日はもう寝る事です。昨日の夜もまともに寝ていませんね」
「はっ?だって、あいつらに任せたらどうなることか!」
身体の節々の痛みを無視して立ち上がろうとすれば、こら、と先生に上から触手で頭を押さえられて阻止された。
「大丈夫ですよ――四人ともあなたの友達でしょう?」
その言葉に二、三度目を瞬いて、私は四人を見た。寺坂はついと目を逸らし、吉田は困ったように頭を掻いた。村松はにっと笑って見せて、狭間ちゃんは左手の親指と人差し指で丸を作った。
変なことしないでよ、と微かに笑って言えば、しねーよ、と四人とも頷いた。

* *

――”いつか”勝てりゃあいーじゃねーかよ。
――百回失敗したっていい、三月までにたった一回殺せりゃそんだけで俺等の勝ちよ。
弱い男だと思っていた。強がってるだけで、ビジョンも無い、弱い男だと思っていたのに。
“いつか”で構わなくて、負けることも勝つことも勝負は最後までわからないと、そんな綺麗事が正しいのなら。
――『私は弱いままだけど、強くなりたいから』
「……俺は、焦ってたのか」
「……おう。だと思うぜ」
次の勝利のビジョンができるまで。
――紡いで。
「目から執着の色が消えましたね、イトナ君」
暗殺対象――今はもう関係も無い、シロが言うには俺の兄さん。黄色い顔の超生物は、いくつものピンセットを持って言った。
「今なら君を苦しめる触手細胞を取り払えます。大きな力のひとつを失う代わり、多くの仲間を君は得ます」
――殺しに来てくれますね?明日から。
その問いに、俺はふと息をついた。

――そうだ、やっと思い出した。
――時々現れては俺に諦めた笑いを浮かべる”彼女”のこと。
――『しょうがないね』と囁く声は、この日しっかりと響いた声と同じだということ。
――諦めた笑顔ではなく、痛みをこらえた強がりのしかめっ面をして。
――諦めない、と”彼女”は。

――奈央は、はっきり言ったのだ。

* *

次の日の朝。私は少し遅めに登校したから、既に寺坂達はいつものように固まって駄弁っていた。教室の後ろのドアから入った私に気が付いて、これまたいつも通りの調子でよお、と手を上げた。つい私もいつも通りにおはよ、と返して席についたが。
――いやいや、そうじゃなくてだ。結局あの後どうなったんだよ!
朝四人に会ったらすぐ聞こうと思っていたのに。
机に鞄を置いて、はあ、と息をついてから寺坂達にもう一度目を向けた時、教室の前方から殺せんせーの声がした。

「おはようございますイトナ君。気分はどうですか?」

どきりとして、慌てて目を向けた。

「最悪だ。力を失ったんだから」

彼ははっきりと答えた。白いバンダナを巻いていた。
人差し指で殺せんせーを指して、彼は続けた。

「でも弱くなった気はしない。最後は殺すぞ――殺せんせー」

その宣言に殺せんせーは満足げに頷いた。

振り返った彼と目があった。またどきっと心臓が跳ねる。
トントン、と近づく彼の音と、耳の奥で心臓がドクリ、ドクリと立てる音が重なる。

トン、と足音が止まった。同時に一つ、ドクリ、と鳴って。

「――私のこと、わかるよね」

存外小さな声になった。

「――奈央。ごめん。ありがとう」

私を少し追い越した高さから、糸成君は一言ずつゆっくりと紡いだ。

――ああ、届いた。


『もうこれで最後』
『… User unknown …』

User known


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