EP.00



馬鹿馬鹿しいな、と思う。
世間とか、世界とか、全部、馬鹿馬鹿しいな。と。
――全部、私も含めて。
隠れて他校生同士のイジメ現場に立ち会っている私も、大概馬鹿馬鹿しくてどうしようもない。

本当に関係ない人達だ。制服を見ても、ああよく見るところだな、と思うだけで何て学校かはわからない。知る気も無い。関係ないんだから。
いじめてる方は二人組。いじめられてる方は一人。
いじめてる方のうち、一人が吐き捨てるように言った。
――いっちょ前にキレてんじゃねーよ。
――金も無ぇ、家も無ぇ、ケンカも弱ぇ。
――なーんにも持ってねぇヘタレがよ。

* *

馬鹿馬鹿しい、と思うのは。
――誠実に努力。
――コツコツやっていけば。
そんな言葉を、本当だと思い込んでいたこと。
嘘ばっかり。嘘つき、だったのだ、あの人は。

二人が去った後、しばらく蹲ったままでいた。痛みもあったが、それ以上のショックもあった。
――なーんにも、持ってない。俺が。
言われて初めてそうだと気付いた。なにも無かった、すべて失くしていた。
だって、嘘だったからだ。
俺だってきちんと努力してきたはずだ。誠実とは言わないけれど、真面目に、正しく。
でも、嘘だったから。
誠実にやってきたはずのあの人がすべてを失ったように、俺もすべてを失ったのだ。
――努力だって勉強だって無意味。もっと大きなもの、もっと大きなチカラ。
――それを手に入れなければ、なにもかも無意味だということ。
あの人が最後に俺に教えたのは。

「……あの」
控えめな声がかけられて、俺はぴくりと身じろぎした。
――人に見られていたなんて。でも、なんだかどうでもいいな。そんなこと。
ゆっくりと起き上がる俺に、声をかけた誰かは小さく息をついたらしい。死んだかと思った、という呟きを聞いて、こんな程度で人が死ぬか、と心の中で返した。
誰かは女だった。見覚えのある制服だが、どこだったかすぐには思い出せない。
「大丈夫?」
「……ん」
彼女が聞いてきた。微かに頷いて見せると、そう、とまた安堵したような声が返ってきた。
「……なんで、声かけてきたんだ」
存外小さく弱々しい声になった。さっき何度か蹴られた腹と、何度か殴られた頬が痛かったからだ。
彼女は俺の問いかけにしばし口を閉じてから、少し眉を下げて。
「……なんにも無いの?」
と、問うてきた。
思わず眉が寄ったのを自覚したと同時に、彼女はごめんと一言謝った。
「……関係、ないだろ」
「まあ……」
彼女はそこで一度言葉を切って、困ったような顔のまま微かに笑んだ。
「――もしそうなら、一緒だな、って」
その微笑みを、俺は呆然と見つめていた。彼女は続ける。
「同情してるとかじゃないし、同情して欲しいとかでも全然ない。ただ、一緒だなって思ったから、つい声をかけてしまっただけ」
「……お前も、なんにも無い、のか」
尋ねると、彼女は微笑んだまま頷いた。

「しょうがないね」

彼女の目は、諦めていた。
なんにも無いことに諦めていた。
――優しい奴なんじゃないか、と思う。
同情している訳でも、同情して欲しい訳でもないと彼女は言った。おそらくそれは事実だろう。実際、彼女は俺が身を起こすのにも立ち上がるのにも、一度も手を貸したりしなかった。事情を聞くようなこともなかったし、自分の事情を話すこともなかった。
一緒だ、ということだけ教えてくれた。俺にはそれで十分に思えた。

――強くなりたい。
なーんにも持ってない俺ではなくて。
――勝ちたい、勝ちたい。
優しい彼女が諦めるなんて、そんなことあっていいはずがない。
――勝つために、強さが。
欲しい、と思う。
彼女も自分も、諦める必要が無いように。


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