EP.19



――賞金百億なんて、喉から手が出るほど欲しいよ。
――けど私があんたみたいな超生物を殺せるなんて、まったく思えないんだもん。
――だから、世界の方に死んでほしいの。
私の言葉がそんなに衝撃だったのだろうか。殺せんせーは目を丸くして黙り込んでいた。
私はさようならといつものように挨拶をしてその場を去った。殺せんせーは私を引き留めようとはしなかった。

『どうしよう』
『... User unknown ...』

その夜。私はあの空き地にいた。ここ最近はよくここにいる。
イトナ君と連絡がつかなくなってから何度も足を運んだが、イトナ君がE組に転入してきてからしばらくはまたここに来るのをやめた。イトナ君がここに来ないということがハッキリとわかったからだ。
しかし、イトナ君に『知らない』と言われた夜。あの日からほとんど毎日のようにここに通っている。イトナ君に会うためじゃなかった。ここに来なければ、私が耐えきれないと思ったから。
――イトナ君に会いたい。話を聞いて欲しい。
ベンチに座って、スマホを手に取る。メールを何通も書いては送り、数秒置きにメールを受信する。すべてエラー通知。既につながらないイトナ君へ送っているのだから当然だ。

『なんで私を置いて行ったの』
『... User unknown ...』
『もう限界だよ』
『... User unknown ...』

――あーあ。こんなの”あの人”と一緒だ。
心の中で呟いた。それでもメールを打つ手が止まらなかった。

『助けてよ、イトナ君、こないだみたいに』
『... User unknown ...』
『一人にしないで』
『... User unknown ...』

――馬鹿馬鹿しいな、と思う。
――世間も世界も全部馬鹿馬鹿しいと言いながら、醜く泣いている私が一番馬鹿馬鹿しい。
そんなことはとうの昔に理解するべきだったのだ。
――諦めた目をして見せて、その実何一つ諦めきれていない、中途半端な私のことだ。
堪え切れなくなった涙が視界を歪めた。ついに私はスマホを手放して、両手で顔を覆った。

「――終わりましたか?」

風の音一つ無かったこの場に、不意に声が響いた。
思わず顔を上げると、黄色い超生物が空き地の真ん中に立っていた。

「殺せんせー……なんでこんなところに」
「昼間の話がまだ終わっていなかったので。一度お家に行ったのですが、留守だったので臭いを辿ってきました」
「……きもちわる」
呟くと、殺せんせーは酷いです!と声を上げた。さっきまでの憂鬱な気分が少し紛れたような気がした。
「青海さん、こんな時間まで女の子が一人で外にいるとは感心しませんよ」
こんな時間、と言われてスマホを見た。八時過ぎ。
「何をしていたんですか?何度も着信音が響いてましたよ」
「……別に、メール送ってただけ」
「相手の返信速度が凄まじいですね」
「エラーだもん」
あっさり答えると、殺せんせーは目をぱちりと瞬かせた。
「……誰に?」
一瞬迷ったがなんだか面倒くさくなって、結局さっさと答えてしまった。
「イトナ君」
「……なるほど」
何に納得したのだろう。少し疑問に思ったが、殺せんせーは黄色い顔で私を見ているだけだった。
私はしばらく黙っていた。それから呟くような声を漏らした。
「……なーんにも持ってない、の」
殺せんせーは言う。
「どういう意味でしょう?」
――よく聞きとるなぁ。
――聞こえてなければ、黙っていようと思っていたのに。
思わず乾いた笑いを漏らしていた。殺せんせーは首を傾げている。
――そんなだから、綺麗事を言っても許されちゃうんだ、この超生物は。
「先生、私とイトナ君のこと気になってるんでしょ」
「うっ」
先生はぎくっという風に触手を震わせた。その触手をへなっとさせて、すみません、と謝った。
「正直に言うと、その通りです……」
「別に、気にするほどの関係なんかないよ」
「そうなんですか?」
なんだか意外そうな声が返ってきた。どんな想像をしていたのだろう、と思ったがこの超生物は妄想力も常人を超えていたのだと思い出して聞くのを止めた。
「元々他校生だし、友達って言う程仲良しだったわけでもない。出会ったのだって偶然だし……あんな時期に会ったのでなきゃ、私と彼に接点なんかできなかったと思う」
「……あんな時期、とは?」
殺せんせーは耳聡く尋ねてきた。私は口を閉じて、その問いには答えずにこう返した。
「殺せんせー、私の家族構成知ってる?」
「はい?ええ、もちろん。お母さんとの二人暮らしでしょう?」
そう。珍しくもない、母子家庭ってやつだ。だから早く帰宅するべきです、とまた説教じみたことを言われた。
「私の両親が、中二の春に離婚したってことも知ってる?」
「……ええ。生徒の家庭事情は、担任として把握しておくべきことですから」
一瞬答えが遅れた。触れてはいけない話題だと思っていたのだろう。もちろん、他人にせっつかれて良い思いのする話題でないのは正しい。
「理由もさ、別に珍しくもないよ……父親の浮気がバレて、母親が許さないって言って、それであっさり離婚ね」
殺せんせーはさすがに何とも答え辛いようで、触手をゆらゆらさせて黙っていた。
「っていうか、当然といえば当然じゃん。あの人、仕事で海外回ってるって言って、全然家に帰らないんだもん。浮気の一つや二つ、無い方がおかしいくらい」
笑うような声で言ってみせた。しかし殺せんせーは何も言わない。
「それなのに、お母さんずーっとあの人のこと信用してたんだって。今時ありえないよ、そんな純粋に人を信じるの。だからこそ許せなかったんだって、今でも泣きながら私に言ってくる。聞き飽きたっての」
お酒に強い訳じゃないのに、時々浴びるように飲むことがある。酔い始めたら泣きだして、涙声で部屋にいる私を呼び出すのだ。勉強で手が離せないと言っても、そんなの良いからこっちにきてよ、と。そのおかげで勉強に付いていけなくなってE組落ちだ。ごめんなさいと何度も繰り返し謝って、それでも酔えば私を呼び出して愚痴を聞かせる。
「……もっと強い人だって思ってたの。父親がいない間しっかり家を預かって、子どものこともちゃんと育てて、料理が上手くて……」
家に籠ってたら気が滅入るからと、楽しそうに外に出て習い事をしたりパートに入ったり。他の友達のお母さん達よりいくらか若くて、家族の贔屓目を除いても綺麗な人だった。本当に、自慢の母親だと思っていた。
「……それが父親がいなくなっただけで、外にも出なくなったし、私に何も言わなくなった。E組に落ちた時でさえ、怒らないで、ただ悲しそうな目で私を見るだけだった」

その悲しそうな目が、私の精神をさらに蝕んだとはあの人は全くわかっていないだろう。

「――ずっと、私に、あなたはお母さんを捨てないでね、って縋りつくの。一人にしないでね、絶対だからね、って」

怒らないから、一緒に居てね。おいしいご飯作って待ってるから、絶対に帰って来てね。口に出すときもあれば、無言のうちに秘める時もあった。今でも一日に一回は、そんな言葉を投げかけられる。
投げられた言葉はゆっくりとした速度しか出ていないはずなのに、ヘロヘロと地面に落ちてしまえばいいのに、それはふらふらと私に届いて、じわりじわりと心の奥底まで落ち込んでいく。弱いくせに、言葉の淀みが私の腕や足に絡みついて逃すまいとする。
私が失ったものは、実質的には父親一人だけだ。でもそれに伴って、尊敬していた母親も、努力でしがみついていた学力も、すべて地に落ちて壊れてしまった。

――だから、なーんにも持ってない。

「イトナ君に会ったのはそんな時だよ。急に弱くなった母親にどうしていいかわからなくて、家に帰りたくなかったから適当にぶらついてたの。あの子も私とおんなじで、大切なものを失った後だった」
イトナ君の事情を聞いたことはない。でも予想はついている。近所の工場群の一つに、完全に動きを止めた『堀部』の名を冠するものがあったからそれで大体わかる。イトナ君も私がある程度理解していることはわかっていただろう。
私の事情をはっきりと彼に話したこともなかった。でも私はよく彼に愚痴を聞いてもらってたから、同じくある程度わかっていただろう。その程度の相互理解で私達の関係は十分成り立ち得た。
お互いの事情など何も聞かなくても、”一緒”ということだけで私は彼に惹かれたのだ。
「会って話すだけで気が楽になった。知らない人同士だったから、多少酷い愚痴も言い合えたから」
お母さんが泣いて困る、最低な父親どっかで死んじゃえ。そんなこと狭間ちゃんにも誰にも言えなかったのだ。後腐れない私達は、だからこそ互いの本心を言い合えた。
――そうして、私は今も届かないメールを打ち続けている。
「……私はイトナ君に依存してるの。弱った母親が私に言うみたいに、一緒にいてー、離れないでー、って縋ってるの。馬鹿馬鹿しい、呆れるね。結局私はあの人となにも変わらないってこと」
依存する人間の馬鹿馬鹿しさを、私は嫌っていたはずなのに。
私は深くため息をついた。話すべきことはすべて話した。こんな話、他人にするのは久しぶりだったな。人じゃないけど。
「私とイトナ君の関係なんてそんなものだよ。私が一方的にイトナ君につきまとってただけ。……で、今となっては、イトナ君は私の声の届かない場所」
何通溜まったか知れない。送信失敗のメール達と、エラー通知の受信メール。

――これが私の、イトナ君に対する依存の成れの果てだ。

顔を上げた。殺せんせーは俯いてぽつぽつ話し続ける私を、ずっと黙って聞いていた。最初と同じ場所、空き地の真ん中に立って、黄色いデフォルトの笑顔は何を考えているのだろう。

「先生、イトナ君がいない世界じゃ、私は生きていけないよ」

だから、世界に死んでほしいの。

「――それは違います」

返事はハッキリと返ってきた。
紫色の×印。回答を間違えた時、いつも見せる先生の顔色。

「全然、違います」
顔を黄色に戻して、殺せんせーはもう一度繰り返した。
私は思わず目をぱちりとさせてから、眉を寄せた。
「何が違うの?」
「あなたは自分が思っているほど弱い人ではありません。強くて優しい人です」
みんな知ってます、と。そんな意味のわからないことを。馬鹿馬鹿しい。
「なにそれ。それこそ全然違うよ」
「いいえ。あなたは強い。他人に依存などしなくても、自分の足で十分歩いていけるはずです」
――イトナ君に依存してようやく保っている私が?
――母親にのしかかられて、倒れそうになって外に逃げ出す私なんかが?
「そうやってたくさん思い悩んで、それでも寺坂君達の勉強に手を貸してあげるところ。十分優しい人だと思いますよ」
――人のことなんかまったくどうでもいい私が?
――世界が壊れてしまうことを、本気で望んでしまう私なんかが?
殺せんせーが示す私は、まったく正しくないと思う。私はそんないい人なんかじゃないってこと、超生物なら知っているんじゃないの?
いつの間にか殺せんせーはすぐ目の前に立っていた。やっと気づいて目を丸くした私に、先生は触手を伸ばして私の頭を撫でた。
「お母さんを見捨てずになんとか二人で生きようとする。自分や誰かのために出来る限りの努力をしようとするあなたは、十分に強くて優しい人だ」

――私はそんないい子みたいな理由でお母さんと付き合ってるわけじゃなくて。
――笑われたり同情されたくなくて、誰にも家の話なんかできない。
――私はとても弱い人間だと、自覚しているはずなのに。

――馬鹿馬鹿しいな、と思うのは。
――こんな超生物に励まされて、安心したような気分で泣きそうになる私のことだ。

思わずまた俯いた私から、殺せんせーは触手をゆっくりどけた。
やがて私の溢れそうだった涙が止まった頃、先生は言った。
「先生から青海さんに、一つ提案です」
「……提案?」
少し顔を上げた私に、殺せんせーははい、と頷いた。
「生徒の間違いを正すのは先生の仕事です。が、大切な人が間違えた時、正すのはあなたの仕事でもあるでしょう」
「……どういう意味?」
尋ねると、つまり、と先生は指をぴっと立てて続けた。

「――今度はあなたが、イトナ君を助ける番です」

私は目を丸くした。先生は目を細めた。

「そのための刃は、この暗殺教室で十分に磨けるはずですよ」

――私や烏間先生、イリーナ先生、そしてE組のみんなと一緒に。

私はしばし黙り込んで、やがてゆっくりと頷いた。


このメールは私のイトナ君に対する依存の成れの果て。
弱い私が淀んで沈む、無意味で馬鹿馬鹿しいだけのもの。
――でも、弱い私を支えるものが、今はこれしかなかったから。

『もう少しだけ、付き合って』
『... User unknown ...』

――強くあるべき時に、私が支えを捨てられるまで。


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