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「それで、水族館と観覧車、どっちに行くことにしたんじゃ?」
全員が集合した所で阿笠博士が尋ねる。
三月は車内での話を聞いていなかったため、観覧車に乗る、なんて事は初耳だった。
思わず「観覧車に乗るの?」と聞き返すと全員の視線が一気に三月へと注がれた。
「三月さん聞いてなかったんですか?」
「さっきコナン君のスマホのニュースを見てて、乗りたいねーって、お話してたんだよ?」
「そ、そっかあ…。」
「もしかして、三月姉ちゃんは観覧車苦手なのか?」
「高い所怖いの〜?」
子供達にそう問われた三月は「ううん、そういう理由じゃないよ。」と笑って見せた。
高い場所は苦手ではない。
ただ、三月にとって観覧車はいい思い出のない場所だった。
数年前に自分と仲の良かった刑事、松田陣平が観覧車で爆死してからは…。
目の前にうつる巨大な観覧車を見上げては、三月は目を細めた。
やがて子供達は博士の手を引いて、観覧車のチケット売り場へと走り出す。
やれやれと三月達も後に続こうとしたその時…僅かにガソリンの臭いが三月の鼻をかすめた。
臭の発信元を辿ろうと辺りを見回していると、突然工藤がベンチに座る外国人と思われる女性に話しかけた。
「ねえねえ、大丈夫?お姉さん。」
工藤の声に釣られて三月もそちらに歩み寄ると微かに臭っていたガソリンの臭は強くなった。
どうやら臭いは彼女からしているらしい。
工藤に声をかけられた女性はどこか呆然としている。
乱れた銀の髪に少し汚れた服、ただ遊びに水族館に立ち寄るような格好とは思えない。
工藤の方をゆっくりと見た女性の目は右眼が黒に左眼が蒼…オッドアイか、珍しいな…そう三月は思った。
「お姉さんの目、左右で色が違うんだね。」
「日本語、よく分からないんじゃない?」
工藤の言葉に反応を示さない女性を見て、灰原がそう言うと、彼女は首を横に振った。
「わかる…わかるわ…。」
「どうしたの?こんな所に一人で…お友達もいないみたいだし…それに怪我してるよ。…スマホも壊れてるみたいだし…。」
女性が腰掛けるベンチには画面にヒビの入ったスマホが置かれていた。
「これ、ちょっと見せて。」
彼女のスマホを手に取った工藤に歩み寄り、三月
も同じように画面を覗き込んだ。
ボタンを押しても画面は依然として真っ暗なままだ。
どうやら完全に壊れてしまっているらしい。
「工藤、なんか画面とは違うガラスが挟まってない?」
「ああ、あの人が座ってるベンチにも落ちてるな…おそらく車のフロントガラス…」
三月達がスマホを見ている間に灰原は女性に質問をする。
「お姉さんはいつからここにいるの?」
「…えーと…。」
「じゃあ、どこから来たの?」
「…わからない。」
何もわからない…と言いたげな彼女の反応に3人は顔を見合わせた。
もしや…と工藤はさらに踏み込んで質問をする。
「お姉さん…名前は?」
「名前……ごめんなさい、わからない…」
「…!!」
自分がどこから来たのか、誰かも分からない…これはまるで記憶喪失ではないか。
灰原は焦り気味に女性に近付くと頭を見せるように促した。
「どう?哀ちゃん…。」
「たいした傷じゃないけど、最近のものね。」
「たぶん車に乗ってて事故に遭い、頭を怪我した…」
「だとすると、外傷性の逆行性健忘…って、何で車に乗ってたってわかるの?」
灰原ははっと工藤を振り返る。持っていたスマホをコトリとベンチに戻し、工藤はベンチに無数に落ちているガラス片を一つつまみ上げた。
「このスマートフォンが完全に壊れるほどの衝撃を受けてるし…これ見ろよ。車のフロントガラスの破片だ。」
「…それに、彼女の体から微かにガソリンの臭もする。」
この近辺でフロントガラスが粉砕する程の交通事故を起こしたとなれば、当然彼女は今頃警察にお世話になっている頃だろう。
…そう言えば、昨日の大規模停電、車が何台か海に落ちたと言う事をアナウンサーがいっていたような…もしかしたら、それと関係が?
工藤は女性になにか持っていないかと尋ねると、女性は立ち上がりゴソゴソと自分の服のポケットを調べ始めた。
やがて、スカートのポケットに入っていた単語帳の様なものを取り出すも、彼女は不思議そうにまじまじとそれを見つめている。
「お姉さん、見せて。」
「なに?それ…。」
工藤がパッと単語帳を開くと5色の透明なカードが現れた。
一体何に使うものなのか…そう三月達が考え込んでいると、どうやらチケットを買えたのか、子供達と博士が戻ってきた。
「お〜い!コナン!灰原!三月姉ちゃん〜!」
「3人の分も買ってきたよ!」
「早く乗りましょうよ〜!」
工藤は子供達をみて「やべっ」と顔をしかめた。
子供達は女性に気付いたのか女性に声を掛け始める。
「誰ですか?その女の人。」
「お姉さんの目、右と左で色が違う!キレ〜!」
「偽物の目、入れてんのか?」
興味津々な子供達に圧倒されてか女性は呆然と立ち尽くしている。
「違いますよ元太君。お姉さんはオッドアイだと思いますよ。」
「オッドアイ?」
「変な名前だなあ、この姉ちゃん。」
「あ、いや、名前じゃなくて…」
「わかった〜!オットセイの目のことでしょ!」
子供達がわいわいと彼女の目のことについて盛り上がっていると、今までずっと不安そうな顔をしていた女性は急に、ふふ…と笑い出した。
歩美は「お姉さんに笑われちゃったね」とつられて照れくさそうに笑った。
「君たちはこんな所で何をしとるんじゃ?」
「丁度良かった、博士。」
「このお姉さん、事故にあってどうやら記憶喪失になってしまったみたいなの。」
え!と灰原の言葉に博士や子供達は驚愕の声を上げた。
驚きのあまり、博士に至ってはコナンの事を『新一』と呼びかけてしまう。
「もしかしたら、昨日の事故が原因かも…」
「すぐに警察に届けた方が…!」
「…!やめて!」
『警察』そう博士が口に出した途端、女性は急に身を乗り出し大声をあげた。
周りの人達もその大きな声に思わず立ち止まるほどだった。
「…お姉さん、警察に行けない理由でもあるの?」
「…わからない…」
灰原に尋ねられると女性はヘタリとベンチに座り込んだ。
しかし警察に保護して貰わんことには……
困った顔をする博士の隣で、工藤はスマホを取り出すと、急に女性の写真を取り始めた。彼女はそれに驚いたのかとっさに顔を手で隠し、その場から立ち去ろうとした。
「ちょ、コナン君…。」
「まって、お姉さん。」
工藤は女性を呼び止めると、まっすぐに彼女を見据えた。
「お姉さんの知り合いを探すために写真が必要だったんだ。」
「私の知り合い…」
「うん。記憶を取り戻す手伝いをさせてよ。」
工藤が優しく女性へほほ笑みかけると、取り乱していた女性は少し落ち着きを見せた。
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