「ありがとうございました。」
「華咲さんて結構飲み込み早いんだね。」
「いえ、そんな…。」


アルバイトを初めてはや一ヶ月が経とうとしている。
最初は覚える事が多く大変だったけど、経験を重ねる事に大分様になってきた…と思う。


「今日はそろそろ上がりますね。お疲れ様です。」
「お疲れ様、華咲さん。」


〜♪

店のユニフォームから私服に着替え店を出ようとすると、奥の方から突然、音楽が聴こえてきた。音のする方向を見る。店の大きなグランドピアノを誰かが弾いているようだ。
興味本位で近付いてみると、演奏しているのはどうやら空閑君みたいだ。

店長がピアノを弾いていることはよく見るけれど、店長以外の人が演奏しているのを見るのは初めてで、しかも空閑君がピアノを弾けるなんて私は知りもしなかった。


椅子に座って演奏している空閑君の斜め後ろに立ち目を閉じて音に耳を傾ける。
ピアノから奏でられる聞きなれた序奏、それはアヤナギ・ショウ・タイムのものだった。
このところ毎日聴いているせいか無意識にも私は歌詞を口ずさんでいた。



「今僕は 旅に出る 古の地図を広げて」


空閑君が私に気付いてこちらへ振り返る。目が合って少しびっくりしたけれど、ついメロディを口ずさんでしまうと楽しくて私はさらに歌い続ける。


「誰に出逢うだろう 心は飛び立つ羽」

私達はまた目を合わせて、今度は笑い合う。


「進め遠く 遥か遠く 旅は続いてゆく 孤独など決して 恐れはしないのさ」


客が少なく暇なせいか、店員さん達もぞろぞろと集まってくるのがわかった。
周りを見渡すと座ってご飯を食べているお客さんも、お喋りを楽しんでいたお客さんも、皆が今はそれを止めてこちらを見ている。


「進め遠く 遥か遠く 太陽を目指して」


私の歌はあまり褒められたレベルの歌ではないから羞恥心が無いと言えば嘘になるけれど。

「青春」

でもそれ以上に私の中では歌を歌っていることの楽しさの方が勝っていた。


「眩しい」


歌って楽しい。『歌は誰かに聴いてもらうためにあるんだ』と、昔私に歌の楽しさを教えてくれた人が言っていた。
子供の頃の話なので顔も名前もすっかり忘れてしまっているけれど、その言葉だけはしっかり覚えている。
この言葉さえ覚えていれば、また会える気がして。


「夢なのさ」






「お疲れ」
「うん、お疲れ様。」

結局私はあの後、空閑君のピアノ演奏にすっかり聞き惚れてしまい、気が付けば彼も上がりの時間になっていた。

「空閑君てピアノ弾けたんだね。」
「独学だけどな。」
「独学!?すご…」
「…うちにはピアノ習う金なかったから…」
「あ…」


いくら苦学生同士とはいえど、空閑君の家と私の家とでは事情が全然違う。
彼は小さい頃にお父さんを亡くしてしまった様で、空閑君のお母さんが一生懸命働いて彼を育てたらしい。
貧乏なだけで両親が元気でいる私と彼とではお金に困っているという意味が全然違うんだと思った。

「え、ええと、えっと、そう言えばね、今日初給料が出たんだよ…!」


一旦気まずくなった空気を変えようと咄嗟話題を変えようとするけれど、大分どもってしまっていた様だ空閑君がぷっと吹き出してしまった。
必死な姿を笑われてしまったことに少し恥ずかしさを感じ目線を地面へ向ける。
あれ、でもそう言えばあまり彼の笑った姿を見たことがない。
普段無口であまり感情を表に出さない空閑君が笑ったりする姿はある意味とても貴重である。


「そうか、初給料おめでとう。」
「なんか、それはそれで照れる…。」
「華咲って歌、上手いんだな。」
「あ、有り難いお言葉だけど…ミュージカル学科の空閑君に言われてもなあ…。」


少し複雑そうな顔をしていると、急に視界が狭まった。どうやら顔にヘルメットを被せられた様だ。
「わっちょっ…」
「被ってろ。」

空閑君がそう言うと彼もヘルメットを被るとバイクに跨り自分の後ろに乗る様に言ってきた。

「えっ、乗っていいの?」
「ああ、しっかり捕まってろよ。」












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