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キスを一つ、うんと優しいのを




研究に関する権利が欲しい。
予想の斜め上を飛んでいった返答に、危うく仕上げたばかりの書類に淹れたばかりのコーヒーを零す所だった。
発言者の方を振り返ると本人は至って真面目ですといった表情をしているものだから、無意識の内に眉間に皺を寄せることになった。
そんな物容易にあげたり貰ったり出来る訳が無いし、そもそもその権利を持っているのは俺ではない。
だからと言って無下に断れば何をやらかすか判らないからタチが悪い。
どうしたものかと真剣に悩み始めた頃、くすくすと笑い声が聞こえた。

「嫌ね、冗談だったのに」

この野郎。文句の一つも言ってやりたかったが言葉より先に溜息が出た。
相変わらず演技の上手い女である。大分見抜けるようになったと思っていたがどうやら未だ甘いらしい。

「真面目に聞いてるんだが」
「じゃあ給料三ヶ月分」

これ又返事に困る回答が返ってきた。先程からニコニコしている彼女の顔からは冗談なのか本気なのか読み取れない。

「…未だムリだ」

取り敢えずそう答えておいた。完全否定ではないから怒られはしなかったが些か機嫌は損ねたらしい。
仕方ないわねぇと言いながら近寄ってくる彼女を何をしでかす気かとどきどきしながら(悪い意味で)待っていると、目の前で淡いピンクがひかれた唇が弧を描いた。



キスを一つ、うんと優しいのを



何故彼女は厄介な願い事しか言わないのだろう。




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