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「…もしかして俺、嫌われました?」

「なんで?」

二つ目となるオムライスを頬張りながら、突然の言葉に智希は気の無い返事をした。
しかし姫川は少し落ち込んでいるようで、おいしいと勢いよく食べていた手が進まない。

「…父親らしくないって…言ったから…」

「あぁ、それは過去何万回って言われてるから気にしてないよ」

「………」


そう言われても、やはり智希の身内に嫌われたのではとなかなか気分は上がってこない。

ほんとこいつは上がったり下がったりだな。
そう思いながらご馳走様と手を合わし皿を流しに運ぶ。

姫川はその行動に、あ。と言いながらオムライスを一気に食べ終えると、ご馳走様と手を合わし自分の皿を流しに置いた。



「…父親自慢していい?」

「!!是非お聞きしたいです!!」

「…うちの父親な、高校生の時に俺が出来たんだよ」

「………へぇ」

流し台で立ち尽くす姫川の腕を引っ張り再びテーブルに戻ると、食後の温かいお茶を出してやり自分も座る。
姫川はありがとうございますと小さく言うと、猫舌なのかフゥフゥと何度も息をかけながらゆっくりお茶を飲んだ。

「…まだやりたいことがあったとか、遊びまくりたかったと思うんだけど」

「………」

同じく自分のお茶も入れ、ゴクンと飲む智希は目を伏せ大人っぽい。
姫川は気が付けば見とれていた。


「…母さんが交通事故で死んだのが俺が3歳で」

「………」

「……父さんが二十歳の時だぜ。まだまだ遊びたい盛りだっての」

「………」

辛いはずなのに、辛そうに言っているのに。
嬉しそうに見えるのは何故だろうか。




「でも父さんさ、高校卒業してすぐ就職して、いっぱい働いて。…俺を育ててくれたんだよね」

「…凄いん…ですね」

「かっこいいだろ」

「はいっ」


自慢げに笑う智希は少し照れくさそうだが生き生きしている。
本当に、嬉しいのだろう。


「この家は昔父さんが小さい頃住んでた家なんだけど」

「そうなんだ…」


言われてみれば、掃除は行き届いているものの生活感は結構ある。
周りをキョロキョロ見る姫川にクスリと笑うと、グイっと一気にお茶を飲み干し喉を鳴らしながらコップを置く。
そして小さく溜息をついた。


「じいちゃんとばあちゃんが、俺が5歳になる時都会はもう嫌だーつって田舎に帰ってさ。この家は俺と父さんだけになったんだけど」

「……へぇ」

思い出しているのか、少し遠い目をしている。
壁についたキズも、天井の少し黒こげたシミも、全てここで智希と有志の思い出。


「もう物心ついた時は父さんと二人きりで…」

「…仲良し……なんですね」

姫川もやっと普通に飲めるようになったのか、お茶をゴクンゴクンと飲むと何故か嬉しそうに笑った。
きっと、智希のプライベートが聞けて嬉しいのだろう。


「仲良しっていうか…」

「?」

「………言い方気持ち悪いかもしれないけど、俺には父さんしかいないんだよ」

「………」


ファザコン?
それとはちょっと違う。
何かもっと別の重たい感情だ。



「…気持ち悪くなんか…ないです」

「…いいよ、無理に言わなくて」

「本当にっ…!……先輩はかっこいいです」

「………あ…りがと」



姫川はまだお茶の入ったコップを握り締めうつむいていた。
自分で言っておいて照れているのだ。


「……そんな…かっこいい先輩を育てたお父さんもかっこいいです」

「ありがと」


「………」



智希は満面の笑みを浮かべた。
自分のことを褒められるのはとても苦手なのに、父親を褒めるとちゃんと17歳等身大の笑顔になった。
背は高く大人っぽいが、元々柔らかい表情がさらに子供っぽさを出している。


その笑顔にまた、姫川はときめくわけで。















「………智…」


扉の影で、有志が聞いていたことを二人は気づかないわけで。





















「お邪魔しましたー」

「…ご両親帰るのが遅いようならいつでも晩御飯食べにおいで」

「あ、でも本当にいつものことなんで慣れてますんで!今日はちょっと…色々ありまして先輩にご迷惑を…」

「………」

「?」



迷惑なんか、かけられていないのに。
そう思い玄関で智希は腕を組むが、声は出さない。



「じゃあちょっと送ってくる」

「…うん、気をつけてな」

「なんかすみません…送ってもらってまで…」

「気にすんな。じゃあ行くぞ」

「あ、はい。お邪魔しました」

「はーい」


智希とはまた違う優しい笑みで有志は姫川を送り出し、扉が閉まった途端その場に崩れ落ちた。







「……智…」


ペタンと足を床につけ力なく座っている。
少しフラフラしているようだ。

案の定、すぐ壁に身を預け目を閉じた。



「智…智……智希…」



声に出せばさらに感情は高ぶり、さっきの言葉が繰り返される。








俺には父さんしかいないんだよ。






「っ……」



智希を、独占したい。
智希に、独占されたい。





こんな普通の親なら持たない感情を持ち始めたのはいつからだろうか。
子供は可愛い。すくすく育ち反抗することなく素直に育ってくれた。
担任の先生からは模範生だと言われ、スポーツをすればすぐ自分のものにしてなんでも出来た。





そこでふと、思った。


この子は、大きくなったら自分を必要としなくても生きていくんだろうな。






つまり、必要とされなくなる?






あまりの絶望感に涙した。





息子が自立してくれることを喜び願うのが親だろう。
しかし有志にはそれが出来なかった。





いつまでも一緒にいたい。
いつまでも父さんがいればいいと言ってもらいたい。
いつまでも。




いつから

『息子』への愛から

『一人の人間』への愛になったのだろうか。





自覚をしたのは、つい最近だ。
智希が誰かと付き合ったことがあると聞いたときだ。



自分以外の誰かを選んだんだと思ったら、胸が苦しくなった。

誰かにキスをしたんだと思ったら、眩暈がした。




誰かとセックスをしたんだと思ったら、嘔吐した。








「……智…希ぃ…」






酒の力を借りて智希と交わったことを、正直とても後悔している。
智希の有志への愛情は普通でないことは確信した。
自分の思いと違うかもしれないけれど、それは限りなく近いものなのだと思う。



でも、ダメなんだ。
と、有志は床に崩れ落ちた。






「……俺たちは…血が繋がってるんだ…」







ずるずると体が崩れ落ち玄関で横になると、そっと手を下着の中に忍び込ませる。




「…っ…んっ」



有志の下半身はもう、反応している。




「……んっ…んっ」

下着にソレを閉じ込めたまま両手で擦ると、ゆっくりと上下に擦り始めた。
まだ粘着質の音はないものの、有志の声は確実に熱くなっている。

こんな、いつ智希が帰って来るかわからない場所、状況で。
それでも有志は涙を流しながら擦る手が止まらない。



「…っはっ……あっ…んんっ…あっ」

完全に寝転び仰向けになって膝を立てると、背中を反らしながら智希と愛し合った日のことを思い出していた。

智希に、ココを見られた。
智希に、ココを弄られた。
智希の手で、イった。



「あっ…あぁっ!」

小さいながらも有志の声が玄関に響いている。
段々粘着質の音も大きくなり擦る早さも速度を上げていく。

先端に爪をたて、智希がやってくれたようにと円を描くように何度もきつく親指で刺激すると、腰が浮き数回床に叩きつけた。

「んっんっんっ…んっ…とっ…智っ…」

名前の一文字を言っただけで、興奮し射精感が早まる。

「あっ…はっ…んんっ……智希っ…」

名前を全て呼ぶと、頭が真っ白になった。



「あっあっ…んんっ…はっあっ……智っ…智希っ…智希っ…」


何度も名前を読んで大きくなった有志のソコは下着から飛び出し、ハーフパンツからも顔を出していた。
白い液が先端を光らせ卑猥に水溜りを作っている。

裏筋に爪を立てて下から上まで擦り上げると、あまりの気持ち良さに高い声が出てしまう。
先端のくびれをきつく押して目を閉じると、涙がポロポロ出てしまう。


「あっ…智っ…智っ……智っ…いやだっ……あっ…智っ」




もっと、必要として。



「んんっ…智希っ」



もっと、独占して。



「はっ…あぁっ!!智希ぃっ!」




俺しか見ないで。




まるで駄々をこねる子供のように、有志は智希への思いを再確認する。






「あっ…んんっ…でもっ……でもっ…智希っ…俺達はっ……あっあっ」




変えることの出来ない事実。




「んんっ…!!あっ…はっ…」

両手を筒状にし、大きく早く何度も擦る。
もう、絶頂が近い。



「あっ…智希っ…!!俺達はっ…あっ!!」



ビクっと有志の体が揺れ背中が弓なりに反った瞬間、有志は目を見開きながら白濁の液を自分の手の中に放った。



「っーーーーー…はっ…はぁぁーー……」


出ている感触がどくどくと伝わってくる。
それと同時に、涙も。



「俺たちは………っ……親子なんだ……」







放った直後の絶頂感と疲労感に胸を上下する。
幸い有志の放った液は床に零れていないものの、こんな場所で自慰をした自分に笑いがこみあげた。

「っ…ははっ…あははっ」


手の甲を目に押し当て萎えていくソレもしまわず何度も深呼吸をする。




「はははっ……はっ……ははっ……あーあ…。ほんと、バカだ俺」




手の甲で隠れた目じりからは、涙が流れ続けていた。




「今日は本当にありがとうございました」

「はいはい。もういいって」


何度目になるかわからない姫川の深々と頭を下げる礼に半ば呆れながら、二人は最寄の駅に向かっていた。

智希の家は閑静な住宅街にあるので、駅まで徒歩だと男の足でも15分はかかる。
すでに9時を回り真っ暗となった静かな道を二人で歩いていた。

「でも先輩って、本当になんでもできるんですね」

「そうか?」

特に嬉しそうでもなく、簡単に答える。
照れているのかもしれない。

「…先輩」

「ん?…あ、車だ」

住宅街のためかそんなに車は走っていないが、車のライトが見え壁に寄りながら姫川も引っ張る。
問いかける姫川は急に腕を掴まれ少し驚き体を震わせてしまった。
その瞬間はっと智希を見上げると、すぐに智希は腕を放し小さくごめんと呟く。

「ち、違うんです」

ブロロロ…


二人の横を白い車が通り過ぎ、運転手はこんな夜中に男二人が壁に寄ってなにを話しているのだと少し不思議に思いながら
アクセルをぐっと踏んで二人の横を通り過ぎた。

「………」

「………」


空気が、悪くなる。



「……姫川」

「はっはい」


二人の足は止まり、車は通り過ぎたというのにまだ壁に寄っている。
運転手が思ったとおり、変な光景だ。


「今日のことを忘れろとは言わない。だけど、このせいでバスケを辞めようとか思ってほしくないんだ」

「………」

「…あいつらのことはなんとかするから」

「……なんとかするって…?」

「………」

うつむきながら聞いていた姫川は小さくそう言うと、思い出してしまったのか少し震えていた。
智希はそれに気が付いたが触ることが出来ず立ちすくんでしまう。
今、こいつになにを言っても自分では傷つけるだけになってしまうんじゃないか。
弱気になるのは、まだ智希が未熟な証拠。

「……ごめんな、俺…こんな情けない先輩で」

「えっあっ違っあのっ」


姫川は急に顔を上げあまりにも沈んだ声を出す智希を見上げた。


「べべべっ別に先輩のこと情けないなんてっ」

「………」


あわあわと焦りながらなにか言いたいけれど言葉が出てこない姫川は、さらに未熟な証拠。


「うん、でも本当に。なんとかするから」

「………先輩」

「……明日も部活、来いよ」

「………」


姫川はその問いに答えることが出来なかった。



















「ただいまー」

その後会話もほぼ無いまま智希は姫川を駅まで送り、どこにもよらず帰ってきた。
真っ暗の空を見上げながら自分の不甲斐なさに腹が立つ。
なぜ良い言葉が出てこないのだろう。
一言、姫川を安心させる言葉を言えばいいだけなのに。



姫川は言葉なんか望んでいないのだけれども。



いつも家に帰ると有志の「おかえり」が聞けるというのに、それが聞こえてこない。
少し首を傾げながら中に入り靴を脱ぐと、すぐリビングへ向かった。


「……父さん?」

リビングにも、台所にもいない。
先ほど有志の部屋の前を通ったが、襖が開いた状態で中は真っ暗だった。


「…風呂かな」


するとリビングと廊下を繋ぐ扉がガチャリと開けられた。



「…お、びっくりした。帰ってたんだ」

「あ、うん。ただいま」

「おかえりー」


有志は髪を濡らしたままスエットに長袖と、寝る前の格好で現れた。

「なんだ、風呂入ってたんだ」

「う、うん」

「?」

何故かどもる有志に少し違和感を覚えたが、髪の毛も拭かない父親に溜息を付きながら近づく。

「また髪の毛乾かさないでリビング(こっち)きたー。せめてタオル持って来いってばー」

「面倒なんだよ」


風邪ひくぞと、普通は親が子供に言う言葉がこの家では逆だったりする。
気にせずまだ濡れたまま台所にいき冷蔵庫を開ける有志を目で追いながら、智希はその濡れるうなじをじっと見つめた。



「……目に毒なんだよ」


もちろん、有志には聞こえないぐらいの小ささだが表情はまるで
おもちゃを買って貰えず我慢している子供のように怒っている。


「無意識が一番怖いんだよなー」

これもまた独り言で小さく。



有志が冷たいお茶を持ってリビングに戻ってきた頃には智希はおらず、部屋にでも戻ったのかなと気楽に考えながらソファに座りテレビをつけた。

ゴクゴクとお茶を飲みながらチャンネルを回していると、突然ガシっと頭を掴まれタオルで強引に拭かれ始めた。


「わっ!ちょっ!!」

「最近暖かいからって髪の毛はちゃんと乾かせって」

智希が脱衣所からタオルを持ってきて、髪を拭こうとしない有志の髪の毛を無理やりごしごし擦っていく。

「わっわっ!テレビ見れない!」

「見なくていい」

段々乾いてくると、智希も手の動きにだれたのかタオルを有志の頭に乗せその場から離れた。


「あとは自分で乾かせよ。ドライヤー使えよー」

「……はーい」


足音は遠くなり、扉がガチャンと閉まって智希がリビングを出たことを確認すると、有志はつけっぱなしのテレビを全く見ずうつむいていた。
タオルを掴んでスルスルと落とすと、濡れて湿っているそのタオルに顔を埋める。

「……智希…」

誰にも見られていないテレビだけがリビングを賑わしていた。















次の日、姫川は学校にきていた。
同じ学年なうえに同じ普通科のため、あの3人に会ってしまう確立は高い。
幸いなのはクラスが違うことだけなのだが、運悪く昼休みの時に置田と偶然会ってしまった。



「…おぅ」

「………置田…」

人通りの多い廊下で固まってしまう姫川。
それを見た置田はクスリと笑うと、ズボンに手を入れながら顔でこっちに来いと合図した。


怖い。
ついていってまた何かされたらどうしよう。

でも姫川はこのまま逃げてもダメだと、勇気を振り絞ってあとをついていった。





連れて行かれたのは階段の踊り場だった。
先ほどの教室前廊下より人が少ないといっても階段なので人は通るし、教師も通っている。
少し安心したのか姫川は安堵の溜息が出た。

「…また人の少ないところにいってなんかされるんじゃないかって思ったか?」

「………」

大人っぽく笑う置田は昨日と変わっていない。
ゾクっと全身を震えさせたが、決着をつけるんだと姫川は震えながらも置田に話しかけた。


「………昨日の…写真」

「写真?……あぁ、お前の凄い写真ね」

「っ………」

わざとらしく今思い出したようなジェスチャーをすると、ニヤニヤしながら携帯を取り出した。
姫川は怒りに震えながらも、じっと置田の携帯を見つめる。


「………安心しろよ」

「…へっ」

しかし置田から出てきた言葉は予想もしない言葉だった。


「消したよ。さっき」

「………なんで」

「消してほしくなかったのか」

「なっ!!」


馬鹿にしたように姫川を見ると、大きな溜息をつきながら目を伏せた。
壁にもたれ腕を組むと、再びゆっくり目をあけ姫川を見つめる。


「…朝一でな、俺ら3人泉水さんに呼ばれたんだよ」

「……先輩に…?」

3人とは、置田・菅沼・長谷部のことだろう。
その3人を智希がなぜ、朝一に。


「……まぁ、簡単に言ったら…怒られた」

「………」

全く反省していない様子で喋る置田に怒りを覚えたが、泉水が絡んでいるということで最後まで話を聞かなくては。
そう思い必死に拳を握り締め耐える。

「……菅沼と長谷部の奴さ、まじ最悪で。僕達は置田に命令されてやりましたーって言ったんだぜ」

「………」

確かに、一番権力を持っていたのは置田だと思ったが、他の二人も同罪だ。

置田はふてぶてしく喋っているが、やはりショックだったのだろう少し落ち込んでいる様子。
何度も溜息をつき、踊り場の真ん中で距離を開けて立っている姫川を見ると、ニコリと笑い携帯の時計を見た。

「俺はバスケ部辞めるよ」

「…えっ」


あと5分で授業が始まることを確認すると、体を起こし携帯をポケットに直しながらゆっくり階段を降りていく。
突然の言葉に驚き姫川は目を大きくすると、そのあとを追って自分も階段を降りていった。





「…辞めるってっ…」

「……元々こんな凄い奴等のいるところで俺等みたいなのが頑張っても一生レギュラーなんかなれないしな」

「…俺等?」

「あぁ、菅沼と長谷部も辞めるって」


「………」


「……嬉しいか」


「………」



嬉しくない。わけがない。
つい顔に出てしまったのか置田は振り返り姫川の顔を見るとニヤリと笑った。
思わず足を止め口を手で隠す姫川。


「……泉水さんに言われた」

「…?」

立ち止まる姫川を置いてさらに進んでいく置田を、姫川は追わずじっと見ていた。




「こんなことをしてもお前たちは姫川より上にはいけないって、さ」

「………」




「…実際、高校のクラブ活動程度にしか思ってない俺等3人に、お前みたいな毎日努力してる奴には勝てないよな」




「…………」



そのまま置田は角を曲がり姿を消した。
結局最後まで謝罪の言葉はなかったけれど、遠まわしに自分が褒められたような気がした。
もちろん、許すことは出来ないけれど置田達への憎悪が少し軽くなったのは確かだ。



そして智希に対する想いも、増したのは確かだ。





放課後、姫川は部活へ行くため廊下を走っていた。
少し大きめのリュックには勉強道具ではなく部活用の着替えが入っている。


「っ……。よしっ」

あの、薄暗い廊下についた。
置田に声をかけられた場所だ。

少し思い出してしまい身震いしたけれど、歯を食いしばって走り抜ける。


あと少し、あと数メートルで扉に手が届く。
と、思った瞬間呼び止められた。



「姫川?」

「っ………」



ドアノブに手をつける数センチの所でピタリと体が止まった。
冷や汗が流れ居心地悪い。

姫川はゴクリと唾液を飲み込むとゆっくり振り返った。



「よぉ」

「っ………!…なんだ清野先輩か」

「なんだとはなんだ」


薄暗い廊下の向こうから清野が軽く右手を挙げながら歩いて来た。
ナナメ掛けの鞄をかけ直しながら姫川の態度に少しご立腹のよう。



「あ、すみません」


清野の表情を見て思わずやってしまったと焦りながら深く頭を下げると、ゆっくり歩いてきた清野は満面の笑みで姫川の頭を撫でた。


「ん」

「?」


なぜか満足した顔をする清野を見上げながら、なかなか終わらない自分への撫でる行為に少しとまどう。



そういや清野さんていつも俺に声かけてくる、…ような。


そう思っていると、清野は満足したのか姫川の頭から手を離し先に扉を開けた。


「あっ……」

「何してんだよ姫ー。一年は先に行って体育館磨きだろ」

「はっはい」



清野は扉を開けながら差し込む自然光に少し目を細め姫川に話しかけた。

違反ギリギリの茶髪の髪がなびいて姫川の頬に生暖かい風が通り抜ける。



清野先輩も…かっこいいよな。



「姫ー」

「はっはい!」


智希ほど容姿端麗…とまではいかないが、智希並の長身、鼻筋の通った整った顔をした清野も人気がある。

そんな清野に少し見とれていると、動こうとしない姫川に眉を曲げ口を尖らせた清野がため息をつく。


姫川はすぐ扉へ向かって走りだしバスケ部専用の体育館までの道則を清野と歩いた。









「姫ってさ、彼女いんの」

「っでぇっ?!

「なにその反応。きもいよ」


中庭を通るため緑の木々が茂る中姫川の奇妙な声と清野のケラケラ笑う声が響く。



「……秘密です」

「いないだろ」

「………」


一緒に横に並んで歩きながらまた、清野の笑い声が聞こえる。


秘密と言ったのにいないだろ、と間髪入れずに返され思わず黙り込んでしまった。
その反応を見て清野はニヤリと口端を上げる。



「片思い中とか?」

「べ、別に」

「同じクラスの子?」

「違います」

「泉水?」

「ぶっ」


吹き出してしまった。
その瞬間、清野が立ち止まり腹を抱えて笑う。



「あっはははは!!同じクラスかって聞いたら即答で違うって言ったのに、泉水かって聞いたら吹き出した!!あははははは!!」

「ちょ、声大きいですよ!!」

「だってお前っ…!あはははー!」


その、姫川の吹き出す顔がツボに入ってしまったのだろう。
後から来たバスケ部員に不振な目で追い抜かされてもまだ、笑っている。



「ちょっ…もうっ…まじ先輩っ……!」

「いやーごめんごめん。あまりにも姫が純粋で可愛かったから」

「っ………」


目尻に貯めた涙を拭いながら姫川の頭に手をのせる。
清野はこんなセリフをサラっと言ってしまうため姫川は普段からどう対応したら良いのかわからなかった。



「……可愛いとか、嬉しくないです。先行きます」

「そ?俺なんか昔から無駄にでかかったから親からも可愛いなんか言われたことないぜ」


清野を置いて部室に入ろうとすると、同じ歩幅で清野もついてきた。
一緒に部室に入ると、姫川は元気良く挨拶する。



「ちぃっす」

「ちはー」

「おぉ、清野にしては来るの早いな」


部室では大谷がすでに着替えていた。
その他何人か部員が着替えを行っていて、清野に軽く会釈する。





「ん、姫見つけたから走ってきた」

「あれ、お前らそんな仲良かったっけ?」

「だってこいつすげーおもしろいんだぜ。さっき吹き出しっ…」

「うわぁぁ!きき清野先輩!それ以上言ったら……きっ嫌いになりますよ!!」



「…………」

「…………」

「…………」


姫川の発言に、一瞬にして部室にいた人間全てが固まった。

姫川は顔を真っ赤にしながらはぁはぁと肩で息をしている。



「……わかった…。姫川に嫌われたくないからもう言わない」


「っ……ぷっ」


部室にいた誰かが吹き出した。


姫川もようやく自分の子供のような発言に気付いたのか、さらに顔を真っ赤にして顔を右手の甲で隠す。
奥からクスクスと笑い声が聞こえてきた。



「いやーほんと姫ちゃんは可愛いねえ。嫌わないでね」

清野が姫川の頭にポンと手を置くと、姫川はそれを手で払い清野を睨み付けた。

目は少し、潤んでいる。

「……おっと」

清野は少しやりすぎたと思ったのか、一歩下がり頭をポリポリとかいた。
それを見ていた大谷はため息をつきながらロッカーを閉めると、二人の真ん中に立った。



「はいはい、早く着替えろよ。姫川、早く体育館の掃除行け。斎藤達先に行ってんぞ」


「……はい、すみません」



姫川は目を合わせず謝ると、自分のロッカーに向かった。


「清野、悪い癖だ」

「いやあ、ついね」

「清野」

「……すんません」



流石キャプテンだ。
まだ茶化そうとする清野を睨み低く唸ると、清野も視線を外しながら謝り自分のロッカーへ向かった。


こいつに協調性さえあればな…。

大谷は再び大きなため息をつくと、タオルを持って体育館へ向かった。






「ひーめ」

「………なんですか」

「だから、ゴメンて」


本日の部活は終わり一年生以外は部室へ戻っていく。
習慣付けられている体育館の掃除を姫川含む一年生達がモップを掴み掃除を始めると、黙々とこなす姫川に清野が話しかけた。

清野はタオルで汗を拭きながらゆっくり近づくと、あからさまに部活前のことを根に持っている姫川に嫌な顔をされた。
それでも負けず姫川の前で手を合わしゴメンと言うと、他の一年生が何事かと二人を見つめている。

姫川はそれに気付くと慌てながら言葉を濁した。

「別に怒ってないんでやめてください」

「ほんとに?」

「はい」

「じゃあラーメン食いに行こう」

「へ?だって俺掃除がっ」

「待っててやるから〜」

「ちょっ…と」


清野は強引に約束をすると、クルリと姫川に背中を向けて歩き始めた。
モップを持ったままの姫川はその強引さに怒りを通り越して呆れてしまったが、やはり体育会系の血が流れているのだろう、その強引な約束を断ることが出来なかった。



「……なんなんだあの人…」


清野の姿が見えなくなるまで見つめていると、サボっていると思われたのか秋田に頭をパチンと軽く叩かれた。
















「すみません、遅くなって」

「おーお疲れー」


掃除を終えすぐに着替えると、清野の待つ校門まで走った。
清野は校門前の花壇の縁に腰を降ろし音楽を聞いているようだ。

息を少し切らしてやってきた姫川を見つけると、嬉しそうにニコリと笑いヘッドフォンを外す。



「走ってきたのか?」

「だって先輩待たせるのは…よくないですし」

「ん」

「?」



清野は再び嬉しそうにニコリと頷くと、立ち上がり足早に歩き出した。


「あっ先輩っ!どこ行くんですか」

姫川も負けじと清野の足のコンパスに着いていく。



「商店街。うまいラーメン屋があんの」

「なっなんで急に」

「今日姫川に嫌な思いさせたし」

「………べつに…」


振り返りポケットに手を入れている清野は男らしく正直、かっこよかった。




「…ここですか?」

「そ。古びた店だけどまじうまいから」

「あっちょっと」


相変わらずマイペースに会話をし店に入ると、外観は古びて一見さんは入りにくそうだが中は清潔で笑顔の素敵な老夫婦が経営しているようだった。


カウンター8席にテーブル6台と、決して大きくはないが繁盛はしているようだ。

清野は常連なのか慣れた感じで奥へ進みテーブル席へ座った。
姫川も後に続き木の椅子を引いてゆっくり座る。



「…よく来るんですか?」

「うん。まぁ、おやつみたいなもんだ」

「おやつ?」

「ここでラーメン定食食べて、家でさらにがっつり」

「………」



だからこんなに身長伸びるのか?
羨ましそうに清野を見つめていると、その視線に気付いたのか清野はニコリと笑い置かれたコップの水を口に含んだ。





「姫は身長何センチ?」

「なんで今そんな話ししなくちゃいけないんですか」

「だって俺の身長羨ましいって思ってただろ」

「………」



悔しい。
自分の身長が低いことも、読みを当てられたことも。



「ラーメン定食でいい?」

「……はい」

清野は軽く手を挙げ店員を呼びラーメン定食2つと伝える。
気品の良い婦人はありがとうございますと言いながら厨房に入っていった。




「まじうまいから、病み付きになるぜ」

「…そうですか」

「あれ、また怒らせた?」

「……いいえ」


明らかに怒っている。



「先輩はよくわかりません」

「ん?」


テーブルに肘をついてメニューをなんとなしに見ていた清野に、姫川が少し顔を赤くしながら喋る。
両手で握るコップをじっと見つめため息をついた。



「…泉水先輩のこと…片思い…してるのかとか」

「……あぁ」


わざとらしく相槌を打つと、清野は再びテーブルに肘をついて目を伏せた。
なにか、言葉を選んでいるようだ。



「…いっ泉水先輩は確かにかっこいいし…尊敬…してるけど…」

「………姫川」

「はい?」


姫川が視線を上げると、清野は今まで見たことがないとても真剣な表情をしていた。
思わずゴクリと生唾を飲んだ。清野から目が離せない。




「………そんなに、泉水がいい?」

「えっ?」


予想しなかった言葉に思わず聞き返してしまった。
しかし清野はそのまま黙ると、重い空気を変えてくれるラーメン定食が二つ運ばれた。



「はい、お待ちどうさま。以上でよろしいですか?」

「はい」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「ごゆっくり」


婦人はニコリと笑うと伝票を置いて席を離れた。
まだ黙り込む清野に姫川が話しかけようとした瞬間、パチンと箸を割る音がした。
清野が両手を合わしている。




「いっただきまーす。姫川、餃子のタレ取って」

「えっあっえっあ、はい」

「サンキュー。早く食べてみろ。冷めるぞ」

「は、い」


いつもの清野だ。
まるでさっきの一言は空耳かと思わせるぐらい何もなかったようにラーメンをすすっている。



調子…狂うな。


そう思いながらも姫川は箸を取り一口麺をすすった。



「……あ、うまい」

「だろー!やっぱ細麺だよなー」

「そうですね、俺もどっちかというと細麺が好きです」

「……ん」

「?」




清野は笑ったのだが、なにか引っ掛かった。
笑顔、というより、少し困っているようだからだ。







しかしその後もいつもの清野に戻り、うまいうまいと言いながら二人はペロリとたいらげた。










「ごちそうさまー」

「ごちそうさまでしたー。…ってか本当に良いんですか」

「なにが」

「奢り…」

「気にすんなよこのぐらいの金額」

「……ありがとうございます」

「………ん」



姫川が店先で深々と頭を下げると、清野は財布を鞄に戻しながらニコリと微笑んだ。



「お前電車?」

「あ、はい」

「俺はバスだから、途中まで一緒だな」

「はい」



陽は落ちたがまだ人通りの多い商店街をゆっくり歩き始める。
空気は、なぜか重い。




するとマナーの良くない主婦が呼び鈴も鳴らさず後ろから自転車で走って来た。

それに気付いた清野は姫川の肩をグイっと掴み引き寄せると、何食わぬ顔で走り去る主婦を睨み付ける。


「っぶねー。商店街ではチャリ乗るなっての」

「あ、ありがとうございます」

「ん」


自分より頭一つ分程背の高い清野に引き寄せられ、まるで恋人のように抱き合う体勢。
そんな状況に同性だというのに照れた姫川は清野の肩を押し離れる。



なんか俺、高校入ってから自分のひ弱さに毎日落ち込んでる気がする。

もしもっと強い人間なら、置田達にも…。



「っ………」

「?」


思い出したのだろう、姫川は身震いした。



「大丈夫か?まさかあのおばちゃんの自転車に当たったか?」

「いっいえ、なんでもないです」


立ち止まったまま心配そうに姫川の顔を覗き込むと、青白い表情に気付きさらに心配になる。


「姫…顔色悪いぞ」

「え、そうですか?街灯が発色悪いんですよきっと。さ、行きましょう」

「………」



スタスタと歩いていく姫川の背中を、清野はじっと見つめた。
なにか、思い詰めているようだ。



「……姫川」

「わっびっくりした」


清野は足速に歩き姫川に追い付くと、手を取り止まらせた。
突然呼び止められた本人は驚き振り返ると、先ほどの、いつもと違う表情をした清野が立っていた。



「…先輩?」

「……ごめん、ごめん姫川」

「?」



心臓音が聞こえる。
どちらの心臓音だろうか。
二人のだろうか。

とても、速い。



「俺、聞いちゃったんだ」

「な……にを」






「姫川が、置田達に何されたか……」





「………」





青白い顔からやっと普通の肌に戻ったというのに、再び青ざめていく。





知られた?

どこまで?

誰に聞いた?







「あっ……えっ…と……あの…」


聞きたいことはたくさんあるのに、うまく言葉が出てこない。
冷や汗はこめかみを通りポタリと落ちた。
ひどく汗をかいている。



「………朝練で、たまたまいつもより早く行ったら置田達と泉水がいて」


「………」


呼び止められた手はまだ繋がっている。
振りほどくことを忘れているようだ。
汗が、にじむ。




「聞くつもりはなかったんだけど…泉水の口から姫川の名前が聞こえて……」

「………」
















普段、清野は朝練に行くと順番的に最後のほうだった。
それを大谷に叱られたこともある。
しかしその日は気まぐれで早起きした為朝練にも早く行くと、ボールの跳ねる音はしないのに会話が聞こえてきた。


「?大谷か?」


キャプテンが誰かとチームの事で話し合いをしているのかと思い、わずかに開いていた扉の隙間から中を覗いた。



「泉水と……1年?」


智希が名前の知らない1年3人に正座をさせ、何やら説教しているようだ。


「おー。めちゃめちゃ怒ってんなー」


普段キレたりしない智希は、1年に対して軽く叱ることはあっても正座をさせてまで怒ることはまずない。

あの3人、よっぽどの事したんだろうな。
でも興味ないや。


そう思い清野は部室に戻り誰かくるまで待とうと思った瞬間、気になる言葉が小さくだが聞こえてきた。




「姫川を……ちょっとだけ脅すつもりで」



「………」



姫川?脅す?








清野は手に持ったタオルを握りしめ再び扉の隙間から体育館を見ると、3人のうち1人が俯きながら喋っている。


智希は腕を組み3人を見下ろしながら黙っていた。



「………」


聞くつもりはなかったのに、いつしか清野は地面に座り込み耳を中に傾けていた。






「普通に脅してもおもしろくないって…置田が……」

「お、俺達はほんとに置田に命令されて動いただけなんです!本当です!」

「………」


二人の声が聞こえる。
今の所主犯と思われる置田はずっと黙っているのだろう。




「言われたからってあんな事して許されると思うのか」


「………」

「…それは……」

「………」



「…うわー泉水まじ怒りじゃん」


今まで聞いたことのない低い声が体育館に響いている。




「俺…バスケ部辞めます」

「俺も……」

「………」


相変わらず二人の声しか聞こえない。



「元々…こんな本格的にバスケするつもりじゃなかったし」

「そうそう、俺達はもっと楽しくバスケしたかったんだよな」

「………」



うわぁ…。殴りたい。
清野は心の中で思った。




「……止めないよ。体が故障した訳でもないのに辞める理由ばっか考える奴にいてほしくない。それに、こんなことをしてもお前たちは姫川より上にはいけないよ」

「………」

「………」

「………」




こぇー…。




「……で、置田はどう思ってんだ。さっきから黙ってるけど」

「………」


清野はおっと体を起こしさらに耳を扉にくっつける。




「……俺も辞めます。正直ここのレベルについていけないんで」

「そうか。で、姫川に対してはどう思ってる」

「別に…なんも。最後までシた訳じゃないし、そんな悪いと思ってません」

「そっそうですよ!相手男だし、犯した訳じゃないんだからっ……」





え?





「じゃあ自分達がしたことを実際されても、なんも文句言わないんだな」

「……それは…」

「っていうか簡単に捕まった姫川が悪い…」

「3人がかりで計画練っておいてよく言えるな」







「…っ………」




清野は震えていた。





何故、そんな冷静でいられるんだ。
自分だったらボコボコに殴っているだろう。


震える右の拳を左手で覆い、立ち上がって体育館を後にした。







清野はわかっていた。
もしここで殴ったら問題になる。
すると部活のみんなに迷惑がかかるし、何故喧嘩になったか。
姫川の話をしなければならないからだ。







そういえば昨日姫川がいないって言って、もしかしたら1年の3人に呼び出されてるかもって佐倉が言って…。
泉水部活中なのに飛び出して行ってたな。
帰って来たら姫川が体調不良で保健室にいたって言ってたから、てっきりそうだと思ってた…。





「っ……くそっ」




ダンっと、壁が大きな音で響く。


清野は微かに赤くなった左手をじっと見つめ、唇を噛んだ。


どうしよう。



















どうしようどうしようどうしようどうしよう。





清野先輩に、あの日のことを知られた。




「…姫……」

「だっ…だから…」

「え?」


震え下を向く姫川に声をかけようとしたら、小さくすぐ消えてしまいそうな声が聞こえてきた。
賑わう商店街のせいでかき消されてしまうのではないかと思うほど、小さな声。


「だ…から…今日…ご飯誘って…くれ…たんです……か」

「……うん」

「っ………」


擦れ擦れに。
小さな声は震えているためさらに聞き取り辛い。
それでも清野は一生懸命耳を傾け姫川の言葉を一つも聞き逃さないよう少しかがんで聞いていた。

姫川の拳はぎゅっと握られ震えている。


「そんで…あの時なに…された…か…聞くため…」

「えっ……違う!全部話してもらうために誘ったんじゃない!」

「嘘だ!男が男にあんなことされて先輩は詳しい話を聞きたかったんだろ!」

「っ…姫…か…わ……」


勢い良く見上げた姫川の目には涙が溢れていた。
歯を食いしばり髪の毛も乱れ、肩で息をしている。

その表情に思わずショックを受けた清野は、自分達が注目されていることに気づき姫川の腕を掴んだ。


「なにすっ…」

「ここだと人が多いから、あっちの公園で」

「いやだ」

「姫川」

「離して下さい」

「姫川」

「俺の話し聞いてみんなに言いふらすつもりなんでしょっ」

「お前、俺をそんな人間だと思ってたのか」

「っ………」


嫌がる姫川の腕を強引に引っ張り寄せていた清野が、急に立ち止まり振り返った。
その表情は今まで見たことがないほど冷たく、傷ついている顔だった。


「……すみま…せん」

「…ちょっとだけ…付き合ってくれ……」

「………」


姫川も観念したのか清野の腕を振り払うことはせず後についていった。
二人を止めようとしていた主婦もなんだか訳がわからないという表情で突っ立ている。



商店街の路地を抜けると小さな公園があった。
時計にブランコ、ベンチしかない本当に小さな公園だ。

時計には街灯がついているが、それほど明るいわけでもなく小さな公園をぼんやり映し出している程度。
お互いの顔が見えないわけではないが、姫川は今顔がぐちゃぐちゃになっているためこのぐらいの明るさでよかったと心の中で思った。



「…ごめんな、強引につれてきて」

「………」

二人は公園の端にある小さなベンチに座った。
大人3人が座ればきつそうだ。

清野と姫川、二人が座るとちょうど良い空間ができた。
手のひら2つ分ほど。


二人は腰を降ろしゆっくり溜息をついた。
商店街を抜けると閑静な住宅街のためとても静か。

姫川は足を閉じ姿勢良く座り膝の上に手を置くと、何も言わずただずっと下を向いていた。

清野も足を大きく開いて座りベンチの背にもたれると、何も言わずじっと目の前にある時計を見ている。



「……すみませんでした」

「えっ」

先に言葉を発したのは姫川だった。


「さっき先輩に失礼なことたくさん言って…」

「あぁ…別にいいよ、いきなりあんな所であの話しした俺が悪いんだし」

「………」


優しい先輩は、なんだか調子が狂う。
そう思っていたら頭上に温もりを感じた。

清野が姫川の頭を撫でたのだ。





「心配すんな。絶対誰にも言わないから」

「………」

「……今日は別にこの話を聞くために飯誘ったんじゃなくて、俺に出来ることなら力になるって言いたかったんだ」

「…先輩…」

リズムよく撫でる清野の顔はまるでペットをあやすかのように穏やかで暖かい。
声もいつもより低くゆっくりだ。

すると清野の声が少し篭った。


「………ただ、凄く悔しかったんだ…」

「悔しい?」


ずっと自分の頭を撫で続ける清野を見上げると、街灯が照らし出し妖艶に見える。
いつしか撫でられることに心地よさを覚えて抵抗せず聞き返すと、清野は撫でる行為を止めベンチの上で三角座りをした。

少し、照れているようにも見える。


「?先輩?」

膝を立てて手を組み顔を隠す清野を、今度は姫川が覗き込む。



「……ずっと姫川のこと見てたのに……お前のこと助けてあげれなかったから」

「………え?」




……え?




姫川の鼓動が、どんどん速くなっていく。
街灯に照らし出された自分は今どんな顔をしているのだろうか。

きっと、物凄くしまりの無い顔をしていると思う。



「……姫…」

「………」


思考回路が止まり息をするのも忘れていた姫川の目の前に、突然清野の顔が現れた。
ぎしっとベンチが鳴りその音とともに姫川の思考回路もやっとスイッチが入る。


「ちょっ…あのっ」

「……姫川、俺な」


身近で見る清野の顔は、思っていた以上に綺麗で男前だった。



「おおおおおっ俺!終電なくなるんで!」

「えっ」


姫川は勢い良く立ち上がると、失礼しますと叫びながら商店街の方へ走って行ってしまった。



「…………終電って…今9時前だぞ…」


姫川に回そうとしていた手だけが可哀想に宙を浮いていて、一瞬にして消えてしまった姫川の背中を思い出す。



「……逃げられた」

数分間、今度は清野が思考停止した。















いいいいい今のってまさかまさかまさかまさか!!





商店街を走り抜けながら、姫川は顔を真っ赤にしながら駅へと向かった。

通り過ぎる全ての人が不信そうに見つめていることに気づかずに。
























次の日。



「ちはー」

「っす」


いつも通りの放課後、いつも通りの部活。


「泉水ー準備運動一緒にやろうー」

「いいですよ」


準備運動をする智希に近づいた清野は、さりげなくリストバンドを付けながらチラリと姫川を見た。



姫川と目が合う。

すぐ、反らされる。




「…くくっ…」

「?なんスか」

「いや、なんでも」


クスクス笑う清野に少し違和感を覚えるが、いつもこの人は基本変だからな、と簡単に納得してしまう。


「じゃあ前屈ー。俺が前ね」

「了解」


清野が座り足を伸ばすと、後ろからリズムよく智希が押して前かがみにしていく。
柔らかい清野の体は智希と違って難なく前屈をしているが、突然清野が喋りだした。


「……最初は、あまりにもお前のこと見てるから本当に興味本位だったんだけどねぇ」

「…え?」

「気にすんな、俺の独り言」

「……はぁ」



やっぱりこの人よくわかんないや。
そう思いながらストレッチを続ける。



そんな二人を、姫川は見ていた。
いつもなら視線は智希に、だが。








今日は智希の下にいるその先輩をじっと見つめていた。






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