15
ただ1つ、1つの行程がないだけでこんなに不安になるなんて。
智希は有志からのキスを貰えずどん底に落ちたような顔をしながら学校へ向かった。あまりのショックでいつも自転車通学だが、5分ほどした所で自分が歩いていることに気づいた。このまま戻って自転車を取りに帰るのもめんどくさい。
今日は運良く朝練が無い日だった。
はぁ、と大きく溜め息をついて急ぎもせずゆっくり歩いて学校へ向かう。
「今日二時間目からだったじゃん。めずらしいな、どうかしたのか?」
「んー別にー」
昼休み、教室で一人ぽつんと弁当を食べていたら、同じクラスの真藤に話しかけられた。
真藤が学食で昼食を食べ終え教室に戻ると、まだのろのろと弁当を食べていた智希がいつもと違っている気がした。
そういえば今日、ずっと休み時間も机に伏せて寝てたな。
怠そうに答える智希がなんだか気になり、前の席に座ってパックのジュースを飲む。
「バスケ、昼練は?」
「今日監督が選考会かなんかで昼までいないから、今日は朝練と昼練無し」
「ふーん」
「………」
「………」
会話が終わってしまった。いつもはなんでもない話をダラダラとするというのに、この日は智希に話しかけれないオーラが漂っている。
真藤は様子を伺いつつも次に何の話を持ってくるべきかまるで戦術のように考えていた。
しかし智希は大きく溜め息をつき、突然モグモグと口を動かしながら机に突っ伏した。
「そんな食べ方したら喉にご飯詰まるぞ」
冗談っぽく笑いながら聞こえる声を後頭部から感じながら、いっそ喉を詰まらせてやろうかと思った。
喉が詰まったら父さん心配してくれるかな。
相変わらずひどい発想に我ながら馬鹿馬鹿しくなってくる。
なんでこんな風にしか父さんを愛せないんだろうか。
わかってもらいたい。父さんを愛してるって事実だけわかってもらえれば十分なのに。
ただそれだけなのに。
「あの人なら…大人だから父さんを幸せにできるのかな…」
「?なんか言ったか?」
なにも。消えるように小さく言葉を放つと、ざわつく教室内でその声はとても鮮明に聞こえた。
「泉水智希、ちょっと来い」
「………」
聞き覚えのある声。あまり今は聞きたくない声。
のそのそと体を起こし声の聞こえた方へ顔を向けると、その人物は智希のことなんかお構いなしにさっさと教室を出て歩いていた。
見える、後ろ姿。
白衣の後ろ姿。
「お前、なんかしたのか」
「した…ね」
怠そうに立ち上がり食べかけの昼飯を置いて教室を出ると、耳障りな程うるさい廊下を抜け保健室へと向かった。
保健室に向かうと東條がコーヒーを入れていた。
ポットから上がる湯気をカップに落としゆっくり混ぜる。
お前には、はい。と、コーヒーではなくココアが渡された。
しかもお湯ではなく牛乳で入れたココアだ。
ありがたくいただくけど。
東條は自分のデスクに座り溜め息をつく。
立ち上がる湯気を吸い込みながらズズっとコーヒーを一口飲んだ。
かっこいい。
大人。
智希はデスク横に置かれた丸イスに座り同じくズズっと甘い牛乳のココアを飲んだ。
「っつっ…」
「なんだ、お前猫舌なのか。図体だけはでかいのに舌も子どもみたいだなぁ」
図体だけは、ね…。
今一番聞きたくない嫌味だ。
「……で、なんで呼ばれたかわかってんだろうな」
「……はい」
「泉水さんはあの時中で何があったか何も言わなかったよ。まぁ、俺が聞かなかったってのもあるけど、聞いてもきっと嘘ついただろうな。お前のために」
心臓が痛い。
息ができない。
「お前は今、あの人に負担をかけているんだぞ」
「………」
ギィ、と椅子が鳴ったかと思ったら、東條は立ち上がり智希の目の前に来ていた。
見下ろされるその表情にゴクリと唾を飲んだが、怯えているということを覚られたくなかった為ぎっと睨み返した。
「なにその目。わかってる、とか言いたいのか」
「………そう、です」
「わかってんなら無理させてんじゃねーよ」
怒気のこもった強い口調。
智希は思わず持っていたココアを零しそうになった。今まで優等生だった智希はあまり怒られたことがない。
バスケで怒られたことは何度もあったが、スポーツとはまた違う感情がこみ上げてくる。
ゆっくりカップを机に置き自分も立ち上がった。
「あんたに何がわかんだよ。確かに命の恩人だし、あんたがいなかったら俺、もしかしたらとんでもない事件を起こしてたかもしれない。でもだからって俺ら親子のことに口つっこむなよ!」
「そういうのが子どもだって言ってんだろガキが」
「っ………」
自分のほうが幾分か背が高いというのに、東條の圧倒的な声と表情に足下から冷水をかけられたように体が凍えた。
「そうやってワガママがいつまでも続くと思ってんのか?お前いつまでも高校生でいるつもりなんだ」
「っ………」
ぐ、っと喉の奥が鳴り言葉が出ない。出てこない。
「…お前は、どうしたいんだ」
東條の低く重い言葉が保健室に響く。
そんなの、一つしかないじゃないか。
「父さんと…ずっと一緒にいたい」
「………」
そんな幼稚な言葉。バカにされると思った。だからお前は子どもなんだと言われると思った。
しかし東條は意外にもその言葉を深く受け止めたのか顔を歪ませ深く目を閉じた。
廊下から聞こえる生徒達の声が段々聞こえてきた。
さっきまでは緊張していたのか脳内に入ってこず、まるで東條と二人きりの空間に思えた。
智希は力なく再び丸いすに座ると、先ほどデスクに置いてぬるくなってしまった牛乳ココアを深く喉に押し込む。
他の人からすればそれはぬるくなって嫌悪を抱くほどの飲み物かもしれない。しかし今の智希のとってはこのぐらいのぬるさの方が心地いいのかもしれない。
いや、元々猫舌なのだが。
牛乳ココアを半分ほど飲み終え膝の上にカップを置くと、今度は東條もコーヒーに口をつけた。
こちらはぬるさに嫌悪を感じたのだろう、一口飲んですぐ口を離した。
「お前は今、最愛の人を困らせてる自覚はあるのか」
「……はい」
「じゃあ、どうしたらいいと思う?」
「…今日、話し合います」
「なにを?」
「それは先生に関係ないでしょ」
そう言ってきつく睨み付ける智希。東條はその表情にひるむことなくクスリと笑うと、まぁ、そうだけどな。とだけ簡単に答え席を立った。
「二人には第三者の存在がいると思うよ」
「…先生みたいな?」
「そう。こう言うのはよくない言葉かもしれないけど、君たちはその…特殊だろ?一旦別の空気入れないときっと今後もこういうことが起きる」
言葉を選びながら淡々と話す東條を、じっと見ていた。
正直、智希は誰にも二人のことを相談するつもりはない。二人だけで解決できると思っているからだ。
自分がなんとかできる、有志も想いは同じだからきっと大丈夫。
「その…お気持ちは嬉しいですけど……。俺たちのことは、俺たちで解決できるんで」
「……そうか。でも、相手もそう思ってるとは限らないからな」
「えっ?」
膝の上でバランスを保っていたカップが震え中身が零れそうになった。
自分だけが大丈夫だと思っていたということなのか。
有志は自分との関係に不安や不満を抱き、誰かに相談したがっていたということか。
「昨日有志さんにも同じ事言ったら、今度ゆっくり話を聞いて欲しいって頼まれたよ」
なんで
「今日は君たち話し合うんだろ?とりあえず二人の意見を出し合って、全部出し合って、それでも何かしこりの様なものが残った時は俺に話してって…」
「大丈夫です!」
立ち上がると同時にカップが宙を舞い半分残っていた中身がフローリングの上にこぼれ落ちた。
制服のズボンにも少し飛んでしまったようだが、智希は頭に血が上っているのだろう、気にせず顔を真っ赤にして言葉を震わせる。
まるで、泣き出す前の子どものように。
「と、東條先生のお力借りなくても俺たちは今まで二人でずっとやってきた…から、これからも二人でなんとかできます。もう俺たちの事は放っておいてください!」
体を揺らしながら東條に背を向けると、扉の前まで走り小さく失礼しました、と呟く。
その若いエネルギーに少し圧されてしまった東條だが、扉がピシャンと高い音を立てて閉まられた直後我に返り大きく溜め息をつく。
「ずっと二人でやってきたから…心配なんだろ」
小さく呟くと、フローリングに転がるカップを拾い雑巾を手に取った。
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