墓場の下にある、暗い地下室に彼らはいた。
ぼやけた光の下で、ライングラスが反射してキラキラと光っている。
生気のない色をした手が、そのグラスをひょいと持ち上げ、一口啜った。
「とても美味しいね…流石ゴールド。君の持ってくるワインは外れがないね。」
にこにこと楽しそうに喋る男にゴールドと呼ばれた青年は、頬杖をつき満足そうに答えた。
「そうだろう?私のお気に入りなんだ。…君なら気に入ってくれると思っていたよ。」
そう言って、ゴールドはワインの瓶を死体のグラスに傾ける。グラスに並々と注がれる紫色の液体。
「死体君は、アルコールが強いお酒大丈夫なんだっけ?これ、少し強いから…苦手なら無理はしない方がいい。」
「普段、同じお酒しか飲まないから分からないなぁ…。」
首を傾げ、死体は注がれたワインを一気に飲み干した。その光景にゴールドは笑い、「…大丈夫そうだね。」と呟く。
「ゴールドは、飲まないのかい?」
さっきから、ゴールドのワインが減らないのに気付いた死体は、ゴールドのグラスを指差して言った。
「実はさっき、ここに来る前に飲んでいてね…。」
ゴールドは手を口許にあて、欠伸を噛み殺すと、テーブルに突っ伏す。
死体は思い出したように腕時計にちら、と目線を送ると、眠そうに目を擦るゴールドに尋ねる。
「眠いんだったら、そろそろお開きにするかい?」
「うう…ん…まだ、ここにいたい。」
もぞもぞと身動ぎするゴールドに苦笑し、死体は立ち上がった。
「ん…何処に行くんだい?」
「え?あぁ、ワインを片付けようかと思ってさ。」
死体は、ワインの瓶を持って棚の方へ歩みを進めた。
と、そのとき
「…ッ、うわ!」
床板と床板の間の段差に躓き、死体は派手に転んだ。ワインの瓶が割れる音が響く。
ガシャン!
その音に驚いたゴールドがガバッと起き上がった。
「死体君?!」
ゴールドが慌てて死体の方へ目を向けると、そこには零れたワインが大きな水溜まりを作っていた。死体は、まだ広がり続けるワインの水溜まりの真ん中に倒れている。
ゴールドが倒れている死体の横に片膝をつくと、ワインがぴちゃ、と音を立てた。
「起き上がれるかい?」
心配そうに問いかけ、死体の肩に手を掛ける。と、
ふらりと死体が上体を起こした。その姿を見て、ほっとひと安心するゴールド。だが、それもつかの間。
ガタンッ!
突然、死体がゴールドのことを床に押し倒した。勢いよく打ち付けた背中に、するどい痛みが走る。
「い"ッ…ぁ、!」
痛みに耐えるように瞑っていた目を開けると、そこにはさっきまでとは違う、にやにやと口を歪めている死体がいた。
「こんな時間に“アイツ”と何してたんだよ。」
「なんだ、君か…。」
死体の、もうひとつの人格の方と出くわしてしまい、ゴールドは面倒くさそうな表情をする。
「そんな露骨に嫌そうな顔すんなよ。」
「なんでもいいから、早く退いてくれないかい?」
ゴールドは、死体の下から抜け出そうと身を捩らせるが、死体はそれを出来ないように強く押さえ付けた。ゴールドは冷めた目で死体のことを睨み付ける。
「おいおい、随分と“アイツ”に対する態度と“オレ”に対する態度が違うじゃねぇか。」
楽しそうに笑う死体は、ゴールドの上から退く気配はない。
「ほら、もう私は帰るんだから退い
「体がほしい。よこせよ。」
「…私は何回断ればいいんだね?」
会うたびに言われる、その言葉にため息をつきながら丁重に断る。
「…ナァ、体…って、どっちの意味だと思ってる?」
「は、?」
そう言うと、死体は急に顔を近づけ、口付けをしようとしてきた。
死体の言葉の意味を瞬時に理解すると、咄嗟にゴールドは死体の胸板を押し返す。
「ちょっ、!何を考えているんだ!」
二人で押し合いの攻防戦。
普段の力ならゴールドの方が遥かに上だが、死体は豹変していると強くなるらしく、力は互角である。
「死体、君…!君は酔っているんだ、!正気になってくれ!」
必死にゴールドは死体に話し掛けるが、ついに力尽きてしまい、再び床に押し付けられてしまった。
死体の顔が段々と近付いてくるのが見え、ゴールドは観念したのか、ぎゅっと目を瞑った。
「…あ、れ?」
場違いな、呆けたような死体の声。
ゴールドがゆっくりと目を開くと、ぱちくりと瞬きをする死体と目があった。と、次の瞬間にはその目が大きく見開いた。
「え、ゴールド?!ご、ごめん…?!」
何故、自分がゴールドを押し倒しているのか状況を理解できていない、“もうひとつの人格の死体”は、慌ててゴールドの上から起き上がった。
「良かった…もとに戻ったんだね。」
ゴールドがほ…っと、安堵の溜め息をつくと、死体は、
「もしかして、“あっちのほう”がでてきてた…?」
と、申し訳なさそうな表情をして言った。
「嗚呼、気にしなくてもいいよ。特に何もされていないからね。」
ゴールドが笑いながら答えると、死体は伏し目がちに視線をよこす。
「でも、僕、ゴールドのこと押し倒して…」
「あれは、私の上に君が転んだだけだよ。」
死体に気を使わせないように、そう答えた。ちょっと、無理があったかな…と、自嘲する。
「ゴールドって、優しいよね。」
すると、死体は少し微笑みながら言った。
「…なんで、そう思うんだい?」
「今だって、僕のことを庇ったじゃないか。」
なんて声をかけたら良いのか分からず、ゴールドが押し黙っていると、死体はごめんね、と呟いた。
「…どうして謝るんだい?私は何もされていないんだから、謝る必要はないだろう?」
死体は、違うよ、と首を振った。
「あれは、僕の強い欲求を代わりに満たそうとするもう一人の自分なんだ。
つまり、あの行動は、僕の意思なんだよ。」
そう、ゴールドに言った死体は、さっきの悲しそうな表情とは違う、獲物を狙う獣のような目付きをしていた。
end.
押せ押せな死体さん