「いつまでそうしているんですか」
「ああ、来てらしたんですか」

 来ていたのなら、そう言ってくださればよかったのに、と。私が襖を開けても、背後に立っても暫くは気がつかないくらいにずっとある一点を見つめていたのに。何をみていたのですか、とは聞けない。いや、聞かなくてもわかるといったほうがよいのでしょうか。

「異国では、うさぎが薬をつくっているんでしたっけ?」
「ええ、他にもたくさん月の模様には俗説がありますよ」
「本田さんからそのお話を聞いてから、月をみるのが楽しくなりました」

 今日はどんなお話を聞かせてくれるのですか?とやっと身体を私に向けて微笑んだ彼女の目は、まるで少女のようで。いや、年齢からしたら彼女も少女と紙一重だ。なのにこんなにも大人びて見えるのは、大人のように装うのは、きっとこの環境のせいなのだろうと思うと、綺麗な着物に身を包んだ彼女が不憫に思えて仕方がない。

「ですが、あまり女性が月をみてはいけませんよ」
「なぜですか?」
「月は女性を狂わせてしまうのだそうですよ、おかしくなってしまったり、はたまた命を落としてしまったり」
「それは恐ろしいですね」

 さしてそうは思っていないような口調でくすりと笑った彼女は、じゃあ今日も明日も明後日も、ずっと月を見てすごしてみましょうか、と冗談めかして目を細めた。
 そんなことをされては私が忠告した意味がないじゃあありませんか、それもそうですね、笑い事ではありませんよ。

「ですが私は、本田さんより先に逝きたいのです」
「なにをそんな世迷いごとを…」
「そうはおっしゃいますが、」

 こうして私と一緒にいても、本田さんのように楽しいお話をしてくださる方はいませんし、私の世界は、本田さんのお話の中にしかありません。
 本田さんがいなければ、私は生きていても楽しみがないようなものです。
 きっぱりとした口調で、それでもどこか虚ろな視線を私に向けてそう言った彼女。そして、そんな言葉に分かっていたことではあったけれど、言葉をなくしてしまう私。たしかに私は彼女よりも長生きをするでしょう。長生き、と言っていいのか、生きていると言っていいのかもわかりませんが、私のことを国のお偉い方と紹介されている彼女は、私のことなんてわかるはずもありません。しかしこんな時に、気のきいた言葉すら出ないだなんて。

「なんて、冗談ですよ」

 もっと生きて、働いて、でないと拾ってくれた御主人に恩返しができませんから。
 にっこりと笑ってそう続けた彼女に、何百年と生きている私なんかよりもずっと、彼女のほうが大人なのかもしれない、なんて。
 でも、そう思ってしまうほどに、今の彼女はきっと私の考えの全てをわかっていて、それでいて誰も嫌な思いをしないように、と気を配っているように見えるのです。

「もしもまた、来てくださるのであれば…」

こんなにも明るい夜ですから
 次は本田さんのお話を聞かせてください。
 その瞬間、もしかしたら彼女は私のことを直感でわかってしまったのではと思いました。女性の勘は鋭いですが、彼女のそれはまた特別ですから。

:)090909
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -