「名前ー帰んぞー」
「あ、ごめん。先生のとこいかなきゃだから先帰ってて」
「おう」

 片づけを終え、着替え終えた部員たちが荷物をまとめ始めたころ。田中の誘いを断って昨晩仕上げた書類を持って体育館を出る。「なんか楽しそうだな」という田中の声が聞こえない振りをして、少し小走りで職員室まで歩く。校舎内にはちらほらと生徒はいるものの、やはり時間も時間だからかひっそりとしていた。

「失礼しまーす」

 それは職員室も同じで、目的である武ちゃんの姿はすぐに見つかった。

「武ちゃん」
「あ、部活もう終わっちゃいました?」
「はい。皆帰ってます」

 もうそんな時間ですか、と眼鏡を外して目頭を摘んだ武ちゃん。机の上の遠征の為のバスの借用書には大きくバツがしてあった。他のバス会社のパンフレットも広げられていて、今がどのような状況かというのは聞かなくともわかる。

「バス、被っちゃってたんですか」
「え、うん。まあ、そうなんだ」

 武ちゃんが、バレーの経験が無くて技術指導ができないことと、人脈も少なくて練習試合もあまり組めないことを申し訳なく思っていることは知っている。けれど、それでも一生懸命私たちのためにやってくれていることももちろん知っている。そのため余計にこうして困らせてしまっていることに申し訳なくなる。
 思っていたことが表情に出ていたのだろうか。武ちゃんは私を安心させるようにニコッと笑った。

「でも大丈夫。なんとかしますから」
「武ちゃん……」

 部費の残りや、どのくらい融通がきくかなんてのはマネージャーとして一応わかっているつもりだ。チラッとパンフレットから覗いた金額は、その予算を考えると少し無理があるように思う。学校から補助金が出たらいいのだけど、申請してすぐにというようにはいかないだろう。

「で、どうしたんですか?」
「あ、そうだ。今年の予算案です」

 書類を受け取り「名字さんは仕事が早くて助かるなあ」と心底嬉しそうに笑う武ちゃんにこちらまで嬉しくなる。この武ちゃんの顔を見るために、寝る間も惜しんでこの書類に向かったのだ。

「そういえば、皆勉強捗ってます?」
「日向影山は三年の先輩たちも見てくれているので、田中とノヤさんのことは縁下と私で授業中も監視してます」

 監視、というワードが引っかかったのか笑い出す武ちゃん。目尻に涙を溜めて笑う顔はまるで少年のようで可愛いとさえ思う。

「それでは引き続き監視をお願いします」
「了解であります」

 いまだ笑いを引きずりながら言った武ちゃんに合わせるように私もおどけて見せる。用事は終わった。けれど、こうして武ちゃんと何気ない会話をすることの方が目的だったように思う。

「ああ、すっかり遅くなっちゃいましたね」
「え、あ、そうですね。帰ります」
「いや、送ってくよ! 僕の方ももうすぐ終わりですから」

 送って行くよの言葉に、過剰な期待をしてしまう自分をそっと抑える。遅いから、暗いから、一人だから。送ってくれる客観的な理由を幾つも上げて、最後に武ちゃんは先生だからと付け足した。

「じゃあ、行こうか」

 武ちゃんの車の助手席に乗り込んで、スカートをささっと整える。武ちゃんが運転席に乗るまでにガラスの反射を利用して前髪も直す。

「はい」
「え、なんで?」
「仕事早かったお礼です」

 武ちゃんからジュースを受け取るのを少し躊躇っていると「たまには格好つけさせて下さい」と言われ、その表情にどきっとさせられる。

「ありがと、ございます」
「どういたしまして」

 私の家の位置を聞かずに車を発進させる武ちゃんに、覚えていてくれたのかなとまた一つ期待してしまう。武ちゃんは顧問だからという言葉を忘れないように肝に命じたけれど、武ちゃんから貰ったジュースを見て緩む頬は抑えようがなかった。
 普段優しくてあまり頼り甲斐があるとは言えない武ちゃんだけど、こうして車を運転する横顔はそれだけで大人っぽくて格好良かった。
 家に近づくにつれて寂しさを覚える。こんな幸せな時間をもう少し続けていたいという思いと、武ちゃんにも迷惑だという思いが拮抗する。車内でも武ちゃんは何気無い話を色々と振ってくれて、それだけでも本当に幸せだった。

「この辺り、でしたよね?」
「はい。そこの角のとこです」

 終わってしまう。また明日から同じように毎日が始まる。こんな二人っきりの時間なんてもう二度と来ないかもしれない。これ以上親密な関係になどなれないかもしれない。でも、それでも構わないとさえ思う。

「武ちゃん」
「はい?」
「たまにはって武ちゃんは言ったけど、武ちゃんはちゃんと格好良いし皆物凄く感謝してるんだよ」

 きょとんとした顔で私を見る武ちゃん。そんな武ちゃんに一つ余裕な笑みを向けてから助手席のドアを開ける。

「本当に、ありがとうございます」

 ワンテンポ遅れてから、「ああ、うん。また明日」と言って車を走らせた武ちゃん。その後ろ姿を見送りながら、急に顔に熱が集中していく。
 途中で少し怖気付いてつけたしてしまった「皆」という言葉。やめておけば良かっただろうか。それとも自分の気持ちをストレートに伝えるべきだったのだろうか。
 でも、教師と生徒なんてドラマの世界の話だ。武ちゃんとどうにかなれるだなんて思ってはいない。だから私は少しでも生徒として、武ちゃんの側にいられる存在でありたいと思う。

「また明日、武ちゃん」

 想いが膨らむスピードを、この時の私はまだ知らなかった。
:)140915

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