朝から身体が重いような気はしていたけれど、そこまで深く考える間も無く家を出た。夏休みだからといって練習は休みというわけもなく、むしろ普段よりも体育館にいる時間は長い。

「おはようございまーす」
「おはーっす」

 夏の体育館のなかは、屋根はあるけれど風がない分外よりも暑い。着いて早々額の汗をタオルで拭った。部員たちはネットを張り直したり柔軟をしたりと各々何時ものように準備をしていて、私も部室から持ってきたジャグにドリンクを作る。至って普通の夏休みの練習だ。

「名前ー合宿の烏野との試合のビデオってあるか?」
「ああ、それなら部室にあったから持ってくるよ」
「頼む」

 ただ、午前の練習も終わり、昼休憩でクロにビデオを持ってくるように頼まれた頃には、自分の体調が万全でないことを自覚していた。しゃがんでから立ち上がる時の目眩や、体育館に反響する音が普段よりも大きく聞こえたり、ぼうっとしてしまうことが多々あった。しかし頭が劇的に痛いわけでも、気持ちが悪いわけでもなく、ぼんやりとしたダルさだ。選手たちのように激しい運動をするわけではない。今日一日くらいなんとかなるだろう。
 部室で目的のテープを見つけ、ビデオカメラとコードを持って立ち上がった瞬間、目の前の景色が歪んで頭から血がすっと抜けていくような感覚になる。目眩だ。それも今日一番の。よろける身体を持ち直すこともできず、一度倒れてしまってから立ち上がろうと諦めた直後、何か強い力で支えられた。意識をそこに向けると、腹部には腕が回されており、制汗剤の匂いでその腕が誰のものかがわかった。

「クロ……?」
「ふらっふらじゃねーか。なんで早く言わねぇんだよ」

 振り返ると眉間に皺を寄せたクロの顔。もう目眩もなく、立つことも平気であるのにクロは腕をほどこうとはしない。

「だ、大丈夫だよ。ちょっと立ちくらみしただけだから」
「んなわけあるか。俺が部室入ってきてもお前の後ろに立っても気がつかなかった癖に」

 別に音立てないようにだとか、なんもしてねぇからな。と言うクロの言葉に自分でも吃驚する。部室に近づく足音にも、扉の開閉の音にも、そして室内を歩く足音にさえも気がつかなかったと言うことだ。

「朝からだろ?」
「な、なんで……」
「おかしいと思ったんだ。顔赤いし、いつもより汗かいてるし」

 やっと腕を解いて、私を椅子に座らせたクロは呆れ気味にそう言った。気どられないようにと気をつけていたのに、クロの観察眼には驚かされる。

「夏風邪か?」
「そう、かも」
「腹だして寝てっからだろ」
「そんなことしてないっ」

 うちわで緩やかに風を送りながら、私の気持ちを和らげるようにいつものような言葉をかけてくれるクロ。その心地よさに張り詰めていた緊張が少しづつ溶けて、身体を預けるように椅子の背もたれに寄っかかった。

「少し楽になったか?」
「うん」
「じゃあ、お前は今日はもう帰れ」
「……うん。ごめん」
「謝んな。コーチに送ってってもらうよう言ってくる」
「ごめん」
「だから謝んなって。本当は俺が送ってってやりてぇが、午後はブロック練習もあるし抜けらんねぇからな。悪ィ」

 クロが謝る必要こそないのに。大きなクロの手が私の前髪をかきあげ頭を撫でた。少し、目の奥が熱くなる。それと同時に不謹慎ながら「俺が送ってってやりたい」の言葉にドキッとした。

「体育館は熱ィからな、暫くここにいろ。コーチ呼んでくる」
「……もしかして、わざとビデオのこと」
「いーからこれでも貼っとけ」

 かきあげられた額に、言葉とは正反対のように優しい指付きで貼られた熱冷ましのシート。そして、少し恥ずかしそうなクロの表情。
 やはり私を気遣って、わざと部室に用事を頼んだんだ。あの場で言えばみんなが心配するだろうし、それを見て私は自身の体調管理の出来なさに加えて申し訳なく思ってしまっただろう。

「クロ!」

 コーチを呼ぶため部室からでていこうとするクロの背中に声をかける。振り返ったクロに、感謝の気持ちを伝えるため続けて声をかけた。

「本当に、ありがとう! クロのそういうところが私は好きだよ」

 言い終えて、少しの間があった。だんだんとクロの頬が赤くなって、それを見て自分の発言をもう一度考え直す。そして自分の顔にも、風邪の所為では片付けられない熱が集まってくるのがわかった。
 コーチに車で送ってもらっている間、ふと制汗剤の匂いを思い出してまた顔に熱が集まり、コーチに余計心配をかけてしまった。
:)140818

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