練習中、お祭りに行きたい、とうるさいリエーフに痺れを切らしたクロが「練習終わってからな」と言い捨ててからのリエーフや竹虎の目の輝きと動きの良さは目を見張るものがあった。
「名前さん! 浴衣はどうしたんですか!」
「練習からそのまま来たんだから着れるわけないでしょ」
明らかにガッカリしたようなリエーフに、ゲームに視線を落としたままの研磨が「考えればわかるでしょ」と小さな声で言った。本当に研磨の言う通りだ。それに例年夏休みは部活が忙しくて夏祭りや花火大会の予定は立てられないから、今年も浴衣は買っていない。
「まあでも、この匂いと音はテンション上がるな」
「ほら! やっぱりクロさんも来たかったんじゃないですか!」
「でもリエーフは明日俺とレシーブワンマンな」
「やっ夜久さーん!」
お祭りの代わりに明日レシーブ中心の練習になることとなったリエーフには、申し訳ないけれど少し感謝だ。ここ最近部活がみっちりだったから、こうして練習あとのわずかな時間でも息抜きできるのは嬉しい。
「それにしても凄い人だね」
「今日は近くで花火大会もあるからって聞きましたよ」
「うわー早いうちに色々買ったほうがいいかな」
目をキラキラさせて屋台を見る犬岡に、何時ものことながら可愛いなと頭を撫でたくなる。
「じゃ、花火までにそれぞれで買ってこい。終わったら神社のとこな」
「いよっし! 名前さんたこ焼きとお好み焼きと焼きそば何がいいですかね!」
「なんで似たような味のもんばっかなんだ」
「じゃ、俺とリエーフで焼きそばと飲みもん買ってくるから、お前らでお好み焼きとたこ焼き買ってこいよ」
「え! 俺と夜久さんっすか?」
「ほらいくぞ」
「ああー名前さーん!」
クロの提案から夜久にリエーフが引っ張られていくまでの流れがあまりにもスムーズで、取り残された私とクロは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「夜久に借りができちまった……」
「え?」
「なんでもねぇ。行くぞ」
一瞥した後に歩き出すクロに、ワンテンポ遅れた私は置いていかれないようにと小走りでついていく。
それにしても左右に出店が立ち並ぶ通りは人がひしめき合っていて、その人混みとソースや香ばしい何が焼けた匂いがより一層お祭りのムードを引き立てていた。私の一歩先を歩くクロの頭は人混みから一つ飛び抜けていて、尚且つあの髪型もあってはぐれない為のいい目印だ。ひょこひょこ跳ねる毛先が妙に可愛らしく思える。
「オイ、」
「え、なに?」
「なに? じゃねぇよ。ボーッとしてどんどん離れてったろ」
クロの話によると最初こそクロの後ろにぴったりといたはずだったのに、どんどん人混みに揉まれて間が空いて行っていたということらしい。私がクロの毛先ばかり見ていたからだろうか。
「はぐれたら厄介だ。行くぞ」
「え、あっ……うん」
グイ、と私の手首を掴んだクロの手は大きくて、ブロック練習の手伝いなんかでもいつも見慣れているはずなのに、どういうわけか掴まれて一瞬ドキッとしてしまった。少し熱を帯びる頬を隠すように、少し俯きがちについてゆく。
「たこ焼きとお好み焼き買うのに一時間もかかっちゃったね」
「途中でお前があれ食いたいこれ食いたいうるせーからだろ」
「あっあんず飴食べたいって言っただけだよ!」
「嘘つけ。鮎の塩焼きだのわたあめだの食ってたろーが」
「そ、それはクロも食べたいって言ったやつでしょ!」
出店の通りから少し外れた開けたところで、イカ焼きとチョコバナナを齧りながらいつものような言い合いを繰り広げていると、先ほど感じた想いもなかったことのように思える。そういえば他の皆は集合場所にいるのだろうか。
「チョコバナナちょっとくれ」
「ん、ありがと」
クロにチョコバナナを差し出すと同時にイカ焼きも差し出される。こういった間接キスには全くドキドキしないのに、本当さっきはどうしたんだろう。自分でも不思議だ。
「美味しい」
「チョコ少し溶けてんな」
「わ、口にチョコつけてるー」
「あ? ……とれたか?」
「アハハ全然!」
少し慌てたクロが口元に手をやる様子が可笑しくて、笑いながらチョコのついた箇所に触れた瞬間。大きな音と共に、パッと周囲が明るくなった。
「あ! 花火!」
「始まっちまったか」
花火の方向を見ても半分くらい木に隠れてしまっている。だからここだけ人が少なかったのか。そして待ち合わせ場所である神社の方向には人がひしめき合っている。
「わー……」
「少し様子見だな」
「どうしよ。折角買ったのに」
袋に入れてもらったたこ焼きとお好み焼きの二つのパックを見て肩を落とす。こんなことならばわがままを言わずにさっさと神社に向かっておくべきだった。
「冷めてもまずいし、食おうぜ」
そう言ったクロは自然と私の手を掴み、隅っこの植え込みのところまで歩いた。さっきは手首だったのに。あまりにもクロが自然と手を繋いでくるものだから、心の準備ができていない私はまたも少し鼓動を早くさせ頬を熱くさせた。
「皆、心配してるかな?」
「……いや、してねぇだろうな」
「だよね」
手を繋いだことの恥ずかしさからクロの目を見れず、話題も特に思ってもいないようなことを口にしてしまった。なんだか空回っているような普段の自分と違うような、変な感覚だ。
「じゃ、じゃあいただきます」
「おー。いただきます」
割り箸を開き、お好み焼きに割入れる。しんなりとした鰹節と、強いソースの匂い。一口含むと、予想通りの美味しさが広がった。
「美味しい」
「このたこ焼きも、出店にしちゃ美味いな」
「え、ほんと?」
「ほら」
一つ、ずいと目の前に差し出されたたこ焼きを食べる。たしかに美味しい、と思って視線を上げると、思いの外近いクロとの距離にようやく気付いた。
「お前、ソースと青のりついてんぞ」
「え、ええっ! ど、どこ?」
面白そうに笑うクロに言われて、慌てて口の周りを手探りで拭う。しかしクロは依然として「そこじゃねぇよ」と笑っている。
「え、もー笑わないで教えてよ」
「さっきはお前が笑ってたろーが」
「根に持たないでよー。ちょっと、とれた?」
「仕方ねぇな」
ずっと笑ってバカにするクロと、そのクロに少し腹を立てて慌てていた私。つい一瞬前までそうだったはずなのに、クロが両手で私の頬を覆い、少し細くて切れ長の彼の目と私の目が合って、それから右手の親指で口の端をなでるように拭った動きや視線の全てがスローモーションのようにゆっくりと、そして印象的に私の目にうつりだした。周りを纏う空気が変わってしまったかのような錯覚さえ感じる。
「とれ、た……?」
「おお」
かろうじて私の口からでた言葉に、クロはじっと視線を絡ませたまま答えた。もうソースも青のりをとれたはずなのに、彼はその体制をほどこうとしない。手を掴まれた時のようなドキドキがまた私を支配する。まるで心臓が耳の近くにあるように音が大きく反響して聞こえて、みなくても頬の熱で私の顔は真っ赤になっているだろうことがわかった。
「なあ、」
「な、なに?」
クロの手に固定されている為に、恥ずかしいのに顔を背けることができない。触れられた部分が妙に熱っぽく感じるのは、私の所為だけではないと思う。
「お前がよかったら、だけど」
「う、うん」
「花火が終わるまで、ここにいねぇか?」
掌と同じくらい熱っぽい視線と声を前にして断れるはずもなく、頭で考えるよりも先に首は縦に頷いていた。
「で、部活引退したら話したいことがある」
ゆっくりとクロの顔が近づいて、クロが目を瞑ったのを見届けた直後、唇に柔らかな感触。
私たち三年生が引退するのは一体いつなのだろうか。出来るなら春高に出て勝ち進みたい。引退するということは即ち、負けるということだ。だからずっと引退したくないという思いが強くあったけれど、今この瞬間、不謹慎ながらも引退が少しだけ楽しみになってしまった。
「何言ってくれるの?」
「急に余裕ぶってんじゃねぇよ」
意地悪気に口角を上げたクロは、もう一度唇を寄せた。
遠くでは花火の音が聞こえて、その度に少し赤らんだクロの顔が見れるのが嬉しくも気恥ずかしかった。
:)140815