「あ、月島君」

 失礼します、と国語科研究室の扉を開けると、少し嬉しそうな顔をした先生がいた。バレー部は休みなの? と首を傾げた彼女に、一つ頷いて見せる。
 室内を見渡して、武田先生の姿がないことに一安心する。武田先生のことは嫌いじゃないが、バレー部の人間に彼女と話す姿を見られたくないという思いが先行してしまう。

「今日からテスト期間じゃないですか」
「あ、そっかそっか」

 忘れてたよ、と笑う先生は電気ケトルの電源を入れた。教師なのにという皮肉めいた疑問は飲み込んでおく。そして彼女に、借りていた本を手渡した。

「あれ、もう読んだの?」
「はい」

 徐々に湯気を立てる電気ケトルと、マグカップを二つ用意する先生。その光景を眺めながら、彼女のデスクの隣のパイプ椅子に腰を下ろす。教科書類とは別で本棚に詰められた本の匂いと、ふいに立ち込めるコーヒーの匂い。この部屋独特の匂いを嗅ぐと、どういうわけか安心してしまう自分がいる。

「はい」
「どうも」

 僕がマグカップを受け取るや否や、「感想聞かせてよ」と楽しそうな顔をした先生は真っ黒の液体を一口啜った。先生のそれとは違いミルクと砂糖が一つずつ入れられたそれを、僕も一口啜ってから幾つか感じたことを述べる。

「で、面白かった?」
「つまらなかったら、三日で二回も読みません」
「やっぱりねー。私と感性が似てるから、月島君も好きになってくれると思ったんだ」

 その一言に、必要以上に喜んでいる自分に気がつく。それを悟られないように、自分から畳み掛けるかのように話題をふった。

「そういえば、テスト期間なんだよね?」
「はい」
「勉強しなくて大丈夫なの?」
「まあ」

 そこまで困っているわけじゃないですから、という言葉をすんでのところで飲み込む。

「先生って、国語の教師ですよね」
「え、今更?」
「古典、教えてください」

 驚いたような顔をした先生は、そのまま「月島君古典の点数も良いって聞いたけど」と少し不思議そうな表情を浮かべた。担当の国語科教師のお喋りにイラつきを覚えるものの、「今回は自信ないんです」と取り繕う。

「秀才にもそういう時があるもんなんだねー」
「馬鹿にしてます?」
「ぜーんぜん! 質問しに来る生徒は大歓迎ですから」

 月島君のクラスってどこやってるんだっけ? と古典の教科書をペラペラ捲る先生に、その手に触れるか触れないかの位置でページ数を指差して教えた。若干脈拍が不安定になったことには、気づかないふりをする。

「これは敬語多いもんね。尊敬、謙譲、丁寧の三つはわかる?」

 縦に頷いてみせると、先生はプリントの裏に教科書の一文とそのまわりにいろいろと書き込んだ。本当はこの単元がわからないなんて嘘で、古典なんて暗記科目のようなものなのだからある程度の活用形も例外も覚えている。しかし、予想以上にわかりやすい彼女の教え方に、いつの間にか真剣になって聞いている僕がいた。

「オッケー?」
「っ……はい」

 ばっと顔を上げて僕をみた先生と、僕との距離の近さに息を飲む。僕と彼女の間には指が三本入れば良い方だ。しかし、顔を背けたり身をひいたりということはできなかった。なんだか負けのような気もするし、それに彼女の滑らかな肌や赤い唇に見入ってしまっていたから。
 大学を卒業してすぐに教師になったのだとしたら、二十三歳。最低でも七つは歳上の人に本気になるなんて馬鹿だという冷静な僕と、それでも目の前の彼女から目を逸らせない少し馬鹿な僕がせめぎ合う。
 それでも、資料集を手にしようと僕から顔を背ける直前、少し扇情的に目を細めた先生のその顔に、馬鹿な方の僕の勢いが増す。

「先生」
「ん?」
「また、先生の好きな本貸してください」

 視線がぶつかる。逸らす気もない僕と、なにを考えているのかわからないがじっと僕を見つめる先生。
 長い間そうしていたように思う。多分、実際は一分もなかっただろうが、僕には数分そうしていたかのように長く感じた。そして、綺麗に弧を描く唇と、それに比例して細められた目。心拍が緩やかに早まる。

「そしたら、月島君も好きになってね」

 その言葉の意味をゆっくりと咀嚼して、僕も先生に口角を上げて見せた。
:)140620

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