それは外に出たら足の指も手の指も、末端全てがかじかむほどの寒い雪の日だった。放課後の教室で、俺はクラスメイトの名字に学年末テストの勉強を教えてもらっていた。

「ここは、前の接続語尾を見るとわかるよ」
「……連用形か」
「そこ抑えたら他も出来るよ」

 高すぎない落ち着いた声に、自然と纏う穏やかな雰囲気は、一つの机を挟んで向かいに座る名字を他のクラスメイトと違って大人に見せた。

「あとは、それぞれの活用を暗記ね」
「なんか悪いな。毎回頼んで」

 いつかの名字が隣だったとき。ふと名字が俺の宿題の間違いを指摘した時があった。あの時から俺のテスト前の名字頼みは始まった気がする。今は隣ではなくなったが、テスト前になると呼び止める俺に「来ると思った」なんていう程だ。

「気にしないでいいのに。私も復習できるし」

 どうせ家に帰ってもやらないから、と言って、俺に教えながら名字は名字で自分の勉強をしていることが多い。その方が俺も気が楽だと思っていたが、もしかしたら名字は俺が気を使わないようにそうしているのではとも最近思う。自意識過剰にも思えるが、名字ならあり得る気がしてしまう。

「今日は寒いね」
「雪だからな」

 俺のシャーペンが紙の上を走る音と、名字が単語帳をめくる音。そして、教室のストーブの音。俺も名字も口数が多い方ではないからか、静かな教室にはその三つの音が響く。テスト前だから部活も停止で、校庭も静かだ。きっと今頃、日向も田中先輩も西谷先輩も誰かとテスト勉強をしているのだろう。

「あれ、珍しいね」
「なにが?」
「今、ちょっと笑ってた」

 単語帳から顔を上げ、名字は面白そうにそう言った。そして単語帳を机の上に置いて、右耳に髪をかけて顔を寄せる。机ひとつ分の距離が、その半分ほどまで縮まった。

「何考えてたの?」
「えっ、いや……」
「当ててみようか」
「え?」

 名字のいつもは落ち着いた瞳が挑戦的に光った。

「バレー部のことでしょ?」
「っ!」

 やっぱり、と笑う名字はもういつもの落ち着いた彼女で、近づいていた顔を元の机ひとつ分の位置に戻っていた。その中で、俺は名字の髪が綺麗なことや、肌が思った以上に白いこと、睫毛が長いことを知った。
 徐々に平常心を取り戻して行くなか、ああも動揺してしまった理由と、名字が俺の考えを当てた理由を考えていた。

「なんで当たったんだって顔してるね」
「そりゃ思うだろ」
「そんな難しいことじゃないよ。だって影山君って結構単純だし」
「……先輩にも似たようなこと言われた」
「影山君の中心はいつもバレーだからね」
「違うと言い切れねぇ」
「私の中の影山君は、バレー部と、意外に成績良くないってのと、よく寝てるって感じかな」
「ボカしてるけど馬鹿ってことじゃねーか」

 あ、あとそのジュース。と机の上の俺のブリックパックのヨーグルトジュースを指した名字。
 俺についてのイメージがどれもロクなものじゃないとは思いつつ、視線を手元のワークに戻す。そして二問程解いた後、チャイムの音が響いた。最終下校時刻を示す音だ。

「じゃあ、今日はこのへんで。またなんかあったら聞いて」
「遅くまで悪かったな。そこでなんかあったかいもんでも奢る」

 お礼をしようと鞄から財布を探す俺に、名字は鞄に単語帳をしまいながら「気にしないで」と言う。

「いや、でも今日寒いし」
「じゃあ、これ一口頂戴」

 言うや否や、名字は机の上にあったヨーグルトジュースを手にとって、ストローに口をつけた。

「予想以上に美味しいかも。新発見をありがと」

 笑った名字はいつの間にか支度を整えていて、「じゃあまた明日」と言って教室から出て行った。教室に残されたのは、財布を持って立ち尽くす俺と、あいも変わらず音を立てるストーブだけ。外は雪がちらちらと舞っていて、その静けさが余計にストーブの音と俺の心音を際立たせた。脳裏には、名字の赤い唇がストローを吸って、離れる光景がスローモーションのようにして流れた。
 
「お、まだいたのか影山。雪、酷くなる前に帰れよー」

 見回りの教師のドアを開ける音にビクッと反応した俺は、慌てて机の上のワークや教科書を鞄にしまった。自分の煩い心音を外に漏らさないようにとコートを着て、マフラーを巻く。鞄を持ってから問題のブリックパックを手に取ると、まだ少し残っているようだった。無意識に、ストローに吸いつけられるように口をつけ、一口吸った。いつもの飲み慣れた甘味と酸味が口いっぱいに広がって、慌ててストローから唇を離す。やはり脳裏には、名字の唇がゆっくりゆっくりストローに吸い付く映像が浮かぶ。
 なにやってんだ、俺は。間接キスとか、そんなものを高校生にもなって気にするだなんて。そんな思いとは裏腹に、もう一度それに口をつけることは躊躇われて、俺は教室の隅のゴミ箱にわずかに中身が残ったブリックパックを捨てた。
 ああ、早くテストを終えて思いっきりバレーがしたい。そうしたら、きっとこんな悶々とした感情を忘れることができるのに。
:)140212

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