仕事の先輩方も帰り、このあいだはいったばかりの新人美容師(グレイにいわせると「すばらしい心地よさでカットしてくれるいちりゅうの美容師」だそうだ)の俺は特に頼まれてもいないが、カット中にはさまった髪の毛を雑誌をふって落とす作業をしていた(無論、ふっただけではなかなか落ちず、雑誌の背を自分に向けてぱらぱらとページをめくりながらていねいに落としていくことになるのだが)。
それがおわると俺はスタッフルームのウッドチェアに座り、めずらしく遅いラブコールを待つ。

「ふー…」

いつもは仕事中だろうとなんだろうと構わず1日に1回はラブコールをいれる彼なのだが、今日は仕事がおわって雑用をひととおりこなしても携帯はだんまりしたままだった。10時半、それはいつもの俺達ならとっくに部屋であたたかな晩ごはんを食べているころだ。蛍光灯はうすあかるく、軽薄なひかりをぬるい缶コーヒーにあて続けている。
俺とグレイが付き合う直前に、グレイは申し訳なさそうな顔で俺にいった。

「1日…1回…俺が電話かけても…怒らないでいてくれるか?」

俺は、そんなことか、と、笑ってそれをゆるした。彼はうれしそうに俺に抱き付いた。ありがとう、フリード、とつぶやきながら。
最初の一週間はやはり困惑したが(なにしろ仕事中もほんとうにお構いなしなのだ。それを無視できずトイレにいくふりをして電話にでる俺も俺なのだが)、一週間もするうちに俺は彼をまた倍以上いとおしく思うようになった。それは「慣れ」という野蛮で押しつけがましい理由ではなく、俺は毎日のラブコールごと、グレイをすっぽりと愛すようになったのだ。毎日のラブコールをたのしみにしているのはグレイだけではなく、俺もだった。
会話の内容はほかからしてみれば「ばかばかしく普通じゃつきあってられない」ものなのだそうだが、俺達ふたりは「ばかばかしく普通じゃつきあってられない」会話をくすくすと心底たのしんで電話を通してするのだ。
先に口をひらくのは俺、その後ラブコールの内容をきりだすのはグレイの役目だった(俺が先に「もしもし」といわなければ、グレイは絶対に自分から口をひらかない)。グレイがきりだすそれは実に、俺にとって魅力的なものだった。

「さっき向かいの家の塀に、かわいい猫がいたんだ」

「今日の晩飯、カツレツとアジフライどっちがいい?」

「フリードに似合う黒のハットを今日みつけたんだ、すごくかっこいいやつ」

「今日はお前が話してくれよ、お店のこととか」

「声がききたくなった」

俺はグレイの声をひとつひとつを噛み締めるように聞き、そしてそれを舌でころがして味わうようにして、へんじをする。

「俺もグレイの声がすごく聞きたかった」

ラブコールは30秒くらいで終わるときもあれば、1時間かけてやっと終わるときもあった(俺は時間がどうであろうと、いつも愛をこめて彼のラブコールを受けている。彼も愛をこめてラブコールをしていることを俺は誰よりも知っているからだ)。
そして11時になったころ、俺はいまだ電話をかけてこないグレイの真意に気付いた。

「か…か…、き……、…あった」

まだこちらからあまりかけたことがない番号なので、通話画面に照らしだされる数字の羅列はなんだかくすぐったい。呼び出し音はきっかり5回でぶつりと中断され、かわりに俺がいつもするように、もしもし、と、いう笑みを含んだ声が聞こえた(その瞬間に俺とこの声の主の携帯電話は、時空をとびこえて愛をまもるスーパーヒーローのようにつよくたくましくなってしまう)。
俺は缶コーヒーを飲み干してゴミ箱に投げ捨て、店の戸締まりと同時にラブコールを再開した。

「グレイ、あまいもの好きだろ?」

「…だいすき」

彼が満円の笑みでこたえるのが電話越しでもわかり、俺はうれしくなると同時にすこしだけあまいものに妬いてしまった。

「店の道沿いにフルーツパーラーができたんだ。パフェとかフルーツオムレツもおいしかったけど、とフルーツフランベが最高だった」

俺はオレンジのシロップとキルシュをたっぷりふりかけフランベされたきらきらと輝く色とりどりのフルーツ達を思い浮かべる。見た瞬間にこれは絶対にグレイに食べさせたい、と思った。一緒に食べたい、と。

「バニラアイスクリームも添えてあるんだ。手作りですごくあまくて濃厚なやつ」

「…」

俺はその沈黙に声をたてて笑ってしまった。電話越しでほうけていたグレイは我にかえり、笑うな、と、不機嫌そうな声でいう。
鍵をボックスに返して最後の戸締まり確認をしながら、まっくろの夜空をみた。

「黒蜜みたいだ」

「たしかに」

ひとりごとのように呟いたはずなのに、すぐさま肯定の返事をだした彼におどろき、なにが、と聞く。

「空だろ?」

不思議そうに返された答えは質問ともとれるようなものだったが、俺は大満足だった。黒蜜をこぼしたような空にはさとうのつぶがひかっている。
俺は笑いながら、うん、といって、帰るためにゆっくりと歩きはじめた。

「今度、一緒にいこうね」

フルーツパーラー、と、いうと、電話越しから至極うれしそうなオーラがつたわってきて、俺は自然と足取りがかるくなる。くるくるとまわってしまいそうな勢いで歩き、俺ははやくかえってグレイをだきしめてやりたい、と思った。
誰もいない真っ暗闇のフルーツパーラー(それがある道は俺の帰り道でもある)は眠ったように静かだった。けれど、昼間とかわらず、赤い屋根にクリームに近い白の壁で、店の看板にはあふれるくらいの野いちごが描かれている。

「お店もかわいいんだ、そこ」

きっとグレイも気に入るよ、と、俺がつけたすと、グレイは、ああ、と、カスタードクリームがふんわりとつまったような声でいう。俺はシュークリームの生地のように、内側からグレイに満たされていった。

「俺達はお菓子みたいだ」

グレイはおかしそうに笑い、今日の晩飯はトマトリゾットだ、と、フルーツカクテルのようなあまい声でいった。

























ポルボロンだって君にはかなわない

























(グレイ、グレイ、グレイ、ほら俺はせかいいち幸福だ)































スペインのお菓子です、ポルボロン。クリスマスかかせない幸福のお菓子なのでちょっと今は季節はずれですね…。
フリードだいすきなのによくわからないっていう…フリグレは基本的にらぶらぶ!

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